マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【中山道 23日目】 53.加納宿 → 54.河渡宿   2018.05.02(水)

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新加納一里塚(百四里目)
鵜沼宿加納宿の間は、距離(四里十町・約17km)が長いため、旗本・坪内氏の陣屋を中心に「間の宿」として立場が置かれ栄えていました。

苧ヶ瀬駅 → 53.加納宿54.河渡宿 → 美江寺駅     約25km

今日は午後から雨予報。降り出しが遅いといいなぁ。

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苧ヶ瀬駅
今回は岐阜駅前のホテルに連泊。朝食を済ませて出発。ちょうど通学時間に重なり、電車の中は高校生でいっぱい。苧ヶ瀬駅で降り、山の前町交差点から中山道の続きを歩きます。

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山の前の一里塚
国道から側道に入ったところにある播隆上人碑が、百二里目の一里塚

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国道に合流します。交通量は多いです。各務原駅を過ぎたあたりから左側の歩道がなくなりました。歩道もあるし、しばらくしたら右側の側道に入るから、駅のところの信号で渡っておけばよかったなぁ。

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六軒一里塚
百三里目の一里塚。六軒茶屋の立場跡
三柿野町で国道から旧道に分かれた先にあります。国道の左側には航空自衛隊の基地がひろがっています。


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ナッシー(那加交番)
那加地区内での事件、交通事故の皆無(ナッシー)を目指し、住民の安全と平和を守っているそうだが・・・だいぶお疲れのようです。

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各務ヶ原市民公園
広い公園でひと休み。ずっと車道の脇を歩いてきたのでホッとします。

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あげぱんキムチ
気になるが今日は定休日。あげぱんとキムチは合うのか? キムチは各務ヶ原の名物らしい。

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日吉神社
狛がえるが鎮座しています。カエルにまつわる伝承があり、中山道の定書にはカエルの捕獲禁止の条も書かれていました。 境内はサギのねぐらとなっているもよう。見慣れない黄色っぽいサギが居るのだけど・・・あれはなんだろう。

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新加納に続く街道は昔の名残を残しています。

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ここはベイカー街221Bだったのか!

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切通陣屋跡
切通の由来は、岩戸南方一帯の滞留水を境川に落としていたことによる。」切通って、山や丘を削った道路のことだけだと思ってた。

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八幡宮
伊勢道追分の道標があります。この少し前あたりから時折雨がポツポツ。このまま降り出すのかしらなどと思っているうちに、手前にあった細畑の一里塚を見逃してしまいました。

53.加納宿
 中山道の宿場の中でも数少ない城下町で美濃16宿の中で最大の宿場町で宿長は二十一町半(約2,4km)ありました。宿内は鍵状に折れ曲がり往時をしのぶことができる区間です。 中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は805軒、うち本陣1、脇本陣2、旅籠35軒。宿内人口は2728人(男1296、女1432)

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中山道と御鮨街道の追分
御鮨街道って何だろうと調べてみたら、長良の鵜飼や小瀬の鵜飼で取れた鮎を「熟鮎」に加工して、岐阜街道(尾張街道)から東海道熱田宿を経て江戸まで運んでいたため、岐阜街道はいつの間にか御鮨街道を呼ばれるようになったそうです。いろんな街道があるんだね。

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番所

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加納城大手門跡

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当分本陣跡 本陣跡

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加納天満宮
雨が心配になってきたので、境内をお借りして雨支度。岐阜駅が近いので、少し街道を外れてお昼でもと思っていたけど、時間節約でコンビニ飯。

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こはちょっと狭いゾウ

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清本町2
しとしとと雨は降り続きます。雨ばかり気にしているうちに西番所跡も見逃してしまいました。どうも注意力散漫です。雨が酷くならないうちに、先に進みましょう。ここは東海道線のガードをくぐっていきます。

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多羅野八幡神社
「だらり餅」が名物の茶屋があったそうな。どんなお餅だったんだろう。

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河渡橋
長良川を渡る頃には雨はすっかり本降り

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橋を渡ったところで、ガイドブックはこの切れ目を渡れと言うが、無理なのでその先にある階段を下りてから土手に出ました。

54.河渡宿
 長良川の渡しのための宿場町でしたが、通過の旅人が多く、川止め以外は鄙びた宿でした。渓斎英泉「木曽海道六十九次 河渡」には長良川の鵜飼が描かれていますが、実際には今と同じくもっと上流の長良橋のあたりで鵜飼は行われています。 中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は64軒、うち本陣1、脇本陣0、問屋2、旅籠24軒。宿内人口は272人(男133、女139)

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土手の上にあるこの祠のあたりが、河渡の渡し跡。脇の階段を使って観音堂に下ります。この雨じゃ、今日はきっと川止めだね。

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河渡宿一里塚 (日本橋より百七里目)
奥に祀られている松下神社は、文化12年(1815)の大洪水に見舞われた際に、宿中を五尺盛り土で上げたことをたたえ、時の代官松下内匠に感謝して建立されました。

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雨がどんどん強くなってきました。何気に交通量が多くて、車が通るたびに水しぶきがかかったりしてちょっとブルーな街道歩き・・・

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樽見鉄道 踏切
今日の街道歩きはここで終了

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美江寺駅 (樽見鉄道
踏切からすぐのところに駅があります。無人駅でトイレもありませんが、屋根のあるベンチがあるだけでありがたい。本数が少ないので、一時間近く待つことになりました。ちょうどおやつの時間。濡れた雨具をしまって、おやつを食べながら列車が来るのを待ちましょう。

 というわけで、2日目は天気予報通りの雨となりました。午後から雨が降り出し夕方からは大雨に、といっていたので、それほど降られないかと思っていたのですが、お昼から降り始めた雨はすぐ本降りになってしまいました。岐阜のホテルに戻ったころにはもうどしゃ降り。歩いているときは、ここまでの降りじゃなくてよかったと思うべきか。休みが決まっているから仕方ないけど、歩くならやっぱり晴れている日がいいなぁ。今日は雨を気にして見逃してしまったところも多かったので、加納宿の辺りというより岐阜は御鮨街道を起点に、また歩いてみたいと思います。