マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【日本100名城 その37】  28  小諸城

28 小諸城 (長野県小諸市)  別名:酔月城 白鶴城

イメージ 1 

  ・城地種類 平山城(穴城)
  ・築城    天文23年(1583)、慶長末期(1614~15)
   ・築城者 武田信玄仙石秀久
  ・主要城主 武田氏、仙石氏、徳川氏、松平氏
(登城日: 2018年8月17日)

 
イメージ 2
小諸城 (三の門)
 大井氏の鍋蓋城・乙女城を武田信玄が侵略し、山本勘助らに命じて拡張整備した城です。豊臣政権になり仙石秀久が城を織豊系城郭に改修し三重天守や大手門などを建造し子の忠政により完成しました。千曲川河岸段丘上に築かれていますが、城郭部が城下町より低い位置にあるため穴城といわれています。維新後に廃城となりましたが、旧小諸藩士達が資金を集めて払い受け「懐古園」と命名しました。

イメージ 3
大手門
小諸城の正門。本丸から数えて4番目の門にあたることから「四の門」とも呼ばれていました。解体復元が行われ平成20年(2008)に完成しました。

イメージ 4
マンホール
大手門・三の門


イメージ 5
憩石
慶長五年(1600) 関ヶ原合戦出陣途中、上田城攻略のために本陣とした小諸城で、徳川秀忠が腰を下ろした石と伝えられています。

イメージ 6
三の門
寄棟造りの二層の城門で、元和元年(1615)に創建。寛保2年(1742)の大洪水で流失したものの、明和2年(1765)に再建されています。裏から眺めるとこんな感じ

イメージ 7
三の門から二の丸に向かう枡形

イメージ 8
二の丸跡
この上が二の丸跡。上田合戦時には徳川本陣となりました。

イメージ 9
北丸跡
弓道場になっています。

イメージ 10
南丸跡

イメージ 11
黒門跡
黒門橋の架かる紅葉谷は深い堀切になっています。

イメージ 12
荒神井戸
寛保の大洪水の後に掘られた城内唯一の井戸

イメージ 13
本丸跡
懐古神社は、維新後に元藩士達が建立しました。

イメージ 14
鏡石
山本勘助が愛用したと伝えられていますが・・・・

イメージ 15
天守台跡
三層の天守閣がありましたが、寛永3年(1626)に落雷で焼失したままです。

イメージ 16
天守台から石垣の上も歩けます。

イメージ 17
武器庫
復元された武器庫

イメージ 18
地獄谷
酔月橋から水の手展望台をながめます。浅間山の火山灰でできた断崖は天然の要害です。

イメージ 19
水の手展望台からは千曲川の流れがよく見えます。

イメージ 20
水の手不明御門跡
小諸城の搦手です。

イメージ 21
馬場

イメージ 22
富士見展望台
標高657mにある展望台からは富士山も眺めることができます。

イメージ 23
小諸市動物園
富士見台から動物園へ渡る白鶴橋が架かる紅葉谷。とても深いです。これでは下から攻められません。この動物園は、大正15年(1926)に開園した長野県最古の動物園です。江戸時代はここに籾蔵がありました。

イメージ 24
石垣
「焼石(浅間山の噴火の際噴出された自然石)」でできた石垣もあります。

イメージ 25
北国街道
大手門から三の門に向かうところだけしか歩けませんでした。本陣がきれいになる頃には歩けるかなぁ


 小諸城は、深い谷に囲まれた要塞でした。三の門さえ守り切れば敵は入ってこられません。さすが山本勘助というところでしょうか。小諸城主としては、仙石秀久のイメージが強いのですが、子の忠政の時代に上田藩に移封となっていて、一番長く小諸藩を治めていたのは牧野氏(1702-1871)になります。城主のイメージって戦国時代が強いですよね。上田城だって真田氏の治めていた時期よりも仙石氏、一番長いのは松平氏なのに、やっぱり真田のお城ですもの。小諸藩もいろいろと城主が代わっていますが、やはり牧野氏の時代が一番安定していたようようで、千曲川の大洪水や浅間山の大噴火などもありながら、廃藩置県の際、藩財政の清算を行ったところ信濃国内で唯一黒字だったそうです。百名城スタンプは懐古園事務所にあります。