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【日本100名城 その36】  27  上田城

27 上田城 (長野県上田市)  別名: 尼ヶ淵城・伊勢崎城・松尾城・真田城

イメージ 1 ☆データ☆   (日本100名城ガイドブックより)

  ・城地種類 平城

  ・築城      天正11年(1583)    築城者 真田昌幸

  ・主要城主 真田氏 仙石氏 松平氏
(登城日: 2018年8月16日)


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上田城 東虎口櫓門
真田昌幸千曲川分流の尼ヶ淵の河岸段丘上に築いた城です。徳川軍を2度にわたり打ち破った城として有名です。関ヶ原後、城は破却されました。その後仙石忠政が復興し、本丸や二の丸などが改修されましたが、忠政の死によって未完に終わりました。南櫓と北櫓は、いったん売却され取り払われたものの買い戻され、昭和24年(1949)に再移築されました。城門は平成6年(1994)に復元されています。

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藩邸表御門
上田藩主居館跡です。関ヶ原合戦のあと、真田信之がここに館を構え、政治を行いました。現在は上田高等学校となっています。

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藩邸脇には堀が残っています。

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二の丸橋

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真田石(東虎口櫓門)
高さ約2.5m、幅約3mの大石。城内の石垣に使われた石材の大部分は、北方にそびえる太郎山産の緑色凝灰岩を使用しています。

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真田井戸
本丸唯一の井戸で、直径2m、深さは16.5m。この井戸には抜け穴があり、城北の太郎山麓の砦や上田藩主居館に通じでいたという伝説があります。


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東虎口櫓上

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南櫓の上から尼ヶ淵をながめます。
かつては堤防がなく、一面河原で千曲川の分流が深い淵をつくってながれていました。

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本丸跡


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西櫓
寛永3~5年(1626~1628)にかけて仙石氏によって建てられた櫓で、江戸時代から現存する唯一の建物です。

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二の丸籾蔵跡
二の丸の市立博物館のある辺りには6棟の土蔵が建っていました。

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隅おとし
上田城本丸の北東(丑寅)の鬼門にあたる方角の土塁の隅を切り込み「鬼門除け」としています。堀は素掘りで掘り上げた土をその内側へ堤状に積み上げて土塁としています。

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北虎口

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百間掘
陸上競技場や児童遊園地のある場所は、江戸時代大きな堀がありました。

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石樋
二の丸堀の水抜きの樋。元禄15年(1702)に木樋が腐ってしまうので、石の樋に変えたとの記録が残っています。許されるならまわりの草をむしりたい・・

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西虎口

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尼ヶ淵
上田城南側の崖下にはかつて千曲川の穏やかで深い分流があり、天然の堀となっていました。崖面がもろく崩れやすい性質だったことから大規模な石垣が設置されています。

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尼ヶ淵(西櫓)

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尼ヶ淵(南櫓)

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二の丸堀跡
昭和3年から47年まで上田温電北東線の電車が通っていました。

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上田城大手
大手門と櫓台があったこの場所は、慶長5年(1600)第二次上田合戦で関ヶ原に向かう徳川秀忠と激しい戦いが繰り広げられました。

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北国街道沿いにある柳町には昔ながらの街並みが残っています。

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上田駅お城口
真田幸村公像


  上田城にやってきました。上田駅までは何回か来ていたのだけど、なかなか寄ることができずにいました。一番の見どころは尼ヶ淵の絶壁を下から眺めたところだなぁ。お堀の中から見上げているわけで、とても迫力があります。上田城に着いたときはまだ雨は降っていなかったけど、ポツポツ来たと思ったらどしゃ降りになりました。しばらく上田市立博物館で雨宿り。このあたりは養蚕が盛んだったのですね。そういえば富岡日記にも書いてありました。和田英は松代から上田へ出て、北国街道、中山道と歩いて安中から富岡に向かったそうです。北国街道も歩きたいなぁ。
 真田と言えばずっと幸村だったけど、「真田丸」では昌幸が圧倒的な迫力で、息子二人は完全に脇役。でも松代、上田と訪ねてみると、地味な印象が強い信之が真田家を守ってきたんですね。真田はいずれもしたたかです。百名城スタンプは上田市観光会館2階にあります。