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【続・日本100名城 その21】 116  沼田城

116 沼田城 (群馬県沼田市) 別名:蔵内城・倉内城

・城地種類: 平山城 

・築城  : 天文元年(1532)頃

・築城者 : 沼田顕泰

・主な城主: 沼田氏、猪俣氏、真田氏、本多氏、黒田氏、土岐氏

                  (登城日:2024年3月27日)

西櫓台石垣・階段

 沼田城は、北陸から関東へ至る要衝の地にあり、越後の上杉氏や小田原の北条氏、甲斐の武田氏などの戦国大名により激しい争奪が繰り広げられました。天正8年(1580) 真田昌幸は、武田勝頼の命により沼田城を攻略し、奪還に来攻した沼田氏を謀殺して沼田氏を滅亡させました。領有を主張する北条氏と真田氏の攻防が続きますが、北条氏が名胡桃城を攻略したことが契機となり、小田原合戦が勃発、北条氏は滅亡しました。豊臣秀吉により旧領を安堵された真田昌幸の嫡子信幸が、沼田城主となり、近世的な城郭の整備を進めます。しかし、天和元年(1681)に真田氏は改易、城は全て破却され堀も埋め立てられました。その後、本多氏、黒田氏、土岐氏が城主となりますが、明治維新後に廃城となりました。

 

沼田城入口

 

沼田市観光案内所

 駐車場の脇にある案内所で、続100名城スタンプが押せます。

 

本丸

 

西櫓台 堀

 

石垣(西櫓台)

 

御殿桜(西櫓台)

 樹齢200年以上と伝わるヒガンザクラ。桜の根が石垣を内部から押していて、石垣の崩落の恐れもあるとかで、石垣と桜の保存という難しい課題に取り組んでいます。

 

天守

 堀底から8間もの高さがある4層5階の天守閣があったそうです。天和元年(1681)5代真田信直が改易されたときに、城は全て破却され堀も埋められました。元禄16年(1703)本多正永が藩主となった際に、堀や土塁は再構築されていますが、天守や櫓は再建されることはありませんでした。

 

英霊殿(天守跡)

 英霊殿のあるあたりが天守跡推定値とされています。

 

大手門沓石

 英霊堂の脇に大手門に使われていた沓石が置かれています。

 

 本丸の英霊堂の脇には動物たちもいました。今は城址は史跡として残すようになってきましたが、ひと昔前は、動物園や遊園地、球技場など市民の憩いの場として整備されていたんですよね。

 

鐘楼(本丸)

 明治31年頃旧沼田町役場に建てられたものを、昭和58年に公園に再建しています。鐘は寛永11年ごろに二代藩主真田信吉が鋳造させて、三の丸にあった楼にかけて時の鐘として使われていたものです。現在のレプリカを使用していて、本物は沼田市歴史資料館に展示しているそうです。(沼田市役所に併設されているそうですが、残念ながら休館日でした。)

 

 鐘楼の東側(水の手曲輪?)からは、利根川沼田駅、そして正面に子持山を見ることができます。そして下を見ると崖です。城は河岸段丘上にあります。

 

捨曲輪(古城)

 沼田氏の時代は、ここに本丸があったようです。

 

平八石(捨曲輪)

 真田昌幸が沼田平八郎景義の首実検の後に乗せた石といわれています。天正8年(1580)真田昌幸沼田城を攻略しますが、翌年、沼田平八郎が沼田城奪還のため挙兵します。しかし、昌幸の謀略により殺害され、沼田氏は滅亡しました。

 

 

 捨曲輪から見る名胡桃城方面。見えないけれ、矢印の小山の裏側に名胡桃城があります。

 

 ここからの景色はとても気持ちがいいです。奥に見える山々はもう越後との境。ここが要衝の地と呼ばれるのも納得の景色です。(案内板をつなげてみました)

 

 捨曲輪と本丸の東側では発掘調査が行われているのかな。案内板はなかったけど、堀跡のようです。そのうち整備されるのでしょうね。

 

本丸堀跡

 本丸と二の丸の間につくられたもので、多くの瓦と石垣の下段部分と裏込め石が見つかっています。

 

 グランドになっている場所には、二の丸、三の丸そして間には堀もあったようです。

 

三の丸土居跡

 

信之(信之)・小松姫

 

真田信之真田昌幸

真田幸村

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大蓮院殿(小松姫)の墓・正覚寺

 沼田城から10分ほど歩いたところに、真田信之の妻 小松姫のお墓があります。小松姫本多忠勝の娘で「犬伏の別れ」では、父親譲りの勇敢で聡明な対応が伝わっています。山門は、万延元年(1860)建築と伝えられています。

 

滝坂

 帰りはこの坂を下っていきます。河岸段丘の上に造られた城下町なんだと実感しますね。それにすごい階段。標高差約80m。バスで来てよかったかも。ちなみに駅から沼田城までは歩くと1.2km、18分くらいだそうです。

 

沼田駅 今年100周年迎えます。

 

 こちらも7年ぶりの登城です。それにしても沼田は真田推しですね。沼田城主となった信之、そして、犬伏の別れ小松姫推しといったところでしょうか。真田昌幸は沼田平八郎を謀殺して沼田氏を滅亡させているし、信繁は沼田とのかかわりは薄いですものね。真田氏の中では目立たない感じの信之ですが、180cm近い大男だったそうで、武功も信繫よりも多く、なにより真田家を存続させる力量を持っていました。そして93歳まで長生きし、将軍はすでに4代家綱。でもなかなか引退させてもらえず、息子にも先立たれ、孫の信利は江戸三大暴君に数えられ、信之の死後、沼田城改易、廃城を招いてしまいました。後継者育ては難しいものです。それにしても信之の最初の妻である清音院の話は全く出てきませんね。