「五月雨の 降り残してや 光堂」
天治元年(1124)の造立。藤原氏滅亡後、多くの堂塔が焼失したなか現存する唯一の創建遺構です。金色のお堂の中には、本尊の阿弥陀如来。脇侍の観音・勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天が本尊をとり巻き、螺鈿細工や蒔絵、彫金で装飾された内陣は平安仏教美術の最高峰をなしています。金堂は保存のため、1965年に建てられた鉄筋コンクリート造りの覆堂内のガラスケースのなかに収められています。
小学生のころに行ったはずですが、よく覚えていません。お祭りもやっているということなので平泉をまわってきました。
柳之御所遺跡跡
道の駅 平泉
柳之御所遺跡の近くに2017年4月27日にオープンしたばかりのピカピカの道の駅です。
春の藤原まつり
高舘義経堂
頼朝に追われた義経は、藤原秀衛の庇護のもと高館に住んでいましたが、秀衛の死後、頼朝の圧政に耐えかねた秀衛の子・泰衛の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝えられています。
「夏草や 兵どもが 夢のあと」
芭蕉はこんな景色を見ながら詠んだのでしょうか。勝った歴史だけが続いていく世の中だからこそ、敗者に思いをはせ忘れないでいたいものです。
仁王様
義経堂脇の資料館には作者時代不詳の仁王様。素朴だけど存在感があります。
卯の花清水
現在、水は枯れてしまい水道水だとか
義家
850年、慈覚大師円仁の開山。12世紀初め奥州藤原氏初代清衡公が前九年後三年の合戦の死者を弔うため大伽藍を造営しました。
春の藤原まつり 本行列
毛越寺 本堂
毛越寺 大泉が池
かつては広大な浄土庭園が配されていました。
二代基衡の妻が建立した寺院。建物は失われてしまいまいたが、舞鶴が池を中心に遺跡が修復整備されています。
KOZENJIcafe
東北の3日目は平泉。この日は藤原まつりが行われていました。中尊寺や毛越寺の会場では混んでいたのかもしれないけど、沿道はすいていて、行列も観客ものんびりと楽しんでいました。行列に合わせて行ったり来たりになってしまいましたが、世界遺産になったせいか、子供の頃のうろ覚えな平泉に比べるととてもきれいに整備されています。柳之御所跡や無量光院跡で旗が立っていて、なんだろうと思ったら、平泉文化遺産センターで当時の様子を再現したVRが見られる装置を貸していたそう。リサーチ不足でちょっと残念。広大な大地に煌びやかな伽藍が立ち並ぶ様は見事だったでしょうね!それをみたらきっと、将来自分の敵となりそうな平泉はつぶしておきたいと権力者なら思うはず。奥州征伐(最近では奥州合戦というそう。確かに勝者側の言い分だもの)に義経を匿ったのはちょうどいい口実になったというというわけです。歴史にifはないけど、藤原氏で栄え続けたら東北も変わっていたでしょうね。