笠取峠
約1km続く松並木は、江戸幕府の植樹政策により慶長九年(1604)頃に植樹されたと伝えられていて、現在でも70本近くの古木が現存しているそうです。
八幡入口バス停(八幡宿)→ 25.望月宿 →26.芦田宿 → 27.長久保宿 約15km
朝から冷え込んでいます。ホテルで朝食を食べたら佐久平駅を7:51発のバスで出発。地元の人と、リュックを背負った中山道を歩くんだろうなぁという感じの乗客が数名乗り込みます。30分程バスに揺られて昨日乗った八幡入口バス停で下車。さて今日もがんばりましょう。
八幡宿の京口を出て、しばらく歩いて百沢東の交差点にから旧道へ入ります。百沢の集落にはいりました。昔の街並みが残る旧道はいいですね。
百沢の集落を抜け、交差点を横断して県道150号線に入ると、分岐に中山道、元禄の道標。土道に入ります。
振り返ってみるとこんな感じ。朝露に濡れた草道を上ってきました。
国道142号線に戻って横断すると望月宿の碑。
案内板につられてそのまま続く舗装道路を歩いて行ったけど、ガイドブックでは国道をしばらく歩いてから金山坂の土道を歩くことになってました。
瓜生坂の一里塚
案内板は中山道原道(土道)と舗装された道(旧国道)に分かれます。もちろんここは原道でしょ!
長坂石仏群
25.望月宿
千曲川と鹿曲川、布施川に囲まれた御牧ヶ原台地には平安時代、望月牧という官営の牧場があり朝廷に馬を献納していました。望月城の姫に恋をした月毛の馬の悲しい民話「望月の駒」が語りつがれる駒の里です。 中山道宿村大概帳(天保14年・1843)によると、宿内家数82軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠9軒、人口360人
望月バスターミナル
枡形の坂を上ると望月宿。八幡入口バス停からちょうど1時間ほど。昨日ここまで歩いても明るいうちに着けたなぁ。
望月といえば馬
山城屋
江戸時代から続く現役の旅籠です。内部はリニューアルされているそうですが、外観は明治初期の建物のままです。
望月歴史民俗資料館
イベントが行われるようで、館内ではアンサンブルのリハーサルが行われていました。ここは本陣のあった場所です。
城光院
境内にあるユニークな表情の羅漢も見どころの一つです。
望月宿を抜けて坂を上って下ると、間の宿 茂田井に入ります。古い街並みが残る素敵な宿です。
蔦屋(大澤酒造)
元禄二年(1689)創業。民俗資料館も併設されていて見学ができるのだけど、この日はあいにく休館でした。
石割坂
勾配がきつく大きな石があり通行に不便だったため石を割って中山道を開通させました。
茂田井一里塚
江戸より四十六里目
リンゴじゃないよ、ザクロだよ
今日も浅間山が一緒です
26.芦田宿
笠取峠を控え賑わいましたが、「芦田の駅わびしき所也、宿あしい、ふ用心也」と評判は悪かったようでした。六町二十二間(約700m)の宿並みが現在もその姿をとどめています。 中山道宿村大概帳(天保14年・1843)によると、宿内家数80軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠6軒、人口326人
芦田宿に入ります。
この辺りが中心かな
ふるさと交流館 芦田宿
歩いてきたら暑かったのでソフトクリームでひとやすみ。芦田宿の歴史や情報も教えてくれます。
旧芦田宿本陣 土屋家住宅
上段の間は普段は公開されていませんが、イベントのときは公開されるそうです。そしてそのイベントが明日(10/16)おこなわれる「中山道ウォーキングinたてしな」笠取峠から茂田井まで歩くイベントで、皇女和宮が召し上がったという和宮御膳も食べられるそう。毎年行われているそうなので機会があったら参加してみたいな。
笠取峠の松並木
松並木は舗装された歩きやすい道です。手入れはしているのでしょうが、松はだいぶ傷んでいる感じです。途中で国道を横切るのだけど、トラックや車がバンバン通るのに信号はありません。気を付けて渡りましょう。
笠取峠の一里塚(四十七里目)
松並木を越えると国道に合流。実はここから峠の頂上まで松並木よりも長い坂がだらだらと続きます。頂上まで半分ほど来たところで一里塚の案内板。歩道の反対側に北塚が残っています。
標高887mの笠取峠を越えると道の反対側に峠の茶屋が見えてきました。この先で今まで歩いてきた歩道が突然、反対側に移動。写真には写ってないけど車の往来が多くて、特にトラックがすごーいスピードで走っています。ここも信号がないから横断には要注意です!
ペットホテルの先で案内板にしたがって旧道の山道へと入ります。途中にはお約束?の倒木くぐり。
旧国道と交差しながら歩きます。ガードレールの切れ目から中山道原道を下ります。この先でも倒木くぐりができます。
ガイドブックによると、林の切れ目から草道を下る。と書いてある。ここかな?でもどう見ても無理な気がしたので、舗装道路を回り道。
27.長久保宿
東に笠取峠、西に和田峠を控え、大門道、大内道、北国街道の要衝であり、温泉場である下諏訪宿に泊まる場合、江戸方の旅人は前日、京方の旅人は翌日に泊まるに好都合で賑わいました。戦国末期は真田氏の支配下にありました。 中山道宿村大概帳(天保14年・1843)によると、宿内家数187軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠43軒、人口721人
ガードレールの切れ目に案内板。
長久保宿の出入口にあたります。ここのトイレは冬期(12~3月)は利用できません。
吾一庵
江戸末期から明治初期の農家建築を残しています。「ご自由に見学してください」と書いてあります。中は無人で、昔の道具や着物、そして沢山の能面が展示されていました。薄暗い部屋の中に飾られている能面はちょっと不気味でした。
一福処濱屋(歴史資料館)
住宅として使用されてきましたが、休み処・資料館として改修されました。ここも無人です。
石合本陣跡
代々本陣と問屋を勤めた石合家には、真田家の家老を勤めていた縁で真田信繁の娘、すえが嫁いでいます。一般公開はされていませんが、現存する建物は中山道の中でも最古の本陣といわれています。本陣の脇には高札場が復元されています。
濱田屋旅館
辰野屋
江戸時代末期に建てられたうだつの上がる旧旅籠
長久保のバスターミナル
長久保宿をぐるっと待ってバス停にきました。時間はまだ14時。今日もバスの時間まで1時間もあります。でも遠くまで行ってバスに乗り遅れたら、今度は2時間待ち。時間配分の学習をしないマダオです。ここでもすぐ隣の居酒屋は開いてないし、近くにお茶するようなお店もありません。八幡宿も長久保宿も時間が余ってしまったのに、「宿場でお宝探し」はやってないんだ。沓掛や岩村田と違って山の中の小さな宿場町。イベントのためにボランティアを置くのも大変なんだろうね。待合室でストレッチをして、おやつの時間といたしましょう。バスは男女倉からのバスに接続していました。バスからは中山道ウォーカーらしき人が数名降りて乗り継いでいました。朝のバスで見かけた人もいた?
幸村 戦べんとう
帰りの新幹線で食べた駅弁は美味しかったです。今日はコンビニおにぎりでお昼は済ませちゃったもの。「駅弁味の陣」のキャンペーン(10/1~11/30)にこちらの駅弁も参戦中。
今日も朝は寒かったけど、歩いているうちに暖かくなってきました。お天気に恵まれた2日間となりました。昨日と違って坂道が多くて山道もありました。といってもスニーカーでも大丈夫なレベル。分岐の道標はわかりやすいし、トイレの所々にあって心配しないですみました。で、一番疲れたのは笠取峠。国道わきの面白みのない坂をだらだらと上っていくのはつまらな~い。肉体的には疲れるけど、山道のほうが変化があって楽しいよね。次回はいよいよ、和田峠越えです。