マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【中山道 20日目 -1】 46.大井宿 → 47.大湫宿    2017.11.03(金・文化の日)


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十三峠
大井宿と大湫宿3里半(14km)は、上り下りの坂道が続く十三峠と呼ばれる峠越えの道です。「十三峠におまけが七つ」といわれる峠の多い難所でした。中山道開設時、軍事的戦略から、わざわざ峠に次ぐ峠の、急峻な通行困難な道にしたと云われています。
 
46.大井宿(恵那駅) → 47.大湫宿     14km
 
 久しぶりに晴れの休日です! 朝早くの新幹線に乗り、名古屋乗継で恵那駅までやってきました。三連休とあって、新幹線も特急も満席。指定席を取っておいてよかったぁ。今日は大湫まで歩きます。
 
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恵那駅から歩いて、前回終了の交差点まで来ました。今日はここからスタートです。
 
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大井宿では「中山道大井宿第9中山道のれんコンテスト」が開催中(11/3-23

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中野村庄屋の家
 
大井宿は前回歩いた大井橋までですが、長島橋までは宿場の続きみたいな感じです。橋を渡ってしばらく県道を歩きます。

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西行硯水
文治2年(1186)、二度目の奥州旅に伊勢を出発した西行は、鎌倉で源頼朝に会い、平泉で一年滞在した後、木曽路を経てこの地を訪れ、三年間暮らしました。西行は、こんこんと湧き出るこの泉の水を汲んで、墨をすったと伝えられています。

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大井宿案内板
県道からそれ踏切を渡るところには大きな案内板。

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十三峠
踏切を渡り案内板にしたがって左に折れ、中央道をくぐると十三峠の入口です。

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槇ヶ根一里塚
日本橋から88里目。両塚を残しています。休憩所ときれいなトイレがあります。

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槇ヶ根立場の茶屋跡

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槇ヶ根追分道標
伊勢神宮に向かう下街道への追分。名古屋までは中山道を行くよりも近かったので、商人たちはこの道を通ろうとしましたが、中山道保護のため幕府は商人たちの通行を禁止しました。

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姫御殿跡
文化元年(1804)、十二代将軍家慶のもとへ下向した楽宮の通行の際には仮御殿が、また和宮の下向の時も、漆塗りの見事な御殿が建てられました。

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十三峠はすっかり秋色

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首なし地蔵跡
地元の人たちが旅行者の道中安全を祈って立てたもので、逸話が残されています。『昔、二人の中間がここを通りかかった。夏のことで暑かったため、松の木陰で休んでいるうちにいつの間にか二人は眠ってしまった。しばらくして一人が目覚めてみると、もう一人は首を切られて死んでいた。びっくりしてあたりを見回したが、それらしき犯人は見つからなかった。怒った中間は、「黙って見ているとはなにごとだ!」と腰の刀で地蔵様の首を切り落としてしまった。それ以来、首をつけようとしてもどうしてもみつからなかったという』・・・十三峠でうたた寝は禁物です。

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うつ木原坂
奥に見える四ツ谷集会所でトイレが使えます。その先にある自動販売機が十三峠唯一だとか。

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岐阜の中山道は、分岐の案内が親切。ここは左に折れていくのが中山道

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遠くの山々がきれいに見えます。

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かくれ神坂
神様が隠れている?

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峠を越えるたびに小さな集落と田んぼがあります。

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紅坂一里塚
江戸から89里目

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藤村高札場跡
この辺りは道が交差していてちょっと分かりにくいので、地図と案内板で確認をしたら、ぼたん岩を見逃していたのに気が付いた・・・。紅坂からすぐのところにあったらしい。何で気が付かなかったのかなぁ。ここから武並駅に抜けることもできるそう。この道路を渡った先には休憩所とトイレがあります。

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観音坂
中山道でも難所の一つ。大岩の上には馬頭観音が立っています。ここの側溝は木で作られていて珍しい。クマ出没注意案内がありました。

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大久保の観音堂と弘法様

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炭焼き立場跡

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真っ赤に色づいています。
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