マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【中山道 14日目】 31.洗馬宿 → 32.本山宿 → 33.贄川宿 → 34.奈良井宿    2017.5.13 (土)

イメージ 1
木曽路最大の難所 鳥居峠を控え、又、桧物細工、敷居、漆櫛等の木工業が盛んで大いに賑わいました。木曽路の中でも標高(940m)が最も高く、王子の面影を残す宿並は国の重要伝統的建物群保存地区に選定されています。


洗馬駅31.洗馬宿 32.本山宿33.贄川宿 34.奈良井宿  約18.8km


街道歩き2日目。天気予報のとおりに朝から雨です。大雨にはならないことを祈りましょう。


イメージ 2
塩尻駅817分発の電車に乗ります。本数が少ないので、これを逃すと次の電車は1050分までありません。821分に洗馬駅に到着。待合室でレインウェアを着たりリュックカバーをつけたりしてしっかりと雨支度。


イメージ 3
洗馬宿本陣跡
街道に戻り昨日の続きの洗馬宿を歩いていきます。
雨の中、宿場の写真を撮っていたら声を掛けられました。洗馬歴史同好会の内山さん。手作りのプリントで宿場の解説をしてくれました。慶長19(1614) 中山道塩尻峠を通る路線に変更され、本山・洗馬・塩尻三宿が新設されました。大火で何もなくなったといわれる洗馬宿ですが、400年の歴史があります。


イメージ 4
洗馬宿 高札場跡


イメージ 5
言成地蔵
願い事をかなえてくれるお地蔵さん。無事に中山道を完歩できますように!
洗馬宿ともお別れ。本山宿へと向かいます。


イメージ 6
牧野一里塚
日本橋から六十里目



32.本山宿
 伊奈街道(三州街道)、五千石街道(糸魚川街道)、松本街道(善光寺西街道)の要衝で、東に塩尻峠を控え大いに賑わい旅籠数は中山道二番目の多さでした。中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は166軒、うち本陣1脇本陣1、旅籠75軒。宿内人口は794(411、女383)。文政11(1828)と明治15(1882)の二度の大火で宿並みは焼失してしまいました。


イメージ 7
本山宿碑と石仏群


イメージ 8
下木戸跡
本山宿は、そば切り発祥の地といわれています。


イメージ 9
川口屋・池田屋・若松屋
三軒とも明治二年の大火直後の再建と伝えられ、斜交いに建てられた出梁造りの建物は国の登録有形文化財になっています。


イメージ 10
高札場跡
奥にある本山宿の大きな看板が京口になります。その先に高巻道が続いていましたが、今は通行不能のため、下の舗装道路を歩いて国道へ合流します。


イメージ 11
日出塩の青木
国道を離れ、第2中山道踏切を越えた先の会社の裏手には、日出塩の青木の碑。「洗馬の肘松 日出塩の青木」と詠われた大きな檜があったそうですが、わざわざ見に行かなくてもいいかも。


イメージ 12
日出塩一里塚
日本橋から六十一里目。車道に合流して直ぐのところにあります。思わず見落としそう。


イメージ 13
旧道から国道の高架をくぐって、国道に合流します。


イメージ 14
是より南 木曽路
だんだんと山深くなってきました。いよいよ木曽路へと入ります。ここが木曽路の北の入口。江戸時代には尾張藩領の北境でした。


イメージ 15
木曽路の碑から車に注意をして道路を渡り、桜沢旧道に入ります。500mあるかないかの短い山道です。上から木曽の碑を見るとこんな感じ。


イメージ 16
山道を下りると、八重桜がまだ咲いていました。


イメージ 17
若神子一里塚
日本橋から六十二里目。西塚のみが残っています。


イメージ 18
国道より一段上の道を歩きます。車道と離れると歩きやすいなぁ。最初は舗装されていますが、途中から土の道になります。


イメージ 19
贄川駅にあるお蕎麦屋さんでお昼ご飯。途中の温度計は、11℃。寒い雨の中を歩いてきたので、温かいお蕎麦はうれしいごちそう。写真はないんだけど、相方の天ぷらそばも豪華でおいしそうでした。


33.贄川宿
 木曽路北端にあり、関所がおかれていました。古くは温泉が湧きだしたことから「熱川」と呼ばれていましたが、温泉が涸れ「贄川」となりました。昭和五年(1930)の大火で宿並は全焼してしまいました。中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は124軒、うち本陣1脇本陣1、旅籠25軒。宿内人口は545(304、女241)


イメージ 20
贄川関所
線路を渡って関所を見学。奈良井川の崖っぷちに復元されています。よくこんなところに造ったものです。受付の方が案内をしてくれました。豊臣時代、木曽木材の監視のため、南の妻籠番所と共に設置され、後に福島関所が設置されるとその添番所として出女を取り締まるようになりました。


イメージ 21
水場
木曽路に入り桜沢を過ぎたあたりから、あちこちで水場を見かけるようになりました。


イメージ 22
深澤家住宅(加納屋)
行商を中心とする贄川屈指の商人で、幕末には苗字も許されていました。主屋は嘉永七年(1854)の竣工で、蔵と共に国重要文化財となっています。


イメージ 23
贄川のトチ
樹齢約千年。樹高33m、根元周囲17,6mのトチの木は長野県天然記念物に指定されています。洗馬、日出塩と名ばかりが残るだけだったので、やっと名木に出会えました。


イメージ 24
車に注意しながら国道を渡り、木曽民芸館先で金網の仮設歩道を進み土道の旧道に入ります。


イメージ 25
押込一里塚
日本橋より六十三里目。この後はまたすぐに国道に合流です。


イメージ 26
道の駅木曽ならかわ 木曽くらしの工芸館
おしゃれな道の駅でひと休み。漆器の街 平沢に入ります。小学校では給食の食器は木曽漆器なんだって。ここでその食器を売ってるって贄川関所の人が言ってたっけ。


イメージ 27
間の宿・平沢
街道沿いに漆器店が並ぶ町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。


イメージ 28
漆工房巣山


イメージ 29
橋戸一里塚
江戸から六十四里目
平沢の街を抜けて奈良井川沿いを歩いていきます。街道の付け替えで、川の対岸に塚が残っています。

イメージ 30
奈良井川駅の北側には、とても立派な大谷石の建物がありました。


34.奈良井宿
 難所の鳥居峠を控え、工芸が盛んだった奈良井は「奈良井千軒」と呼ばれるほど繁盛していました。中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は409軒、うち本陣1脇本陣1、旅籠5軒。宿内人口は2155(1104、女1051)


イメージ 31
木曽の大橋
奈良井川に架かる大橋は、橋脚のない橋として有数の大きさを誇ります。木曽桧づくりで平成三年(1991)に竣工しました。中山道に架かる橋ではないけれど、一見の価値ありです。


イメージ 32
奈良井駅を過ぎて枡形を過ぎると、昔ながらの街並みが続きます。近代以降大火がなかったことから、江戸末期の形式を多く残した町屋がよく残っています。


イメージ 33
徳利屋
天保頃の建築。昭和15年まで旅籠屋を営んでいました。


イメージ 34
鍵の手


イメージ 35
伊勢屋
幕末頃の建築。霜問屋で脇本陣も兼ねていました。現在は旅館になっています。そしてここが本日のお宿です。


イメージ 36
晩御飯(伊勢屋)
地の物で作られた晩御飯は目移りがするくらい品数がたくさん。とっても美味しい! 素敵なおかみさんが、いろいろ説明してくれたんだけど、忘れてしまいました・・・


 天気予報どおりに朝から雨。予報ではもっと小降りな感じだったのに、しっかり降られました。おまけに気温が下がって、途中の温度計は11℃。冷たい雨の中を歩いてきました。ほとんど舗装された道でよかった。本当はもうちょっと早くに奈良井に着く予定だったのだけど、ちょこちょこ雨宿りをしていたら思ったより遅い到着となり、奈良井のお店はそろそろ店じまいの時間。平沢と奈良井は、またゆっくりと訪れたいと思います。
この日のお宿は、昔の建物が残る「伊勢屋」。リクエストをすると街道に面したお部屋にも泊まれたそう。食事でご一緒させていただいたご夫婦はそのお部屋に泊まるそうで、中を案内してもらいました。梁がすごく太くてとても立派。そして窓から街道が見下ろせるのはとても気持ちがいい。でも押し入れとかないから布団は廊下まで取りにいかなきゃならないし、お手洗いもちょっと遠いのでした。今度はこっちの部屋に泊まってみたいなぁ。私たちは奥の新館にお泊り。といってもお部屋には鍵もないし、トイレや洗面も共同で、お風呂も小さな貸切風呂を交代で利用します。昔の民宿みたいな感じ。日本的な宿は魅力的のようで、外国からのお客さんも泊まっていました。