うとう峠
「うとう」とは、疎(うとい・うとむ・うとう)で、不案内・よそよそしい・気味の悪いなどの意味があると考えられ、打とう峠と鵜沼宿との間は、十六町(約1.8km)に及ぶ険しい山坂が続き…云々と案内板には書いてありますが、うとうの森に入れば整備されているし、ずっとと日差しを避けるところがなかったから、この山道は気持ちがいい! でもイノシシが出るそうなのでご注意を。
「うとう」とは、疎(うとい・うとむ・うとう)で、不案内・よそよそしい・気味の悪いなどの意味があると考えられ、打とう峠と鵜沼宿との間は、十六町(約1.8km)に及ぶ険しい山坂が続き…云々と案内板には書いてありますが、うとうの森に入れば整備されているし、ずっとと日差しを避けるところがなかったから、この山道は気持ちがいい! でもイノシシが出るそうなのでご注意を。
山道を歩いていくと、途中から石畳風の道になります。
うとう峠一里塚跡
日本橋から100番目の一里塚
日本橋から100番目の一里塚
森を抜けてると、日本ラインうぬまの森のレストハウス。ここも今日は定休日。が、門も閉まっている!? 出られないじゃん! これは聞いていなかった! 戻るわけにもいかないから、柵の間をすり抜けて出たけど、これはどうにかしてほしいわぁ。門を出たら横断歩道を渡って右側に渡っておきます。合戸池沿いに歩いて、ガードレールが見えたところで、左の道を下りていきます。ここの道案内はちょっと分かりにくいかな。
52.鵜沼宿
江戸日本橋から数えて52番目の宿。江戸時代は尾張藩領で南へ約2キロの木曽川対岸には犬山城があります。慶安4年(1651)うとう峠が開削され新設された宿場です。明治24年(1891)の濃尾大地震で壊滅的な被害を受けましたが、現在は、保存や整備が行われ往時をしのばせる宿場町として再生されています。 中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は68軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠25軒。宿内人口は246人(男119、女127)
江戸日本橋から数えて52番目の宿。江戸時代は尾張藩領で南へ約2キロの木曽川対岸には犬山城があります。慶安4年(1651)うとう峠が開削され新設された宿場です。明治24年(1891)の濃尾大地震で壊滅的な被害を受けましたが、現在は、保存や整備が行われ往時をしのばせる宿場町として再生されています。 中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は68軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠25軒。宿内人口は246人(男119、女127)
高札場が復元されています。
大安寺大橋
ここから犬山城まで3km
ここから犬山城まで3km
山の前交差点
ここで旧道を外れ、苧ヶ瀬駅から名鉄に乗ってホテルに向かいます。
ここで旧道を外れ、苧ヶ瀬駅から名鉄に乗ってホテルに向かいます。