十三峠
大井宿と大湫宿の3里半(約14km)は、上り下りの坂道が続く十三峠と呼ばれる峠越えの道です。「十三峠におまけが七つ」といわれる峠の多い難所でした。中山道開設時、軍事的戦略から、わざわざ峠に次ぐ峠の、急峻な通行困難な道にしたと云われています。
久しぶりに晴れの休日です! 朝早くの新幹線に乗り、名古屋乗継で恵那駅までやってきました。三連休とあって、新幹線も特急も満席。指定席を取っておいてよかったぁ。今日は大湫まで歩きます。
恵那駅から歩いて、前回終了の交差点まで来ました。今日はここからスタートです。
中野村庄屋の家
大井宿は前回歩いた大井橋までですが、長島橋までは宿場の続きみたいな感じです。橋を渡ってしばらく県道を歩きます。
西行硯水
文治2年(1186)、二度目の奥州旅に伊勢を出発した西行は、鎌倉で源頼朝に会い、平泉で一年滞在した後、木曽路を経てこの地を訪れ、三年間暮らしました。西行は、こんこんと湧き出るこの泉の水を汲んで、墨をすったと伝えられています。
大井宿案内板
県道からそれ踏切を渡るところには大きな案内板。
十三峠
踏切を渡り案内板にしたがって左に折れ、中央道をくぐると十三峠の入口です。
槇ヶ根一里塚
日本橋から88里目。両塚を残しています。休憩所ときれいなトイレがあります。
槇ヶ根立場の茶屋跡
槇ヶ根追分道標
姫御殿跡
文化元年(1804)、十二代将軍家慶のもとへ下向した楽宮の通行の際には仮御殿が、また和宮の下向の時も、漆塗りの見事な御殿が建てられました。
十三峠はすっかり秋色
首なし地蔵跡
地元の人たちが旅行者の道中安全を祈って立てたもので、逸話が残されています。『昔、二人の中間がここを通りかかった。夏のことで暑かったため、松の木陰で休んでいるうちにいつの間にか二人は眠ってしまった。しばらくして一人が目覚めてみると、もう一人は首を切られて死んでいた。びっくりしてあたりを見回したが、それらしき犯人は見つからなかった。怒った中間は、「黙って見ているとはなにごとだ!」と腰の刀で地蔵様の首を切り落としてしまった。それ以来、首をつけようとしてもどうしてもみつからなかったという』・・・十三峠でうたた寝は禁物です。
うつ木原坂
遠くの山々がきれいに見えます。
かくれ神坂
神様が隠れている?
峠を越えるたびに小さな集落と田んぼがあります。
紅坂一里塚
江戸から89里目
藤村高札場跡
この辺りは道が交差していてちょっと分かりにくいので、地図と案内板で確認をしたら、ぼたん岩を見逃していたのに気が付いた・・・。紅坂からすぐのところにあったらしい。何で気が付かなかったのかなぁ。ここから武並駅に抜けることもできるそう。この道路を渡った先には休憩所とトイレがあります。
観音坂
大久保の観音堂と弘法様
炭焼き立場跡
真っ赤に色づいています。
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