マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【中山道 25日目 その2】 60.柏原宿 → 61.醒井宿    2018.09.15(土)

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寝物語の里
近江と美濃の国境は、細い溝で、この溝を挟んで両国の番所や旅籠があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」ので、この名になったといわれています。広重の今須宿の絵になっています。いよいよ美濃路岐阜県)から近江路(滋賀県)へと入ります。
 
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東山道中山道の分岐です。東山道には行きません。ここは左の舗装道路が中山道


60.柏原宿
 古くから東山道の宿駅をして栄えていて、建久元年(1190)源頼朝が初上洛した際宿陣しました。幕府領で後に郡山領となりました。 中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は344軒、うち本陣1、脇本陣1、問屋場6,旅籠22軒。宿内人口は1468人(男740、女728)

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久しぶりの中山道舗装? 案内板には柏原宿の略歴が書いてあります。

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照手姫笠掛地蔵
照手姫が笠を掛け一心不乱に祈りを捧げたところ地蔵は、「立ちかへり 見てだにゆかば 法の舟に のせ野が原の 契り朽ちせじ」 と告げ、小栗判官助重は全快したといわれ、お礼にお寺を建てて石地蔵を本尊として祀りました。小栗判官の物語にここでも出会いました。


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東見附跡

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旅籠屋跡

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吉村公三監督生家
と言っても監督映画作品は見たことがありません。でもTVの鬼平なら見たことがあるかも。

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本陣跡

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高札場跡

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伊吹堂亀谷左京商店は伊吹もぐさの老舗で、現在も当時の建物のままです。この日はお休みでした。

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柏原歴史館
大正6年(1917)に建てられた建物を利用しています。歴史館になっていて、ビデオや展示を見学。母屋と蔵の見学もできるのですが、靴を脱がないとなりません。係の人は大丈夫と言ってくれたのだけど、あまりにも足元が濡れて汚かったので今回はやめておきました。軽い食事ができます。

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柏原一里塚
江戸日本橋から百十五里目の一里塚が復元されています。一里塚を少し過ぎたあたりが柏原宿の西見附です。西見附の先の六地蔵の山道は東山道。ちょっと気になるところですが、今日は舗装道路の中山道を進みます。

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柏原宿 西見附

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小川の関跡
不破関以前に設けられた関で、小川、粉川、古河とも呼ばれました。東から来ると「左・中山道 右・旧中山道」と道が選べるようになっていたので、もちろん旧中山道を選択。獣害防止のための柵を開けて入っていきます。ちゃんと閉めて歩き始めると、中山道の緑の標識もありました。そしてお決まり?の廃車も。出口には柵はなくて中山道の舗装道路に合流します。西からの案内柱には、旧中山道の標示は無かったのできっと気づかずに進んでしまいそうです。

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石仏群
みんな可愛らしいよだれ掛けをしています。

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このあたりを歩いていてよく見る屋根と壁をつなぐ部分。のし瓦でいいのかな。名称がよく判らないのだけど、白漆喰と瓦がとてもきれいなコントラストをつくっています。この地方独特の造りなのかなぁ。


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松並木
梓川の脇を歩いていきます。東山道時代に横川の駅家(うまや)がこの辺りにあったといわれています。今は駅家ではなくラブホが並んでいます。

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鮮やかなオレンジのホテル脇から国道に合流すると、ここもまた、横断歩道も歩道もない国道。反対側には歩道があるので、車の切れ目を狙って横断です。車にしたらこんなところで人が横断すると思ってないからね~。十分に注意です。反対側の歩道はこんなに広いのになぁ。この先は歩道に沿って国道と分かれ旧道に入ります。


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一色の一里塚跡
江戸日本橋から百十六里目

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佛心水
旅人の喉を潤し、御仏の慈悲のもとで道中安全を祈願した井戸。とのことですが今は飲めないようです。

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鶯ヶ端
ちょうどこの辺りから京の空が望める名所でもありました。奥に見えるのが京の空ってことだぁ~。京都もだいぶ近くなってきたってことかぁ・・・
「旅やどり ゆめ醒井の かはほとり 初音もたかし 鶯ヶ端」 能因法師

61.醒井宿
 名水の里として知られ、清水が豊富で旅人の休憩地として賑わいました。 中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は138軒、うち本陣1、脇本陣1、問屋場7、旅籠11軒。宿内人口は539人(男266、女273)

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東見附
鶯ヶ端をくだると醒井の宿に入ります。

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賀茂神社
お祭りが近いのかな。提灯が飾られています。階段を上がっていくと醒井の街がよく見えます。

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居醒(いさめ)の清水
賀茂神社の鳥居脇には、名水「居醒の清水」があります。日本武尊伊吹山の荒ぶる神と戦い、傷ついた体の毒を洗い流した霊水とも伝えられています。この湧水が地蔵川の源泉。きれいな水景の醒井宿が始まります。

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きれいに咲いています。あちこちで見かけました。お彼岸が近付くと必ず咲くのは不思議だよね。

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梅花藻(バイカモ)
バイカモがまだ咲いていました。とても可憐なお花です。醒ヶ井の代名詞的なお花です。

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本陣跡

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問屋場跡 
醒井宿資料館になっています。当時のままの姿を残す貴重な建物です。

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昔ながらの街並みが続きます。ここのお醤油屋では、卵かけごはん専用のお醤油をお土産に買ってきました。


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王水
平安中期、天台宗の高僧浄蔵法師が諸国遍歴の途中でこの水源を開き仏縁を結んだと伝えられています。

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醒井郵便局舎 
こちらも醒井宿資料館になっています。大正4年(1915)創建され昭和48年(1973)まで使用されていました。十王水から駅に向かう途中にあります。

 久しぶりの中山道歩きは雨のスタートでした。新幹線に乗った時は青空も見えるくらいだったのに、名古屋で乗り換えて垂井に着いたらしっかり降っていました。三連休で予定を入れていたのでしょうがありません。降ったり止んだりのお天気でしたが、気温も最高で24度くらいだったみたいだから、真夏日に歩くよりは楽だったのかなぁ。
  関ヶ原宿は、ゆっくり古戦場めぐりをしたいところだけど、寄り道では済まないのでまた機会を見て訪れたいと思います。訪れた9月15日は関ヶ原合戦記念日ということで、雨にも関わらず古戦場めぐりらしい人を結構見かけました。壬申の乱の戦場にもなっていたのは今回初めて知りました。昔から要衝の地だったのですね。古戦場が有名すぎて中山道の宿場町という雰囲気は感じられませんでした。
  今須宿は、静かでひっそりとした感じの街でした。資料館や食事処もまったくないので通り過ぎる感じになってしまいました。
 柏原宿は、今須宿と一里も離れていないけど、案内板・資料館や休憩所もあるし、家の軒下には江戸時代の看板が掲げられていて、中山道の宿場町として力を入れているようです。
 醒井宿は、梅花藻でも有名な観光地です。昔の街並みも残っていてとてもきれいな街です。水まんじゅうや名水で入れたコーヒーは美味だし、お土産に買った卵かけごはん専用のお醤油・ぴよ丸もおいしかったです。
 今日歩いた区間は、宿場間にはコンビニやトイレはほとんどないけど、宿場間は短く、宿場内には最低一カ所はトイレが利用できるので安心して歩けます。ただ食事処は関ヶ原駅を過ぎてしまうと柏原宿資料館まで無い感じでした。雨だとゆっくり休憩できるところが限られてまいます。今回のお昼は持参したコンビニ飯でしたが、濡れていて座れなかったりでササッと済ませていたので、醒井でコーヒーブレイクした時はホッとしました。今日はここまでで、駅から東海道線で宿に向かいます。