マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【中山道 22日目 - 2 】 50.伏見宿 → 51.太田宿 → 52.鵜沼宿    2018.05.01(火)

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うとう峠
「うとう」とは、疎(うとい・うとむ・うとう)で、不案内・よそよそしい・気味の悪いなどの意味があると考えられ、打とう峠と鵜沼宿との間は、十六町(約1.8km)に及ぶ険しい山坂が続き…云々と案内板には書いてありますが、うとうの森に入れば整備されているし、ずっとと日差しを避けるところがなかったから、この山道は気持ちがいい! でもイノシシが出るそうなのでご注意を。

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山道を歩いていくと、途中から石畳風の道になります。

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うとう峠一里塚跡
日本橋から100番目の一里塚

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森を抜けてると、日本ラインうぬまの森のレストハウス。ここも今日は定休日。が、門も閉まっている!? 出られないじゃん! これは聞いていなかった! 戻るわけにもいかないから、柵の間をすり抜けて出たけど、これはどうにかしてほしいわぁ。門を出たら横断歩道を渡って右側に渡っておきます。合戸池沿いに歩いて、ガードレールが見えたところで、左の道を下りていきます。ここの道案内はちょっと分かりにくいかな。

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坂の途中からは、鵜沼の街がよく見えます。右側の愛宕山の脇に小さく見える山が伊吹山

52.鵜沼宿
 江戸日本橋から数えて52番目の宿。江戸時代は尾張藩領で南へ約2キロの木曽川対岸には犬山城があります。慶安4年(1651)うとう峠が開削され新設された宿場です。明治24年(1891)の濃尾大地震で壊滅的な被害を受けましたが、現在は、保存や整備が行われ往時をしのばせる宿場町として再生されています。 中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は68軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠25軒。宿内人口は246人(男119、女127)

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赤坂の地蔵堂
坂を下ったこの鋭角なカーブが鵜沼宿の江戸見附跡

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高札場が復元されています。

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大安寺大橋
ここから犬山城まで3km

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大垣城鉄門
大垣城本丸の表口に建てられていたものの、明治9年の安積家に払い下げられたのち、平成21年に寄付され移築されたものです。

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鵜沼宿町屋館
旧武藤家住宅 主屋は明治24年(1891)の濃尾震災で倒壊し明治末期に再建されたものと伝えられています。

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衣裳塚古墳
岐阜県下最大規模の円墳(直径52m、高さ7m)ですが、前方後円墳の前方が削られてしまったとも考えられています。

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山の前交差点
ここで旧道を外れ、苧ヶ瀬駅から名鉄に乗ってホテルに向かいます。

  せっかくのGW9連休。中山道の続きを歩くことにしました。でもこの日はGW前半三連休明けの平日の火曜日。太田宿も鵜沼宿も休館しているところばかり。おまけに、うぬまの森の出口は門が閉まっている! 休館日とか調べておけばよかったかしらとも思いつつ、ここしか泊りではいけなかったので、まぁしょうがない。太田宿や鵜沼宿の建物は見どころが多そうなので、また機会があれば来ようっと。それにしても暑かったぁ~。本日の岐阜の最高気温は、29,4℃。真夏のようです。これからは熱中症と日焼けに要注意です。