マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

鎌倉殿の13印 8月 和賀江島 2022.8.15(月)

 

和賀江島

和賀江島

日本に現存する最古の築港遺跡です。鎌倉時代材木座海岸は日本各地から鎌倉に入る船で賑わっていましたが、遠浅で船荷の揚げおろしに不便なうえ、難破する船も多かったため、貞永元年(1232)勧進上人往阿弥陀仏北条泰時の協力を受けて完成しました。江戸時代までは修復されながら利用されていましたが、現在は石が散乱し、干潮時に往時の姿をしのばせる石積が姿を現すのみです。

 

鎌倉駅和賀江島光明寺鎌倉駅

 

8月の13印は和賀江島。干潮時でないと姿が見られないというので、最高気温34℃、カンカン照りのなか、姿を現した和賀江島を見に行ってきました。このところ快適な冷房の中で過ごしていた柔な身体に直射日光は大敵でした。

 

宝篋印塔(畠山重保墓塔)

鎌倉駅から若宮大路を南へ進むと、一の鳥居の傍らに宝篋印塔があります。明徳四年(1393)に造立された畠山重保の墓塔と伝えられ、ここには重保の館があったといいます。元久二年(1205)6月22日 重保は、ここから目と鼻の先に広がる由比ガ浜で、北条時政の娘婿平賀朝雅との確執がもととなり誅殺されてしまいます。そして謀反を企てたとして父 重忠も鎌倉に向かう途中で・・・・まるでマフィアの権力闘争です。

 

一の鳥居

浜の大鳥居とも呼ばれる一の鳥居は、国の重要文化財に指定されています。治承4年(1180)源頼朝により建てられ、現在のものは寛文8年(1668)江戸幕府第4代将軍、徳川家綱により備前国犬島産の御影石で造られました。関東大震災で倒壊したものの昭和11年(1936)に再建されました。元々は奥に見える工事中の歩道橋の辺りに建っていたそうです。

 

内裏山霊獄院 九品寺

海岸橋で東に曲がります。新田義貞が、鎌倉幕府滅亡後に北条氏の戦死者を供養するために建立した九品寺を過ぎ進んでいきます。光明寺の前をいったん通り過ぎて和賀江島に向かいます。

 

和賀江島

引潮の時間に合わせてやってきました。大潮とはいかないけど、だいぶ引いています。浜にはウインドサーファーがいっぱい。材木座は遠浅のビーチだから初心者には向いているんだろうね。まぁだからこそ、石を積んだ港が必要だったわけです。晴れた日には富士山が見えるそうですが、今日は雲が多くて残念です。

丸石がいっぱいに広がっています。この石は相模川や酒匂川、伊豆半島などから運ばれてきたと考えられています。石の上を歩いて少し行くと潮だまりには小さな魚やヤドカリ。ずっと眺めていても飽きません。でも石は不安定なものが多いから足元には注意。転ばないように気を付けましょう。

 

天照山蓮華院 光明寺(浄土宗)

先ほど通り過ぎた光明寺に戻ります。寛元元年(1243)の創建。鎌倉幕府第四代執権 北条経時の帰依をうけ、然阿良忠上人が開いたお寺です。その後も歴代執権の帰依をうけ、七堂伽藍を整えて関東における念仏道場の中心となりました。この総門は、寛永年間に再興されたものです。

山門

弘化四年(1847)に再建された鎌倉最大の山門です。扁額は永享八年(1436)の裏書のある御花園天皇のご宸筆です。和賀江島に入港してきた舟からは、この大きな山門は目立ったことでしょうね。

大殿(本堂)

元禄11年(1698)の建立で、現存する木造の古建築では鎌倉一の大堂です。現在は修理工事中でした。ご本尊は左手の開山堂へ遷座されて仮本堂となっています。

記主庭園

開山堂(仮本殿)から続く渡り廊下の先では、蓮池を挟んで大聖閣を眺めることが出来ます。静かで心落ち着く居心地のいい場所です。

 

ハス

工事中の本堂の裏を上っていくと展望台があります。鎌倉50選にも選ばれた眺めで、富士山も見えるそうですが・・・

御廟所(天照山)

展望台の裏をさらに上っていくと、良忠上人を中心として歴代住職のお墓が並んでいます。すぐ隣には、北条経時のお墓もあります。

裏山に上る途中の壁に押された無数の手形・・・なんだろう

 

 8月は11日が大潮なのに仕事で行けず、週末は台風、で、夏休みの15日にやっと行くことができました。材木座に来たのは何年ぶりだろう。その頃は和賀江島なんて知りませんでした。たくさんの荷物を積んだ船でにぎわった材木座海岸。今はウインドサーフィンの人たちでいっぱい。汗だくでリュック背負ったおばさんはちょっと場違いのようでした。久しぶりに炎天下の道を歩いたので、大した距離でもないのに軽い熱中症のような症状が。光明寺の蓮池の前で涼んでいたら落ち着きました。ここはすごく気持ちのいい場所です。血生臭い鎌倉からは少し離れているからかもしれません。この後も予定を立ててはいたものの、あまりに暑いので帰ることにしました。この時期倒れでもしたら大変だからね。来年は夏前からちゃんと身体づくりをしなくては。