マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

紫陽花さんぽ in 川崎  2021.5.30(日)

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浄慶寺

紫陽花の季節がやってきました。

 

宿川原駅妙楽寺長尾神社 → 五所塚 → 生田緑地(紫陽花山・枡形山展望台)→ 廣福寺 → 向ヶ丘遊園駅  約6km  =小田急線)= 柿生駅 → 浄慶寺 → 柿生駅 約1.5km

 

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宿川原駅から商店街を抜け、小学校の横を通って府中街道を渡ると、妙楽寺まで続く曲がりくねった坂道になります。この坂道も紫陽花が奇麗です。

 

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天台宗長尾山 妙楽寺

妙楽寺のある場所は、平安初期(851~4)に建立され、源氏代々の祈願寺として栄えた長尾山威光寺の旧跡といわれています。多摩丘陵の一角にあり軍事的に重要な場所であるため、源頼朝が弟の全成(今若)を威光寺院主として派遣して所領を安堵し厚く保護していました。

 

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境内には約1000本の紫陽花があります。

 

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アルストロメリア(ユリスイセン)もきれい

 

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長尾宮前公園

妙楽寺から道を少し上ったところに小さな公園がありました。東京方面が一望。右端にぼんやりとスカイツリーが見えます。夜景はきれいだろうな。

 

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公園入口のアナベルも色づき始めていました。

 

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長尾神社

長尾の最高丘陵 海抜約82mに鎮座しています。江戸時代徳川幕府より、江戸近隣一帯の神主不在の神社を受け持つ白幡八幡大神(稲毛領稲毛総社総鎮守白幡八幡大神)のもと庇護されていました。もとは、耕地長尾地域の鎮守で五所神社(五所権現)と称していたそうですが、戦国時代の戦火により資料が消失してしまい明らかなことはわからないそうです。明治42年(1909)谷(神木)長尾地域の鎮守 赤城神社(赤城明神)と合祀され、村社・長尾神社となりました。

 

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ホタルブクロが咲いています。

 

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五所塚 権現台遺跡(五所塚第一公園) 

長尾神社のすぐ先にある公園には、直径4m・高さ2m前後の塚が五つ南北に並んでいます。中・近世に村境や尾根筋に築かれた十三塚と同様の信仰に基づく「境」信仰の塚であったと考えられています。五所塚から長尾神社境内に続く平坦な台地部分は、権現台遺跡と呼ばれる縄文時代中期から後期の集落跡だそうです。

 

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ここから坂を下ります。バス通りを越えて住宅地に入ると今度は上り坂。生田緑地ばら苑(春の公開は5/23で終わってました)の際を歩いてまた坂を下りバス通りにでてしばらく歩くと生田緑地の入口です。

 

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生田緑地 あじさい山

全体的にはまだちょっと早かった。見ごろは6月中旬かなぁ

 

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タイサンボク

 

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広場のD51かっこいい。生田緑地の中にはいろんな施設があります。日本民家園や岡本太郎も見たいけど、今日は桝形山に向かいます。

 

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枡形城

生田緑地まで足を延ばした目的の一つはここ。枡形城跡に行きたかったのです。

多摩丘陵に四方を削り取られたような斜面の枡形山(標高84m)は天然の要害。鎌倉時代、この一帯を支配していた稲毛三郎重成の居城でした。 永正元年(1504) 立河原の戦いの際には、扇谷上杉氏に呼応した伊勢宗瑞(北条早雲)がここに布陣し、今川氏親も駆け付けました。 永禄十二年(1569) 甲斐の武田信玄が小田原へ乱入した際は、この土地の豪族横山式部少輔弘成が土塁を築いて後北条氏のために守りを固めたと伝わります。江戸時代に廃城となりました。

 

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展望台に上るとすごく眺めが良さそうなのですが・・・雲が多くて残念。

 

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富士山や高尾山、南アルプスから大菩薩嶺雲取山武甲山まで見えるらしいけど・・・晴天の日に眺めたら気持ちいいんだろうなぁ

 

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枡形山から廣福寺へと下ります。

 

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稲毛山 廣福寺(真言宗豊山派

平安時代、承和年間(834-848年)に慈覚大師が創建、鎌倉時代に稲毛三郎重成が中興したと伝わります。境内には重成の墓とされる五輪塔があります。

 

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稲毛三郎重成・重成妻 五輪塔

といわれています。稲毛三郎重成は、桓武平氏の流れをくむ秩父氏の一族で、小山田氏の祖・有重を父に持ち、畠山重忠とは従兄弟になります。妻は、北条時政の娘で、政子の実妹です。とても仲が良く、妻が病死したのちに出家し、供養のために相模川に橋(馬入橋)を架けました。源頼朝が落馬して亡くなる原因となったあの橋です。その後、畠山重忠の乱で重忠を裏切って北条時政に加担したため榛谷重明らとともに北条義時に滅ぼされました。それにしても重忠の乱は本当に変だよねぇ・・。頼朝のもとに駆け付けたときも一緒だし、ずっと行動を共にしてきたことを考えると重成が重忠を裏切るのはなんだか腑に落ちない。橋供養の際に頼朝が落馬した事件の裏には北条時政がいて弱みを握られ、重忠を陥れることに加担せざるおえなくなったとか・・。どちらにしても北条氏的には秩父一族を排除して武蔵国を手に入れたというのが事実です。ちなみに子孫には、あの小山田信茂がいます。

 

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横山式部少輔弘成の墓

武田信玄乱入の際に後北条氏のために戦った横山式部少輔弘成の墓です。碑には「菅生横山党 初代 有孝 建保元年 和田乱ニ一族ト共ニ鎌倉・・ 三代 政孝 承久三年 承久ノ乱ニ京・・・ 六代 弘成 永禄十二年 武田信玄ト戦ウ」とあり横山党の庶流のようです。適当に写真を撮ったので碑が読めません。横山党って和田合戦でほとんど滅んだんじゃなかったかな。加わらなかったのかな。調べてみたけどよくわかりませんでした。

 

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いったん向ヶ丘遊園駅まで歩き、小田急線で柿生駅に向かいます。東京メトロが走ってる。最近は乗り入れが多くて気を付けないととんでもない場所に連れていかれてしまいます。

 

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瀧澤山春林院 浄慶寺 (浄土宗)

元和元年(1615)の開山。本尊は阿弥陀如来。境内には1000本を越える紫陽花が植えられています。柿生駅から歩いて10分ほどです。

 

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境内には表情豊かな羅漢像がたくさん。みんな楽しそう。ほっこりしてきます。

 

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まずはコロナを克服!

 

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山腹には秋葉大社も祀られています。のんびりと眺めていたら雨がポツンと落ちてきました。急いで駅に向かいます。

 

 川崎の紫陽花を見に行ってきました。訪れた時は咲き始めでまだちょっと早い感じでしたが、今月中旬には見ごろになっているんじゃないでしょうか。どこもとても居心地のいい場所でした。妙楽寺も浄慶寺も生田緑地もみんな山腹に紫陽花が植えてあるから満開になったらきっと紫陽花の山。見ごたえがありそう。

 そして今回訪れた妙楽寺と枡形山は多摩丘陵にあり、鎌倉の外郭境界線として軍事的に重要な地点でした。源頼朝は威光寺に弟の全成(今若)を、枡形城重臣の稲毛三郎重成をおき信頼のおける人々を防衛線としていくつもりだったはずですが・・・。全成も重成も頼朝の死後、北条氏に利用するだけされて、滅ぼされてしまいました。二人とも北条時政の娘を妻としているのに。そういえば畠山重忠の妻も北条氏の娘だったよね。駕籠塚の姫は一緒に死んでしまったけど、実は正室は知っていたとか。それにしても北条氏の謀略の数々には驚かされるばかりです。謀略により邪魔者を排除して権力を集中させたからこそ鎌倉幕府を強固にすることができたし、衰退する原因にもなったわけで。それもトップの器次第。今の日本はどうなんでしょうねぇ。今は鎌倉時代と違って選挙で選ぶことができるから、ちゃんと選ばないとね。