マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【中山道 11日目】 28.和田宿    2016.10.22 (土)

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和田宿本陣
文久元年(1861)の大火で焼失したものの、和宮降嫁を受けて同年11月に再建されました。明治維新後は役場として使用されていましたが、現在は往時の姿に復元され一般公開されています。



長久保バス亭(長久保宿) 28.和田宿 → 男女倉口バス亭  約17km



中山道最大の難所といわれる和田峠攻略に出発です。コロコロと変わる天気予報に心配していたけど、お天気は何とか持ちそうです。今回も心強い仲間が一緒。女三人かしましくスタートといきましょう。明日の峠越えに向けて、峠入口近くのバス停男女倉口を目指します。



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旧旅籠辰野屋(長久保宿
幸村公に見送られて上田駅から9時発のバスで長久保バス停まで移動。長久保宿からスタートです。


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四泊一里塚跡
長久保宿を出て国道に合流し、しばらく歩いて旧道に分岐すると一里塚跡があります。歩道も信号も無いので歩行には注意です。


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落合橋
大和橋を渡って国道142号線を行っても中山道に合流するのだけど、ここはいったん152号線に入り落合橋を渡って142号線に抜けます。落合橋は広重の長久保宿に描かれた橋です。ちなみに152号線の大門道は、武田信玄が信州攻略のために造った棒道といわれる軍事道路です。そして落合橋にかかる案内板は、今夜の宿、民宿みや御主人の手作り。橋を越えて民宿まで来てしまう人が多くてつけたんだって。


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水明の里ポケットパーク
青原交差点の先で国道142号線から旧国道142号線に入ります。歴史に道の碑や案内板、馬頭観音群が祀られています。


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上深山口バス停
藁ぶき屋根のバス亭だ!


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大きなリュックを背負った外人女性とすれ違い。中山道を歩いているのかなぁ。寝袋も持ってた。まさか途中で野宿とか?中山道は最近、外国の人に人気のようです。案内板はわかりやすいところに立っているけど、英語の表記はほとんど見かけないから歩くのは大変だよね。


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ミミズの碑
地元の人がミミズに感謝をして祀りました。ミミズは土を肥やすほか、はらわたを出してミミズの干物を作り解熱剤として煎じて使っていました。


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街道沿いの畑ではサツマイモを収穫中。
「持ってけ!」って言われたけど、峠越えを控えた身にはちょっと重すぎた。残念。それにしても立派なサツマイモ。土が良すぎて大きく育ち過ぎちゃうんだって。ミミズのおかげだね。


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可愛らしい招き猫


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信濃路に入ってからよく見る円柱状に刈り込んだ植木。最近の流行りなのかな


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地下道
道路の反対側に渡る地下道。新しい国道ができるまでは交通量が多かったんだろうけど、今は必要ありません。ここの案内板は、「地下道を通って奥に見える脇道を行け。」といっていますが、ガイドブックはこのまま旧国道を行くことになっています。一里塚は旧国道沿いにあるので、ガイドブックに沿って歩きます。


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上組の一里塚跡
江戸日本橋(四十九里目)



28.和田宿
難所の和田峠を控えて大いに賑わっていました。文久元年(1861)3月の大火でその大半を焼失してしまいましたが、同年11月に皇女和宮一行の宿泊が決定していたため、幕府からの拝借金で急遽再建されました。 中山道宿村大概帳(天保14年・1843)によると、宿内家数126軒、うち本陣1脇本陣2、旅籠28軒、人口522


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是より和田宿


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レトロな和田中学校


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木曽海道 和田
中山道の俗称で、中山道として整備されるまではとにかく険し山道で、とても私のようなヘタレの歩ける道ではありませんでした。


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和宮やきそば
春巻きの皮に入った焼きそばで、汁を架ければラーメン風にもなるという和宮やきそば。相棒が美味しそうだからと聞きつけて予約してくれました。和田宿から少し離れた、ふれあい食堂でいただけます。おいしいけど、街道を離れて坂を上ってまでわざわざ食べに行くほどではないかな。温泉に入るついでならいいかも。この後、和田峠に向かって歩いていたら突然車の中から声をかけられて、誰かと思ったら食堂のお姉さんでした。びっくりした。


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和田宿本陣
石置きの板葺の屋根に使われている手割りの栗板。手割にこだわっているのは水はけがいいためだそう。板は裏表、上下に差し替えて4回使えるそう。石の数は・・・聞いたけど忘れちゃった。


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かわちや
和田宿の中では規模の大きな旧旅籠で、現在は歴史の道資料館として復元されています。


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六文銭は真田の領地だった名残


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大きくて立派なうだつ


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鍛冶足の一里塚跡(五十里目)


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旧道から国道に合流するとしばらく歩道がありません。旧国道とは違って車通りが多くて道路の端っこを小さくなって歩きます。歩道が出てくるとホッとします。


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唐沢下バス停のところで道が三又に分かれます。真ん中は国道で、右は立場のあった中山道。ガイドブックのここを行けと言っています。左は天保二年(1831)に付け替えられた古中山道の山道。一里塚が残っています。国道歩きに飽きた一行は山道を進みます。


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長久保宿を抜けてからお世話になっている、青い道標が案内してくれます。


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唐沢の一里塚跡(五十里目)


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男女倉口 バス停
本日のゴールに到着。標高は1,100m。気温は14℃。歩いているときは思わなかったけど、立ち止まるとヒヤッとします。そして思っていたよりも和田宿からここまで遠かった。地図を見ていればそうなんだけど、だらだら坂が結構疲れます。バス停から今日泊まる民宿の御主人に連絡をして迎えに来てもらいました。


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本日泊まるのは中山道ウォーカー御用達の「民宿みや」 和田峠越えのアドバイスもしてくれます。晩御飯の地物お野菜はとても美味しい。ご飯も土鍋で炊いているんだよ。これでお風呂に入って明日の峠越えに備えましょう。



*おまけ* 
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バス停コレクション
長久保~男女倉を走るバスのバス停はいろんな形があって楽しいです。でも道の片側にしかないんだよ。逆方向に乗るときは反対側で合図をすれば停まってくれるって。