マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【中山道 9日目 -1 】 20.追分宿 → 21.小田井宿 → 22.岩村田宿    2016.10.14 (金)

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分去れの碑
「右、従是北国海道 左、従是中仙道」
「さらしなは右 みよしのハ左にて月と花とを追分の宿」
追分宿を抜けた先の中山道と北国街道分岐点に位置し、右は北国街道姥捨山の「田毎の月」で知られる更級へ。左は中山道で京都へ。そこから桜の名所 奈良吉野山へ向かうという意味。もちろん今日は左の道へ進みます。


中軽井沢駅沓掛宿)→ 20.追分宿 → 21.小田井宿→ 22.岩村田宿 → 23.塩名田宿 → 24.八幡宿(八幡入口バス停)  約23km
 
 
久しぶりに気持ちのいいお天気が続いています。今年の有給休暇を消化すべく急遽思い立って街道歩きに出かけてきました。


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中軽井沢交差点
先日終了の中軽井沢交差点からスタート。今朝は頑張って早起き。時間はまだ8時を回ったところ。晴れ予報だけど曇り空。そしてとっても寒い!すっかり初冬の佇まいです。正面の建物が沓掛宿本陣のあったあたり。


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上田信用金庫のところから国道と分かれて旧道へとはいります。この辺りが沓掛宿京口かな。旧道にはいってすぐの道路脇には男女双体道祖神。群馬や長野に多いようです。


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静かな旧道です。


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菊の花がきれい


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街道歩きの師匠が“注意”と言っていたところ。つい脇道を入ってしまいそうだけど、正解は国道わきの歩道を歩いていきます。


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遠近宮(おちこちぐう)
在原業平の歌に因んで名づけられたと云われています。「信濃なる浅間の嶽に立つ煙 遠近人の見やはとがめん」 こちらの御神体浅間山


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追分一里塚
合流してすぐの国道は交通量が多くて信号のない横断歩道は渡りにくい。少し先の歩道橋で渡ればよかったかなぁ。国道を歩いていると、日本橋から39里の一里塚。この先で再び旧道へ入ると追分宿です。



20.追分宿
北国街道との分去れ(追分)を控えて浅間三宿一の賑わいでした。飯盛が盛んで250人もの飯盛りがいたと云われています。「浅間山から追分見れば飯盛り女郎がうようよと」「三味を横抱き浅間を眺め辛い勤めと眼に泪」と唄われる追分節発祥の地です。 中山道宿村大概帳(天保14年・1843)によると、宿内家数103軒、うち本陣1脇本陣2、旅籠35軒、人口712


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江戸時代には石尊山、浅間山に登る入口で、浅間嶽を遥拝する里宮。すぐ隣には追分宿郷土館もありますが、まだオープン前でした。


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堀辰雄文学記念館
記念館正門は追分宿本陣の裏門


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夢のはこ
おじさんが本を選んでいました。これは自由に本の貸し出しができる青空文庫「夢のはこ」あちこちに置いてあって、他にも本を選んでいる人を見かけました。本を借りて、気に入ったら別の本を置けば、手元に置いておくこともできるそう。こういう文庫がきちんと運営されているっていうのは素晴らしいなぁ。


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泉洞寺
カーリング地蔵に卓球地蔵。一番右は堀辰雄の愛した歯痛地蔵。面白いお地蔵さんがいっぱいです。境内にはもみじが多くて紅葉したらきっときれいだね


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つがるや
こじんまりとしてとてもきれいな宿場町です。朝早くて郷土資料館もお店も開いてなかったのが残念。早足で通り過ぎた軽井沢宿とあわせてゆっくりと歩いてみたいです。


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分去れの碑 「右、従是北国海道  左、従是中仙道」
「さらしなは右 みよしのハ左にて月と花とを追分の宿」
中山道と北国街道分岐点に位置し、右は北国街道姥捨山の「田毎の月」で知られる更科へ。左は中山道で京都へ、そこから桜の名所奈良吉野山へ向かうという意味。もちろん今日は左の道を進んでいきます。


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中仙道69次資料館
分去れの碑の先、道の反対側に「旧中山道」と書かれた案内板が大きく出ているけど、横断歩道はないので、その先で信号を渡って戻って入りました。交通量が多いので交差点からそのまま旧道へ合流でもいいのかな。交差点脇にある資料館の庭にはミニ中山道がありました。写真は板橋から志村の一里塚。中には入らなかったけど、ミニ中山道を踏破してきました。


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この旧道は結構車通りが激しくて歩行注意です。左手に浅間山を眺めながらの街道歩き。


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千ヶ滝湯川用水温水路
慶安三年(1650)に開削した農業用水路を戦後に改修。浅間山の雪解水や湧水を水源と稲作に適するようこの施設で水温を上げています。


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御代田の一里塚
江戸日本橋から四十一里目。御代田駅の少し手前の街道から少し離れた畑の中にあります。街道に案内板があるので寄ってみました。寛永十二年(1635)に街道の付け替えが行われて取り残されてしまいました。


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一里塚を過ぎ、御代田駅を地下道でくぐり歩いていきます。前方に山を見ながら気持のいい街道歩きです。



21.小田井宿
飯盛りがなく、婦女子の宿泊が多いため姫の宿とも呼ばれていた小さな宿場です。 中山道宿村大概帳(天保14年・1843)によると、宿内家数107軒、うち本陣1脇本陣1、問屋2、旅籠5軒、人口319


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石仏群のある交差点を渡れば小田井宿に入ります。姫の宿らしい落ち着いた宿場です。


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本陣跡


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旧道から小田井南の交差点で県道9号線と合流。しばらく車通りの多い道を歩いていきます。植込みのニシキギが色づいてきました。秋ですね~



22.岩村田宿
内藤藩一万五千石の城下町で、本陣や脇本時はありませんでした。旅籠も少いのですが、佐久甲州街道下仁田街道、善光寺街道が交差するところから商人町として賑わいました。 中山道宿村大概帳(天保14年・1843)によると、宿内家数350軒、うち旅籠8軒、人口1637
 

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岩村田宿の江戸口に位置しています。


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商店街に入るとひときわ目を引くプレスリー


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龍運寺
こちらのお寺には沢山の武田菱。信玄の遺骨が埋葬されたと云われています。


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信濃小諸藩初代藩主仙石秀久菩提寺。後に岩村田藩内藤氏の菩提寺となりました。本堂には仙石家、内藤家そして徳川家の家紋が並んでいます。


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こてさんね
飲食店がいくつか入っていて、正面には岩村田宿の浮世絵が描かれています。この喧嘩をしている浮世絵には有名なエピソードが。中山道六十九次を描いていた渓斎英泉の版画が、広重の東海道五十三次ほど売れなかったので、英泉は「広重のような風景中心の絵を描いてほしい」と注文を付けられたあげく版元の保栄堂から仕事をおろされてしまった。その怒りを揶揄して描いたというのです。岩村田と関係ない人間臭い絵が残っているのは面白いね。


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そばパスタ(LAPIN)
こてさんねの中にあるカウンターだけの小さなお店でお昼。ちょっと変わっていたのでそばパスタを注文。美味しかった!あまり時間がないかと思って単品にしてしまったけど、ほかの人の注文を見ていたらセットにすればよかったと思うくらい美味しそうな前菜。パスタやオムライスも美味しそう。また機会があったら是非寄りたいと思うお店でした。


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宿場でお宝探し
東信州中山道の各宿場でイベントをしていました。受付をして各スポットをまわってゴールすると酒枡がもらえるというもの。受付場所にまた戻らないといけないというのが街道ウォーカーにはちょっと面倒くさいけど、岩村田はさほど距離がなかったので参加してみました。11月6日まで開催されています。
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