中山道
2016年5月~2018年12月の2年半、28日をかけて中山道を日本橋から草津(草津~京都三条大橋は東海道で踏破済)まで歩きました。ブログを読み返してみると結構いい加減で距離やら案内やら間違ってるような・・・。歩き始めからだいぶ経つので記憶がだんだん曖…
追分道標 高札場もあり、多くの旅人が道に迷わぬよう、旅の安全を祈って文化13年(1816)、江戸大阪をはじめ全国の問屋筋の人々の寄進によって建立されました。高さは一丈四尺七寸(4.45m)で、火袋以上は銅製の立派な大燈籠でした。火袋以上は取り換えられては…
(前ページより続く) 追分道標 ガードレールの裏側には道標が隠れていました。左は御代参街道。東海道土山宿を経て伊勢へと続きます。東海道の写真を見返したら、土山宿で道標を撮っていました。その時は何も思わなかったけど、道はいろいろ繋がっていて面…
高宮橋(むちん橋) 彦根藩は増水時の川止めで犬上川を渡れなくなるのを解消するため、この地の富豪、藤野四郎兵衛、小林吟右衛門・馬場利左衛門らに費用を広く一般から募らせ橋をかけさせました。この橋は渡賃を取らなかったことから「むちん橋」と呼ばれま…
摺針峠 神明宮の境内から琵琶湖がよく見えます。当時は手前まで入り江だったそうです。鶯ヶ端跡で京の空が見えるといわれてもあまり実感がなかったけど、琵琶湖をみると京に近づいたのを実感します。白い塔のような建物は、フジテックのエレベーター研究塔。…
---☆☆前ページからの続き 寝物語の里 近江と美濃の国境は、細い溝で、この溝を挟んで両国の番所や旅籠があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」ので、この名になったといわれています。広重の今須宿の絵になっています。いよいよ美濃路(岐阜県)か…
桃配山(関ヶ原) 徳川家康最初陣跡です。壬申の乱の際、大海人皇子がここに布陣し、兵士に桃を配って勝利した故事に習って家康はここに最初の布陣をしました。 垂井駅 → 57.垂井宿 → 58.関ヶ原宿 → 59.今須宿 → 60.柏原宿 → 61.醒井宿 → 醒…
垂井曳やままつり 南北朝時代の文和2年(1353)、北朝の天皇である後光厳天皇が美濃国垂井へ難を逃れた時、そのつれづれを慰めようと、村人たちが花車3輌を造って曳き回したことが始まりといわれています。西町の攀鱗閣(はんりんかく)、東町の鳳凰山(ほう…
新加納一里塚(百四里目) 鵜沼宿と加納宿の間は、距離(四里十町・約17km)が長いため、旗本・坪内氏の陣屋を中心に「間の宿」として立場が置かれ栄えていました。 苧ヶ瀬駅 → 53.加納宿 → 54.河渡宿 → 美江寺駅 約25km 今日は午後から雨予報。降り出し…
うとう峠 「うとう」とは、疎(うとい・うとむ・うとう)で、不案内・よそよそしい・気味の悪いなどの意味があると考えられ、打とう峠と鵜沼宿との間は、十六町(約1.8km)に及ぶ険しい山坂が続き…云々と案内板には書いてありますが、うとうの森に入れば整備され…
日本ラインロマンチック街道 木曽川は、その景観がヨーロッパのライン川に似ているため、日本ラインと呼ばれています。太田橋から続く土手道(堤防道路)は木曽川の景色と里山を眺めながら走れるランナーにも人気の道となっています。坂祝(さかほぎ)に入ると日…
「皇女和宮御下向行列」(奈良井宿) 薮原宿(木祖村)と奈良井宿(塩尻市)で和宮のお輿入れの様子を再現する行列が開催されました。 「幕末の激動期、ペリー来航から始まった開国要求とそれに反対する尊皇攘夷の中で、公武一和のもと仁孝天皇の皇女・和宮(15…
案山子 イベントのために造られたのかなぁ。案山子たちが道案内をしてくれています。 このあたりも熊が出るようで・・・ 鴨之巣の一里塚(日本橋から93里目) 本日限定の茶屋でひとやすみ 細久手-御嶽間は、イベントで沢山の人が歩くので、道を間違えないよ…
鴨之巣の一里塚 日本橋から93里目の一里塚に、本日限定の茶屋が出現。江戸時代もここに茶屋があったそうです。こんな風に旅人が一休みをしていたんだろうなぁ。 47.大湫宿 → 48.細久手宿→ 49.御嶽宿 17.7km 夏に中山道を歩いていたときにもらった「…
権現山の一里塚 日本橋から90里目 一里塚から中山道は、なんとゴルフ場の中を横切っています。カート道を渡るとき奥にグリーンが見えます。ゴルフボールも落ちてた。・・ってことはボールが飛んでくることもある?!ネットが張ってあるところもあるけど、気を…
十三峠 大井宿と大湫宿の3里半(約14km)は、上り下りの坂道が続く十三峠と呼ばれる峠越えの道です。「十三峠におまけが七つ」といわれる峠の多い難所でした。中山道開設時、軍事的戦略から、わざわざ峠に次ぐ峠の、急峻な通行困難な道にしたと云われています…
中津川村庄屋居宅(中津川宿) 「夜明け前」の小野三郎兵衛のモデルとなった肥田家が庄屋を勤めていました。江戸後期からは旅籠を経営していましたが、、明治30年代に曽我家がこの建物を譲り受け中津川で最初に開業した医院となりました。 45.中津川宿 北…
落合石畳 全長840mにも及ぶ石畳。国の指定史跡となっていて、そのうち約70mは当時のままに残っています。当時のままの石畳が残っているのは東海道の箱根と、ここ落合の2ヶ所のみといわれています。 43.馬篭宿 → 44.落合宿 → 45.中津川宿 → …
妻籠宿 全国で初めて古い街並みを保存した宿場町。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。出梁造りに堅繁格子、卯建のある軒が続く約800mの通りは江戸時代がそのままのようです。 南木曽駅 → 42.妻籠宿 → 43.馬篭宿 約13km ちょっと遅い…
柿其峡(南寝覚) 寝覚の床のミニチュア版ともいわれ「南寝覚」と呼ばれています。今は整備されとても歩きやすくなっていますが、江戸時代、野尻から三留野までの二里半は難所羅天といわれ、木曽川の崖沿いのつくられた道は「木曽の桟よりも危うい」といわれ…
中山道中間点 江戸、京双方から六十七里二十八町(約266km)に位置しています。中山道も半分を歩いてきました。今日はここからスタート。あと半分。頑張って歩いていきましょう! 道の駅 日義木曽駒高原→ 37.福島宿 → 38.上松宿 → 寝覚めの床 約15km …
御嶽山(3067m) 御嶽神社(御嶽遥拝所)から見た御嶽山。古くから山岳信仰の山として庶民の信仰を集めた霊山です。中央線が開通するまでは現在は百名山の一つとして大勢の登山者が訪れています。ロープウェイで7合目まで手軽に登ることができます。2014年9…
奈良井宿 木曽路最大の難所 鳥居峠を控え、又、桧物細工、敷居、漆櫛等の木工業が盛んで大いに賑わいました。木曽路の中でも標高(940m)が最も高く、王子の面影を残す宿並は国の重要伝統的建物群保存地区に選定されています。 洗馬駅 → 31.洗馬宿 → 32.…
塩尻峠 標高1,055m。急峻な地形で足元が悪く、冬場には牛馬が使えないほどの積雪があり、路面凍結による転落の危険にさらされる中山道随一の難所と呼ばれていました。写真は峠にある塩嶺御野立公園の展望台から諏訪湖方面。本当は正面に富士山、右手に…
和田峠(古峠) 標高1,531m。急峻な地形で足元が悪く、冬場には牛馬が使えないほどの積雪があり、路面凍結による転落の危険にさらされる中山道随一の難所と呼ばれていました。 男女倉口バス亭 → 和田峠 → 29.下諏訪宿→ 下諏訪駅 約15km さて、いよ…
和田宿本陣 文久元年(1861)の大火で焼失したものの、和宮降嫁を受けて同年11月に再建されました。明治維新後は役場として使用されていましたが、現在は往時の姿に復元され一般公開されています。 長久保バス亭(長久保宿) →28.和田宿 → 男女倉口バス亭 約1…
笠取峠 約1km続く松並木は、江戸幕府の植樹政策により慶長九年(1604)頃に植樹されたと伝えられていて、現在でも70本近くの古木が現存しているそうです。 八幡入口バス停(八幡宿)→ 25.望月宿 →26.芦田宿 → 27.長久保宿 約15km 朝から冷え込んで…
浅間山 標高2,568m 長野と群馬の県境にある活火山。数十万年前から活発な火山活動繰り返してきました。現在は噴火警戒レベル2(火口周辺規制)で入山規制がされています。今日は朝からずっと浅間山と一緒に旅をしてきました。 中軽井沢駅(沓掛宿)→ …
分去れの碑 「右、従是北国海道 左、従是中仙道」 「さらしなは右 みよしのハ左にて月と花とを追分の宿」 追分宿を抜けた先の中山道と北国街道分岐点に位置し、右は北国街道姥捨山の「田毎の月」で知られる更級へ。左は中山道で京都へ。そこから桜の名所 奈…
碓氷峠(熊野神社) 群馬県安中市松井田町坂本と長野県北佐久郡軽井沢町との境にある峠。信濃川水系と利根川水系を分ける中央分水嶺で、峠の長野県側に降った雨は日本海へ、群馬県側に降った雨は太平洋へ流れます。標高約1200mの碓氷峠頂上には上信国境に熊…