マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【甲州道中 13日目】 45.上諏訪宿 → (5.9km) → 下諏訪宿  2020.10.25(日)

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諏訪大社 下社秋宮

諏訪大社下社秋宮

諏訪神社の総本社諏訪大社は、諏訪湖を挟んで、南の上社(本宮、前宮)、北の下社(秋宮、春宮)の4か所に鎮座しています。建御名方神と妃神・八坂刀売神、下社には併せて御兄八重事代主神を祀ってあるが、一般には上社が男神、下社が女神を祀るといわれています。社殿は,本殿のない「諏訪造り」です。 (観光パンフレットより)

 

茅野駅 →  (約6.2km)45.上諏訪宿 → (5.9km) →下諏訪宿 約11km

 

 いよいよ甲州道中も最終日を迎えました。今日は雨の心配はありません。駅前ホテルでゆっくりと朝食を済ませて出発です。途中で足を骨折した彼女もリハビリしながら少しづつ歩いて茅野まで来ていました。駅で待ち合わせて一緒にゴールです。

 

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金剛寺

駅前から歩いて国道に合流すると、あちらこちらに小路の名前が記されています。ここは諏訪大社上社の大祝(おおほうり)を務めてきた諏訪氏 惣領家 諏訪信満が文正元年(1466)に築城した上原城の城下町でした。その後、武田氏の領地となったものの、天正10年(1582) 武田氏の滅亡により廃城。城下町の機能は、諏訪高島城へと移ったのでした。ここは諏訪氏鎌倉五山になぞらえて建立した上原五山のひとつ金剛寺の跡地です。この奥の山頂に上原城跡があります。

 

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郵便局の矢印が見えたら左に曲がります。曲がった御ころには甲州街道の案内碑。奥に見える山に上原城がありました。中央線のガードをくぐると上り坂になります。

 

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大門追分道標

郵便局の矢印のほうから歩いてきました。左の道は大門道/山浦道とあります。中山道脇往還で、大門峠を越えて長久保宿のはずれで中山道と合流します。

 

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信州といえばリンゴ。おいしそうに色づいてます。

 

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神ノ木神社

神社という神社にはすべて御柱が建っています。ほんと諏訪ならではですね。神社の手前に頼重院がありました。武田信玄の命により非業の死を遂げた諏訪頼重菩提寺です。

 

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神戸の一里塚

江戸日本橋から五十一里目

 

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スズメ踊りの建物を見かけるようになりました。中山道を歩いた時に教えてもらったんだ。諏訪や塩尻独特の屋根飾りです。神社建築からきているとも、風の被害から守るための工夫から始まった実用的な飾りともいわれています。

 

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雪を被った山が見えます。北アルプス 穂高連峰でしょうか。

 

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足長神社

諏訪大社の祭神に随従する足長彦神を祀っています。だいぶ階段を登らないとならなそう。

 

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秋葉神社

御膳水の脇を抜け細い路地を入っていくと秋葉神社があります。いいです。

 

45.上諏訪宿

高島藩三万石の城下町。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は232軒、うち本陣1、問屋1、旅籠14軒。宿内人口は972人(男488、女485)

 

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十王堂跡

上諏訪宿江戸口

 

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銘酒 真澄 本金 横笛 麗人 舞姫

諏訪の酒蔵が集まっています。

 

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素敵な看板建築の建物も残っています。

 

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諏訪一丁目の交差点でいったん街道を外れます。高島城へ寄り道です。詳細は後日。ちょうどお昼時になったので、並木通りの「ごちそう処きむら」で、信州みそカツ丼をいただきました。

 

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吉田の松

交差点まで戻り旧道へ入ります。樹齢約300年の立派な松が見えてきました。代々吉田家の庭園に育てられたものを昭和の初めに旧甲州街道沿いに移したクロマツで、市内最年長樹だそうです。よく手入れされています。

 

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下桑原の一里塚

江戸日本橋から五十二里目

 

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それにしてもこの辺りの段差はすごいですね。諏訪は、糸魚川静岡構造線中央構造線が交差する地。諏訪湖は中央高地の隆起活動と糸魚川静岡構造線の断層運動による地殻の引き裂かれで生じた構造湖(断層湖)で、かつては岡谷から茅野辺りまでの大きさだったそうです。諏訪四社はその頃の湖畔に建立されています。大きな地殻変動のあったところには、大地を鎮めるため必ず神社があるそうです。で、ここは断層崖になるのかな。茅野駅前の大鳥居の下も断層崖だそうで、いろいろ入り組んだ断層の上を歩いてきたってことになる? ブラタモって欲しいです。

 

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温泉寺

坂を上っていくと高島藩主二代目諏訪忠恒が菩提寺として建立した温泉寺があります。

 

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児玉石神社

境内には五個の大石があり、拝殿前にある二個の大石は「いぼ石」と呼ばれ神社のシンボルとなっています。大石のへこみに溜まった水で洗うといぼが治るそうです。大きな石には力を感じます。

 

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先宮神社

以前より先住民の産土神でしたが、「建御名方命」が諏訪神社に鎮座した当時、国譲りのため抵抗したがついに服従し、この地にとどまることは許されたものの、他地に出ることは許されず、今でも境内前の小川には橋が架けないという言い伝えがあります。諸説あるようですが、確かに橋はありませんでした。この立派なケヤキは樹齢約650年といわれています。

 

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ケヤキ

こちらのケヤキも大木です。説明板はないけど大きな洞があるから、きっとこれも長い年月を過ごしているのでしょう。

 

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諏訪湖がよく見えます。キラキラと輝いています。

 

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茶屋橋本屋跡

高島藩主も賞味した鯉料理が名物で、建物に接した門は高島城三の丸門を移築したものです。建物裏手には、殿様おひねりの松(樹齢250年余)もあります。

 

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コロナに負けるな!

 

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一里塚 

江戸日本橋から五十三里目 

甲州道中最後の一里塚です。あと十一町(1,100m)で下諏訪宿です。

 

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旧承知橋の一枚岩

承知川にかかっていた橋石です。武田信玄川中島出陣の際に先勝祈願をしたが・・・云々と書いてありますが、勝ったのか負けたのかよく理解できませんでした。岩に刻まれている煉瓦模様は滑り止めとも、信玄埋蔵金の隠し図ともいわれています。ここまで来たら諏訪大社下社秋宮までは、あと300mです。

 

下諏訪宿中山道甲州道中)

諏訪大社下社の門前町として古くから栄えました。中山道甲州道中の追分の宿です。中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は315軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠40軒。宿内人口は1345人(男706、女639)

 

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諏訪大社下社秋宮

とりあえず頭だけ下げて鳥居の前を過ぎます。

 

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甲州道中 中山道 合流の地碑

中山道との合流地点に到着しました!

 

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諏訪大社下社秋宮

秋宮に戻ってお参りをしました。中山道以来です。ありがとうございます。

これからも安心して旅ができるようにお祈りしてきました。疫病退散!

 

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境内では菊花展が行われていました。きれいです。

 

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こちらはご当地マンホール

 

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中山道を通って駅に向かいます。「中山道」の文字。懐かしい~うれしい~!

 

 昨年の今頃には歩き終わっていたはずですが・・いろいろあってやっと下諏訪までたどり着きました。中山道和田峠を越えて下諏訪についたのはもう4年も前。2016年の10月23日。だいぶかかりましたねぇ。やっと繋がりましたぁ! 五十三里余、約212㎞の旅でした。

 それにしても去年の今頃はこんな状況になるとは全く思ってもいませんでした。新型コロナウイルス感染症。世界中でロックダウンが必要になるとは。10月にGoTo東京解禁でやっと完歩できました。帰りのあずさもほぼ満席でしたし、人出が増えているのはGoTo効果でしょうか。ありがたく利用させていただきました。でも延長は無しでしょう。人の移動を促すという目的は果たしたし、それ以上の問題点が多すぎ。民間企業並みの検証をして欲しいものです。それとここにきて感染者数が増えてきているのもちょっと心配。人が動けばウイルスも動く。遠出はここしばらく無理かな。うがい、手洗い、マスクにソーシャルディスタンス。しっかり感染対策をして過ごしましょう。