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「皇女和宮御下向行列」(奈良井宿)
薮原宿(木祖村)と奈良井宿(塩尻市)で和宮のお輿入れの様子を再現する行列が開催されました。
「幕末の激動期、ペリー来航から始まった開国要求とそれに反対する尊皇攘夷の中で、公武一和のもと仁孝天皇の皇女・和宮(15)の14代将軍徳川家茂(16)への降嫁が決まりました。 文久元年(1861)旧暦10月20日に京都を出発した行列は、中山道を一路江戸へと向かいました。京方1万人、江戸方1万5千人、諸藩の警固1万人、その他人足や賄の人数を含めると総勢8万人といわれ、まさに空前絶後の大行列でした。 行列は、11月3日に薮原宿で御泊り、11月4日には奈良井宿で御小休、贄川宿で御昼、本山宿で御泊り、翌5日には、洗馬宿で御小休、塩尻宿で御昼をとっていることが古文書に記録されています。」 (塩尻市観光協会HPより)
薮原宿(木祖村)と奈良井宿(塩尻市)で和宮のお輿入れの様子を再現する行列が開催されました。
「幕末の激動期、ペリー来航から始まった開国要求とそれに反対する尊皇攘夷の中で、公武一和のもと仁孝天皇の皇女・和宮(15)の14代将軍徳川家茂(16)への降嫁が決まりました。 文久元年(1861)旧暦10月20日に京都を出発した行列は、中山道を一路江戸へと向かいました。京方1万人、江戸方1万5千人、諸藩の警固1万人、その他人足や賄の人数を含めると総勢8万人といわれ、まさに空前絶後の大行列でした。 行列は、11月3日に薮原宿で御泊り、11月4日には奈良井宿で御小休、贄川宿で御昼、本山宿で御泊り、翌5日には、洗馬宿で御小休、塩尻宿で御昼をとっていることが古文書に記録されています。」 (塩尻市観光協会HPより)
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普段は中津川駅止まりの中央線が、この日は特別に塩尻駅まで延長。とても混んでいます。そして、大部分と言っていいほどの乗客が藪原駅で降りました。JR東との共同開催だったのですが、当初は参加するつもりはなかったのでカードを忘れてしまいました。なので、JR東海の地図をもらってスタートです。
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![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190343.jpg)
お六櫛問屋(藪原宿)
丁度いい写真がなくて人は全然写っていませんが、出店がたくさん出ていてとても賑やかでした。
丁度いい写真がなくて人は全然写っていませんが、出店がたくさん出ていてとても賑やかでした。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190348.jpg)
鳥居峠に向かう山道へと入ります。
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190353.jpg)
石畳はすっかり落ち葉で埋もれそう。それにしても人もいっぱいです。こんなにいればクマ鈴も必要ないかな。
![イメージ 7](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190401.jpg)
標高が高いと峠の雰囲気も全然昨日とは変わります
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190406.jpg)
東屋
展望台からは藪原宿がよく見えます
展望台からは藪原宿がよく見えます
![イメージ 9](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190410.jpg)
丸山公園(芭蕉句碑)
![イメージ 11](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190244.jpg)
トチノキ群生地
![イメージ 12](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190249.jpg)
鳥居峠(峠の茶屋)
標高1197mまで登ってきました。歩いていればいいのだけど、立ち止まるとさすがに寒い!今日はイベントなので暖かい山賊汁のふるまいがありました。心までほっこりです。
標高1197mまで登ってきました。歩いていればいいのだけど、立ち止まるとさすがに寒い!今日はイベントなので暖かい山賊汁のふるまいがありました。心までほっこりです。
紅葉をながめながら、奈良井宿に向かって下ります。
![イメージ 14](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190259.jpg)
鎮神社
奈良井宿までやってきました。前回時間がなくて寄れなかっ神社手前の楢川歴史民俗資料館も見学。
奈良井宿までやってきました。前回時間がなくて寄れなかっ神社手前の楢川歴史民俗資料館も見学。
![イメージ 15](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190303.jpg)
奈良井宿
それにしても沢山の人です。
それにしても沢山の人です。
![イメージ 16](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190308.jpg)
![イメージ 17](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190312.jpg)
新そば(かぎの手)
落ち着いたところで少し遅いお昼です
落ち着いたところで少し遅いお昼です
![イメージ 18](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190317.jpg)
中村屋
江戸時代後期、塗櫛問屋として栄えた中村屋。奈良井宿の中でも最も古い形を残しています。さわやか~参加者は無料で見学ができます。前回は時間がなくて見学できなかったのですか、今日はゆっくり見学してきました。建物も素敵ですし、展示されている櫛もとても見事です。
江戸時代後期、塗櫛問屋として栄えた中村屋。奈良井宿の中でも最も古い形を残しています。さわやか~参加者は無料で見学ができます。前回は時間がなくて見学できなかったのですか、今日はゆっくり見学してきました。建物も素敵ですし、展示されている櫛もとても見事です。
![イメージ 19](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190321.jpg)
中山道杉並木
現在は行き止まりになっているので、前回歩いた時はこちらまで行かなかったのだけど、当時からの杉の巨木が並ぶ道はとても風情があります。
現在は行き止まりになっているので、前回歩いた時はこちらまで行かなかったのだけど、当時からの杉の巨木が並ぶ道はとても風情があります。
![イメージ 20](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190326.jpg)
二百地蔵
この周辺にあった観音様や地蔵様の石仏が合わせまつられています。
この周辺にあった観音様や地蔵様の石仏が合わせまつられています。
![イメージ 21](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/madaonakumisan/20190923/20190923190334.jpg)
のんびりと奈良井宿を見学して、奈良井駅から中央線塩尻経由で帰宅。名古屋方面の中央線は臨時列車も出ていて本数が多かったのだけど、塩尻行きは通常通りで本数が少なく、帰りの電車はとても混んでいました。13:25発の後は、15:56発までないうえにワンマンだもの。乗り降りに時間がかかっていたみたいで到着がだいぶ遅れました。
突然思い立って歩いた鳥居峠。逆方向からで2度目のためかとても楽に歩けた気がします。標高は高いけど標高差は300mもないからちょうどいいハイキングコースです。それに「皇女和宮御下向行列」も楽しめたし。行列は華やかで、和宮様はとてもきれいな方でした。50kmはないけどね。いまでこそ、きれいだね~♪なんてのんびり見学してるけど、当時は行列の見学なんてもってのほか。中山道の各宿場や助郷の負担はとても大変だったようで、人手や物資の提供のほか、道路改修や通りに面した建物も見苦しいものは改修や撤去、外出や商売も禁止、鐘の音や動物の鳴き声まで聞こえないようになど多岐にわたりました。経済的負担も多く不満を残したそうです。公武合体は成功したといえず、病弱な家茂との結婚生活は4年で終了、明治維新を経て32歳で亡くなった和宮。結婚生活は幸せだったようですが、時代の波に翻弄された人生をどのような思いで過ごしていたのでしょう。中山道を歩かなければきっと、こんなに和宮に思いをはせることもなかった気がします。