マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【中山道 17日目】 39.須原宿 → 40.野尻宿 → 41.三留野宿    2017.6.17(土)

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柿其峡(南寝覚)
寝覚の床のミニチュア版ともいわれ「南寝覚」と呼ばれています。今は整備されとても歩きやすくなっていますが、江戸時代、野尻から三留野までの二里半は難所羅天といわれ、木曽川の崖沿いのつくられた道は「木曽の桟よりも危うい」といわれていました。大雨や土砂崩れで通行止めとなった時のために、迂回路として与川道がつくられています。


 
寝覚の床 → 39.須原宿 40.野尻宿41.三留野宿南木曽駅  約26km


 本日は寝覚の床近くのホテルから出発。朝ごはんに、ほう葉みそが出ました。ほう葉もみそもこの辺りの特産なんですね。今日も朝からいいお天気! 本日は南木曽駅まで歩く予定。さて、出発~!


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寝覚 立場
ホテルからいったん国道に下りて、坂を上って中山道の立場まで上ってきました。風情のある建物です。うまく活用していつまでも残してほしいものです。


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大桂


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大桂の木を過ぎ、上松中学校の前を過ぎるとちょっとだけ石畳の道。舗装道路に合流したらしばらく下り坂が続きます。


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小野の滝
国道にでてしばらく歩くと中央線の高架奥に、木曽八景の一つ、小野の滝があります。


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荻原一里塚
日本橋より七十三里
国道から旧道に入ってすぐのところにあります。


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くるみ坂
いったん国道に出てまた旧道に入ります。大きな蔵の脇の人の庭先みたいなところを歩いていくと草道になります。どんどん草が伸びていきます。草刈りが終わった後とかじゃないと、これからの季節は結構厳しいです。


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くるみ坂をくだり、中央線をくぐり旧道と国道を行ったり来たりしながら国道に戻ります。


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この先しばらくなさそうなので、トイレを拝借。旧道に入り線路をくぐり戻るように進むと駅がよく見えます。しばらくのんびりとした旧道歩き。


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倉本一里塚
国道に合流して歩いていくと道の反対側に一里塚の案内板。江戸から七十四里目


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倉本の一里塚の先で国道を渡って旧道に入ります。舗装道路を歩いていくとやっぱり草道に。奥に見える屋根の先でまた国道に合流します。この屋根は廃業した食堂。草ぼうぼうの階段を上って国道に出ます。赤い矢印は京方面から見た入口。案内板もないし、ここに入っていくのはちょっとためらうよね。奥に見える標識には標高588mと書いてありました。


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国道わきにこんな看板が! ここにもクマが出たのかなぁ。念のためクマ鈴持ってはいるけど・・・


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このガードレールの切れ目は旧道の入口。その先には天然記念物のエドヒガンザクラもあります。で・す・が、通れません! ガードレールのすぐ先は線路なので横断禁止です。ガイドブックにも線路は渡れないとは書いてあるけど、ガードレールの切れ目もなくしちゃったほうがいいのにね。



39.須原宿

 正徳五年(1715)木曽川の氾濫で流失してしまい、享保二年(1717) 一段高い現在地に移転しました。中山道では最も新しく整備された宿場です。清水が湧く宿場町として軒先には丸太をくりぬいた水舟が置かれています。中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は104軒、うち本陣1脇本陣1、旅籠24軒。宿内人口は478



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道標は須原駅に続く舗装道路を示しています。須原の一里塚跡もそっちにあるらしいのですが、ガイドブックにしたがって少し先の道を行きました。ここを上がっていいのかというような草ぼうぼうの上り坂。すごく立派な門構えの民家脇の細い道から須原宿入ります。


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水舟
丸太をくりぬいた水舟が軒先に置かれています。


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西尾脇本陣
問屋、庄屋を兼ねた西尾家は木曽家の家臣として重きを為し、後に木曽代官山村家に仕え尾張藩の山林取締を勤めました。江戸時代から酒造業を営み「木曽の桟」の蔵元です。


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大きな水舟


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旧旅籠柏屋徳次郎


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鍵屋の坂(枡形)
家の間を水が流れ両側に道があります。


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須原宿ともお別れです。


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長坂
眼下に木曽川と中央線を眺めながら歩いていきます。この先には穏やかでとてもきれいな集落があります。が、水害記念碑もありました。大正十二年(1923)の土石流では26名が犠牲になったそうです。


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道の駅 大桑
国道に合流してしばらく歩くと道の駅が見えてきます。ガードレールの切れ目から車に注意をして国道を横断。お昼ご飯は軽くおやきと五平餅。ほおば巻のお餅が美味しそうだったけど、荷物になるので、おやつはみそどら焼きを買いました。


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道の駅の先から旧道に入ります。振り返ると中央アルプスがとてもきれいです。
 
 
 
40.野尻宿
 木曽十一宿で奈良井宿に次ぐ長さを誇ります。外敵の侵入を防ぐ目的で屈曲下宿並は「野尻の七曲」といわれました。中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は108軒、うち本陣1脇本陣1、旅籠19軒。宿内人口は986(490、女496)


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野尻宿に入りました。
東のはずれのところに高札場跡とかあるみたいなんだけど、ちょうど工事をしていてよくわかりませんでした。少し歩くと常夜燈がありました。奥はお地蔵さん?


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本陣跡


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七曲
野尻の宿は外敵を防ぐため街道を曲げてつくられています。


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西のはずれ
屋号も「はずれ」


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下在郷一里塚
江戸日本橋より七十七里目


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下在郷一里塚の先で、道標とガイドブックは違う道を指していました。景色がよさそうなので道標にしたがって歩くことにしました。こちらの道は冊子にも出ている道です。一里塚の先で左に曲がりのんびりとした道を歩いていきます。曲り角にはちゃんと道標が出ているので安心して歩けます。


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この通行止めの看板が出ているところが、旧中山道のシラナミ坂(勝井坂)かな?ガイドブックには通行不可と書いてあります。落石工事中と書いてあるからそのうち通れるようになるのかなぁ。


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踏切を2つ渡って国道に出たらガードレールの切れ目で渡ってヘアピンカーブの坂に入ります。中山道は緩やかにつながっていたけど、今は通れないのでヘアピンになってしまいました。数軒の集落で石仏群もありますが、一番気になったのはこの亀でした。なぜここに?


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国道に出たら信号を渡らず、鉄道と国道下の水路トンネルに仮設してある歩道を渡ります。ちょっと分かりずらいかも。東海道の池鯉鮒の先で、同じような水路の隧道で国道1号線を渡った時はなかなか見つけられなくてだいぶ先まで行って戻ってきたのを思い出した・・。今回はガイドブックが丁寧なので迷いませんでした。足元に小さな木曽路の案内板もあります。


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十二兼駅を過ぎると線路の向こうに国道の十二兼南の信号が見えてきます。ここに十二兼の一里塚の碑があるそうですが、下からだとよくわかりません。


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木曽川沿いを歩いていきます。南寝覚とも呼ばれる景色を見ながら国道に合流。金知屋をすぎたところでまた、ガードレールの切れ目で国道を渡って旧道へと入ります。旧道からは木曽川が眼下に広がり気持ちのいい眺めです。


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中山道を歩いて三留野宿に向かいます。この道標は野尻駅へは与川経由で行けといっています。これをみたら京から来た人は与川経由で行っちゃいそうだね。与川道は木曽川の水害などで中山道が通行不能になった際の迂回路となる峠道です。この道もいつか歩いてみたいなぁ。



41.三留野宿
 旅籠が多くかつては妻籠と並んで栄えていましたが、度々の大火で当時の面影は焼失したものの、国道から外れ古い家屋を残しています。中山道宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は77軒、うち本陣1脇本陣1、旅籠32軒。宿内人口は594(310、女284)


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賑やかな宿場だったそうですが、今は静かな街並みです。


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本陣跡


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中山道は、南木曽駅と書いてある案内板にしたがって階段を降りて行きます。


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梨沢橋は新しくなっていました。ここは数年前に大規模な土石流がおこったところ。この辺りは古くから土石流による被害が多く発生していて、地元では土石流のことを「蛇抜け」と呼んでいます。中山道はこの先、黒い車が止まっている後ろの階段を2,3段上って民家の脇を通っています。


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こんなところを通ってもいいのだろうか・・・という庭先をお邪魔します。階段のところには写真下枠にある黄色案内板、庭先にもちゃんと中山道の案内板が立っています。なので通ってしまったのですが、後で中山道の冊子のほうをみたら「人の庭先なので、すぐ先の迂回路を通るように」と書いてありました。案内板でそちらに誘導してくれれば迂回したのだけど。通ってもよかったのかしら。中山道歩きは地元の方のご厚意で成り立っているんだと改めて感謝です。


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材木がいっぱい。奥に見える橋は、桃介橋。水力発電所のために架けた橋で、全長247mの木製、補網トラスを持った吊り橋としては日本最大級です。


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中山道はこの先、左に進むと妻籠へと続きますが、坂を下り跨線橋を渡って南木曽駅へ向かいます。今回の旅はここで終了です。そういえば、南木曽駅簡易委託駅といって、扱いは無人駅と変わらないそう。駅で帰りの切符は買えるけど、JRの職員じゃないから、切符の変更とか払い戻しはできないし、クレジットカードも使えないんだって。改札業務もしないから時間を見て自分でホームに行きます。でもとても親切なのでいろいろ教えてくれます。



 原野から南木曽駅まで、足早に歩いてきました。こうやってまとめてみると歩くこと優先でいろいろと見逃したものもある・・・。遠くなるとついこうなってしまいます。南木曽駅16時発の特急に乗らないと、塩尻経由だと帰るのが夜中になっちゃう。名古屋から新幹線で帰ることにすると早いけどお金がかかるからね。駅に着くのがもっとぎりぎりになるかと思いきや、少し時間に余裕があったので駅前のお店でソフトクリームを食べながらひとやすみ。中山道を歩いているというおじさんと情報交換をしていたら、お店の方が「中山道を歩く」という冊子の最新版をくれました。なんとこちらは英語表記もある。外国の人がたくさん歩いているそう。奈良井宿にもたくさんいたし、南木曽駅にも沢山の外国人旅行客が居ました。妻籠馬篭は外国の人が早くから予約を入れているから、人気の宿はなかなか泊まれないんだって。歩いているときに今日は見かけなかったと思ったら、お店の方いわく、外国人には与川道が人気だそうです。ちょっと気になる与川道です。
 歩いた日は空梅雨で夏のような暑さでした。、そして今回も草道歩行がたくさんあったので、長袖長ズボンは必須。虫よけもあったほうがいいかも。ガイドブック「ちゃんと歩ける中山道六十九次」も、木曽でもらった「中山道を歩く」冊子もとても親切に書いてあるけど、古い版だと通れないところもあるし、地震や大雨についてもHPや観光協会で最新の情報を集めておくと安心して歩けます。

・ガイドブック「ちゃんと歩ける中山道六十九次
・冊子「信州木曽路 中山道を歩く(木曽観光連盟)」


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おまけ
塩尻で「あずさ」に乗り換え。塩尻駅で買った駅弁がとても美味しかったです。