マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【中山道 12日目】 29.下諏訪宿    2016.10.23 (日)

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和田峠(古峠)
標高1,531m。急峻な地形で足元が悪く、冬場には牛馬が使えないほどの積雪があり、路面凍結による転落の危険にさらされる中山道随一の難所と呼ばれていました。


男女倉口バス亭 → 和田峠29.下諏訪宿下諏訪駅  約15km



さて、いよいよ中山道最大の難所、和田峠越えに出発! 曇り空だけど雨の心配はなさそうです。


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民宿みや
朝ご飯はしっかり食べます。お弁当も作ってもらいました。715分には出発。民宿みやの御主人に昨日向かえに来てもらった男女倉口バス停まで送ってもらいます。一つ手前の観音沢バス停までは小学校5年生の女の子連れの三人家族と一緒。家族で中山道踏破なんていい思い出になるよね。


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バス停の気温は8℃。やっぱり寒い。道路を横断して峠の入口に向かいます。ストックの準備やら、写真を撮ってたら、先ほどの親子連れに抜かれてしまいました。時刻は7時45分。さて、頑張っていきましょう!


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三十三体観音
かつて山の中腹にあった熊野権現者の石仏が安置されています。峠越えの無事を祈ります。


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山の紅葉も色づいてきました


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接待茶屋跡
142号線と交差したところにあります。江戸の豪商が中山道の難儀を思い幕府に寄付をして設置された施工所の一つで、12月から3月までの旅人に粥と焚火、牛馬には桶一杯の煮麦を接待していました。意気だね~。昔の金持や名主は自分の責任をよくわかっている人が多かったのね。ここには名水もあってポリタンクを沢山車に積んできた人たちが水を汲んでいました。お店で使うのかな~


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石灯籠


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お約束の倒木越え


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暑くなったので避難小屋で身支度を整えます。ここからしばらく石畳の道が続きます。道が崩れないためには必要なんだけど、歩きにくいよ


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半分こ


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広原の一里塚(五十二里目)


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何年も前に閉鎖された青少年キャンプ村


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あちこちで見かけるクマ出没注意の看板
そういえば今朝もクマの目撃情報があったって民宿で言ってたっけ。女三人かしましくてクマも避けるかな。


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東餅屋跡
新和田トンネルが開通してめっきり車の通りが少なくなって、5年ほど前に廃業。すっかり廃墟と化しております。


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トンネルでビーナスラインくぐります。
雨が降ったら歩けるのかなぁ。この先にクロ石(ガーネット)採取禁止の看板がありました。ザクロ石はわからなかったけど、足元に気を付けて歩いていると、小さな黒曜石が見つかります。


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中山道と中央分水嶺トレイルの道標
中央分水嶺と交わるビーナスラインとの交差のところに「きのこ汁」の看板がありました。いま思えば看板につられて「農の駅」まで歩けばよかった・・・・。時刻は9時半。まだまだ元気で峠を目指していたのでした。


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標高が上がってきたからかな。植生が変わってきました。


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オッと、チョコボール
沢山落ちてるぞ・・・・・・鹿の落とし物でした。


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やった~!到着!! 頂上で立ち止まると一気に冷えてきました。寒い! 気温は何度だろう。上着を一枚重ねます。時間は10時。男女倉口からの上りはよく整備されていて2時間ほどで登れました。何となく楽勝気分の登頂です。


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頂上からは、諏訪の街並みと諏訪湖が見えます。諏訪湖がよくわからないな。曇っているのがちょっと残念。


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賽の河原
下り口のポストには、和田峠から下諏訪までの地図が入っていました。なんて親切。下り始めてすぐにガレ場がありますが、気をつけて下れば大丈夫。


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七曲り
ガイドブックには危険なガレ場の道と書いてありましたが、狭いけど整備されていて、思っていたほど危険ではありません。ありがたいことです。


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ホコリタケ?
変わったキノコ発見。ストックでつついてみるとぶわっ~と煙(胞子)を吐きだします。おもしろーい。


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湧水が飲めるらしいのですが、ちょっと勇気がいります。


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石小屋跡
人馬の避難やに置き場として使われていました。


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熊笹の茂る足場の悪い道が続きます。雨の日はきっと川だ。


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道の左右で全然植生が違うんだよ。日当たりかなぁ。面白いね。


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オッと!危ない!
道をふさぐ倒木と、ゴロゴロした大きな石。上を見上げると国道の石垣が崩れて落ちていました。こんな大きな石が上から落ちてきたらひとたまりもありません。この辺りから先の道はだいぶ荒れています。


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西餅屋跡
幕末、水戸天狗党との合戦の際に焼失。時間は11時。ベンチに座って民宿で作ってもらったおにぎりをいただきます。大きかったので一個で十分。そんなに体力を消耗するほどではないので、行動食を持っていればそれで足りるかも。食べていたら下りてきたのは見たことのある親子連れ。先に行ったとばかり思っていたら、農の駅に寄っていたんだって。・・・・正解です。


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西餅屋一里塚碑(五十三里目)
国道を渡りさらに進んでいきます。


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一里塚の先は肩幅程の狭い崖道がしばらく続きます。今日は問題なく歩けたけど、雨が降っていたり濃霧だったら怖いよね。


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国道に合流しました。この先の旧道は国道の拡張により確定していないため、国道を歩いてくださいと案内板が立っています。ガイドブックもこの先は国道を歩くようになっています。トラックや車がすぐ脇を通る歩道のない道を歩いていきます。この先1キロ程歩くと標高1100mの案内板があります。約4時間かかりました。


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浪人塚
峠から5キロ程下ったところで旧道へ入り国道をガードをくぐると浪人塚があります。元治元年(1864)1120日 この地で水戸浪士武田耕雲斎たち千余人と、松本・諏訪の連合軍千余人が戦った古戦場で、浪士たちの戦死者が葬られています。


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樋橋一里塚跡(五十四里目)へは産廃施設の中を通らないと行けません。休日で門がしまっていたので先に進みます。後ろを振り返ってみました。どこが峠だろう。でもあの山の向こうから歩いてきたんだよね。


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町屋敷バス亭で国道を地下道で渡って旧道へ入ると四柱に囲まれた道祖神


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木落し坂
七年に一度行われる御柱祭りの御柱はこの坂の上から落とします。思っていたよりも狭くて急な坂です。ここを御柱に乗って下るのは怖いなぁ~


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注連掛
木落し後、御柱に注連縄を掛けてここで休ませます


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諏訪湖が見えてきた



29.下諏訪宿
諏訪大社下社の門前町として古くから栄え、甲州道中との合流地、東に和田峠、西に塩尻峠を控えた中山道唯一の温泉地として賑わいました。 中山道宿村大概帳(天保14年・1843)によると、宿内家数315軒、うち本陣1脇本陣1、旅籠40軒、人口1345


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諏訪大社は全国各地にある諏訪神社総本社であり、諏訪湖を挟んで南に上社、北に下社があります。更に上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれて鎮座しています。
 
春宮に到着。もう14時過ぎた。国道の下りが長い!やっとトイレだ~。男女倉口から登り始めてからの初トイレです。途中の国道にはコンビニもないし、昔はやっていたんだろうと思われる温泉施設も閉鎖。木落とし坂にもないの。本当にトイレがありません。峠までは登りで汗もかいていたけど、峠は寒かったし、下りはあまり汗をかかなかったので、本当にきつかった~。よく我慢した!


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優しいお顔の仏様です。万治三年(1660)と記されていています。春宮に石の鳥居をつくる時、この石にノミを入れたところ血が流れ出し、石工は驚きこの石に阿弥陀如来を祀ったとのことです。


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矢除石(慈雲寺)
武田信玄は慈雲寺の和尚から矢除の霊力を貰った石を授かりました。石に手を当ててパワー注入。


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伏見屋邸

下諏訪の一里塚(五十五里目)を過ぎた先にある伏見屋では、江戸時代当時の建築様式や生活用品の展示が無料で見学できます。ボランティアの方がおいしいお茶とお菓子で表ない。中でも、冷凍干し柿の美味しいこと!ごちそうさまでした!



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中山道本陣岩波家
伏見屋邸から温泉街の坂を上っていくと本陣があります。中山道随一と言われる庭園をもつ本陣で皇女和宮や諸大名が泊まりました。おいくつなんだろう。高齢の奥様が受付をしていて本陣の案内をしてくれます。明治以降、本陣の敷地も本家(岩波家本陣)と分家(かめや)に分かれてしまい、いろいろと御苦労もあったようです。もうちょっと手を入れたいと思わせる本陣です。いろいろあるんだろうなぁ。維持していくのは大変そうですが、いつまでも残してほしいですね。


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綿の湯
上社の諏訪明神建御名方神のお妃八坂刀売神が、化粧用の湯を綿に浸し湯玉にして下社の地へ持ってきた際にその湯玉を置いた場所から湧いたのがこの温泉です。神聖なのでやましいものが入ると神の怒りに触れて、湯口が濁ったと云われています。この日は残念ながら閉まっていました。
下諏訪宿 甲州道中 中山道 合流之地碑
綿の湯の前が、甲州道中と中山道の合流地点。甲州道中を歩いて来たらここがゴールです。またいつか来るよ。


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秋宮にもご挨拶


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秋宮から甲州街道との追分に戻り風情ある旧道を歩きます。国道に戻り、下諏訪駅前交差点まで歩いたら、本日のゴールです。


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下諏訪駅前交差点で今日は終了です。下諏訪駅から電車で帰ります。諏訪大社の近くには沢山お店があったけど、駅の周りは閑散としています。駅にコンビニはあるけど、おやき食べながら帰ろうと思っていたのに、売っていません。途中で買ってくればよかったな。これからしばらく中央線が旅の足となります。
 
 
中山道最大の難所、和田峠。覚悟をしていたのですが、思っていたよりも道は整備されていて歩きやすかったです。道標はしっかりしているので、迷う心配はないと思われます。和田側の登りはハイキングコースと言ってもいいくらい整備されています。下諏訪側は荒れていると聞いていたけど道はそれほど悪くありませんでした。ただ、これは雨に降られなかったからで、雨が降ったら下諏訪側は道が川になってしまいそう。特に石小屋~西餅屋~旧道消失の国道合流地点までは大雨の日は歩かない方がいいような気がする。動物には合わなかったけど、シカ以外のものと思われる落とし物もあったし、クマの目撃情報は出ているので熊鈴は必須。そして一番の問題はトイレでした。男女倉口から登ってすぐの避難小屋には一応トイレはあったものの、あまりに年季が入りすぎていて使えるかどうかは微妙。その先のキャンプ場や東餅屋は廃屋になっているので使えません。ビーナスラインを横切るところにキノコ汁の看板があったら近くに農の駅があるので寄っておくのが賢明です。その先は諏訪神社春宮までトイレはありませんでした。よく我慢した! 最初は和田宿からの予定もあったのだけど、男女口からでよかった。上りも下りも山道自体よりも前後のだらだら坂の国道が疲れる上にコンビニもない。山の中だと管理は大変だから、国道沿いや浪人塚辺りに有料でもいいからトイレがあればうれしいのにとつくづく思ったのでした。