マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【中山道 13日目】 30.塩尻宿 → 31.洗馬宿    2017.5.12 (金)

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標高1,055m。急峻な地形で足元が悪く、冬場には牛馬が使えないほどの積雪があり、路面凍結による転落の危険にさらされる中山道随一の難所と呼ばれていました。写真は峠にある塩嶺御野立公園の展望台から諏訪湖方面。本当は正面に富士山、右手に南アルプス、左手に八ヶ岳が見えるはずなんだけどなぁ。
 
 
 
下諏訪駅塩尻峠 → 30.塩尻宿 → 31.洗馬宿洗馬駅  約17.6km
 
 
久しぶりに中山道歩きの再開です。


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下諏訪駅前交差点
下諏訪駅で降りたら身支度を整えて、前回の終了地点まで歩いてスタートです。


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魁塚
赤報隊は「偽官軍」の冤罪で相良隊長以下幹部八名が慶応四年(1868)下諏訪で斬首されました。


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こんなに狭い道も中山道
道標がなければ見過ごしてしまいそうです。


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旧渡辺家住宅
高島藩の散居武士の住宅


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東堀正八幡宮(芝宮)
諏訪に入って思ったこと。神様はみんな御柱で囲まれている!


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道祖神御柱に囲まれています。
御幣のある道祖神は珍しいんだって。御柱に囲まれた道祖神がたくさんありました。


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東堀の一里塚
江戸から五十六里目


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本棟造り 雀おどり
下諏訪から松本あたりに多い本棟造りの家がたくさんあります。屋根には「雀おどり」と呼ばれる胸飾りがついてきます。


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今井茶屋本陣跡
塩尻峠の東側登り口には当時四軒の茶屋がありました。ここ今井家では皇女和宮が御小休されました。旧道のすぐ脇をはしる20号線にあるファミマを逃すと塩尻宿までコンビニはありません。


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石舟観音
足腰によく効くそうです。岩舟観音の近くで犬の散歩をしていた方が、毎年下諏訪から岩舟観音まで中学生が走るマラソンがあるんだって教えてくれました。峠越えの前にはしっかりとお参りしなくちゃ。ここまではまだ序の口。この先どんどん坂が急になっていきます。入口の脇に清水が湧いています。コップがあるから飲んも大丈夫でしょう。5月というのに夏のような暑さ。冷たいお水は何より一番。で、この龍は?


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大岩
木曽路名所図会にも載ったこの大岩は、高さ二丈(約6m)、横幅二間余(3.6m)。後ろを振り向くと諏訪湖が見えました。舗装された急坂が続きます。でも距離は短いから頑張ろう。途中で「熊注意」の看板発見。そうだ!熊いたんだ!すっかり鈴を忘れてしまいました・・・。おしゃべりしながら登りましょう。


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何処にも塩尻峠とは書いてないけど、たぶんここが標高1055m塩尻峠。正面に道は見えないけど、下り坂がつづいています。


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塩嶺御野立公園
峠のすぐ脇にある公園の展望台からはとても気持ちのいい眺め。これで富士山が見えたら最高なんだけどな。諏訪湖を眺めながらおにぎりで軽くお昼です。奥にはトイレもあります。


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こちらには北アルプスが見えるはず


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上条茶屋本陣跡
峠を下ります。ここで皇女和宮も休憩されました。


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東山一里塚
南塚が残されています。江戸から五十七里目


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綺麗な菜の花の奥では、おばあさんが一休み。


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この辺りにはヒノキ並木があったそう。
この先で長野自動車道を越えます。みどり湖PAまで下りることもできます。


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本棟造り
長野自動車道を越えてしばらく歩くと、本棟造りの立派な旧家が街道沿いに沢山並んでいます。


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柿沢一里塚
日本橋から五十八番目
 
 
 
30.塩尻宿
 伊奈街道(三州街道)、五千石街道(糸魚川街道)、松本街道(善光寺西街道)の要衝で、東に塩尻峠を控え大いに賑わい旅籠数は中山道二番目の多さでした。中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は166軒、うち本陣1脇本陣1、旅籠75軒。宿内人口は794(411、女383)。文政11(1828)と明治15(1882)の二度の大火で宿並みは焼失してしまいました。


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仲町交差点 6110
是より西が塩尻宿


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小野家住宅
元旅籠屋いてうや跡。嘉永三年(1850)の建築


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本陣跡と脇本陣跡が並んでいます。


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陣屋跡
現在は笑亀酒造となっています


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阿禮神社


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神社の狛犬はとってもユニーク。
片方が崩れてしまっているのはちょっと残念


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阿禮神社脇の小学校前に「是より東 塩尻宿」の碑があります。


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堀内家住宅
本棟造りの家屋は修理中


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耳塚
桔梗ヶ原の合戦(1548)で、武田晴信(信玄)小笠原長時が戦った際、討死した将兵の耳を葬ったところといわれ、耳の聞こえに御利益ありといわれています。想像するとちょっと怖い・・・


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立派な長屋門です。


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昭和電工の工場わきを歩いていきます。まっすぐな道路が延々と続きます。


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平出一里塚
両塚が現存しています。日本橋から五十九番目


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平出遺跡
縄文時代から平安時代にかけての大集落跡。古墳時代の竪穴式住居を復元しています。今日は外からちょっと眺めただけ。


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19号線に合流。そういえば東海道を歩いていた時は、距離ポストが気になって仕方なかったなぁ。只今の気温は23


31.洗馬宿
 慶長十九年(1964) 中山道塩尻峠経路に付け替えられた際に、塩尻宿、本山宿ともに新設された宿。北国往還善光寺道の追分にあたり大いに賑わいました。明治42(1909)中央線の開通により宿場の賑わいはなくなり、さらに昭和7(1932)の大火でほとんどが焼失してしまいました。中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は163軒、うち本陣1脇本陣1、旅籠29軒。宿内人口は661(男340、女321)


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肘懸松
「肘懸けて しばし憩へる 松陰に たもと涼しく 通ふ河風」と唄われたアカマツの名木がありました。ここから細い道をくだり洗馬宿へ向かいます。


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分去れ常夜燈
中山道と北国脇往還の追分にあった城や堂は、安政四年(1857)の建立。追分は子の常夜燈から少し洗馬寄りにあります。洗馬宿へと入ります。


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洗馬宿
広くてまっすぐは宿場内の道。これは大火のあとに整備されたものです。


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無人駅です。でも待合室とトイレはあります。次の駅まで歩くと次の列車にも乗り遅れそうなので、本日はここで終了して塩尻駅に向かいます。私たちがちょっともたもたしていたら、一緒に電車を待っていた男の子が乗り方を教えてくれました。ワンマン口で乗車し、整理券をとって塩尻駅清算です。



 中山道歩きを再開です。峠越えの三人で歩く予定でしたが、なかなか予定が合わず今回は二人で歩いてきました。塩尻峠は峠と言っても、全部舗装されているし、そんなに長くないので和田峠に比べれば楽勝です。ただ最後のほうは結構急坂が続きますが。歩き始めた時は晴れて、とっても暑かったのに、だんだんと雲が出てきました。富士山が見えなかったのはちょっと残念。峠を下ればもう後はほとんど平坦な道が続きます。塩尻宿塩尻駅はちょっと離れているので、今回は駅の近い洗馬まで歩きました。電車の本数が少ないので、ちょっと注意です。駅に着いたら観光案内所で翌日からの情報をゲットして、駅近くのホテル(中村屋)にチェックイン。男性は大浴場があるのに、女性はないの。入れ替えにしてくれるといいのになぁ。


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山賊焼き
夕飯は駅近くのお蕎麦屋さんで、名物の山賊焼きとおそばです。山賊焼きは食べ応えがあります。