
(八王子駅)→ 桑都の杜 → 片倉城跡公園 → 片倉つどいの森公園 → (八王子みなみ野駅)
10月3日にオープンしたばかりの「桑都の杜」に行ってきました。







八王子駅南口から、とちの木通りを10分ほど真っすぐに進むと右手に桑都の杜があります。マンホールが道案内をしてくれました。




「桑都の杜」は、八王子医療刑務所跡地に新しくできた公園や歴史郷土ミュージアム、図書館、交流スペース、カフェなどが入った複合施設です。八王子はその昔、養蚕や織物が盛んだったことから「桑の都(桑都)」と呼ばれていました。戦国時代末期に北条氏照が城下町を築いたことに始まり、江戸時代は甲州道中最大の宿場町でした。この日は演奏会や子供向けのなどのイベント、キッチンカーもあり賑やかでした。子供連れで一日中ゆったりと遊べる場所でした。高台にある未来の山からは、奥多摩や秩父の山々、八王子の町がきれいに見えます。


桑都の杜から片倉に向けて歩きます。湯殿川を渡ります。奥に見える山が片倉城跡です。城跡は公園になっていて、広場ではたくさんの彫刻が迎えてくれました。この彫刻は長崎の平和記念像を作成した彫刻家北村西望の作品です。


片倉住吉神社
応安五年(1372)片倉城の鎮守として城主長井大膳大夫道広が、摂津国住吉大社を勧請したと伝わります。神社は本丸の下の腰曲輪に位置しています。団体さんがいたので遠くから一礼だけして本丸に向かいました。


片倉城跡は、湯殿川と兵衛川の合流点を臨む北東方面に張り出した丘陵先端部に位置し、自然地形を生かした平山城です。
平安時代中期以降、この地域は横山党の領地となっていましたが、鎌倉時代の和田合戦により大江広元の領地となります。応永年間(1394-1427)に大江氏を祖先にもつ扇谷上杉氏の家臣長井氏が片倉城を築城したとされていますが、詳細は不明です。戦国時代は小田原北条氏の領地となっていて、北条氏による築城の可能性も指摘されています。1569年の三増峠の戦いでは、北条氏照と氏邦はここ片倉城から出陣したとされています。




本丸から二の丸の間には空堀があり、木橋が架かっています。草が生い茂っていて写真で見るとよくわかりません。中を歩けるそうですが、この時期は無理ですね。


二ノ丸
広々として気持ちのいい広場になっています。奥にも空堀がありまりました。


二ノ丸と休憩広場(曲輪跡?)の間の道も空堀だったようです。


下って奥の沢に向かいます。橋が架かっています。草が生い茂っていてよくわかりませんが、水源の一つのようです。下流には菖蒲田があります。




分岐を見返台へと進みます。下の道は菖蒲田に続いています。少し坂を上ると視界が開けました。ここが見返台なのかな。そのまま道を進んでいくと広場がありました。案内図を見ると二の丸広場へ続く道があるようです。広場の名前は特にないようです。入口があり、その先には農地が広がっています。道が二手にわかれていたので、舗装道路を進みました。道を下っていくとまた分岐です。そのまま下っていくと片倉駅の方へ行くようです。坂を上ると大きな公園があるようなので公園へ行ってみることにしました。




片倉つどいの森公園
広々としたきもちのいい公園です。富士山も見えるようですが、よくわかりませんでした。森の中を集いの池へと向かいます。池の奥にステージが見えましたが、一つ手前の道を降りてしまったのでそちらには行かれませんでした。そのまま出口に向かいます。この公園も、片倉城の一部ではないかといわれています。


つどいの森公園からだと八王子みなみ野駅が近いようです。駅に向かう道を歩いていると正面に山がみえました。大山でしょうか。AIに聞いたら富士山だというのですが。
桑都の杜オープンのニュースを目にして出かけてきました。広くてきれいで気持ちのいい公園です。子供連れで一日中過ごせそうです。駅から近いのもいいですね。公園から近いので片倉城跡にも足をのばしてみました。堀や曲輪のあとがよく残されています。空堀も歩けるそうですが、草が生い茂っていて無理でした。山城は夏ではなく冬に訪れたほうがよさそうです。八王子から片倉に続く道は、横浜へ絹を運んだ絹の道に重なっています。片倉駅の先には絹の道が残っているそうです。今度あるいてみようと思います。