マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

苗木城 (岐阜県中津川市)  2017.8.27(日)


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苗木城(八大龍王
 苗木城は、1539年ごろ遠山氏が植苗木(苗木郷福岡)から高森山へ城を移したことから始まります。秀吉の時代には森(長可・忠政)氏領となりましたが、江戸時代徳川家康の下で遠山友政が18年ぶりに1521石の大名として復活し、以降260年間12代にわたり苗木領を統治しました。巨岩戸石垣に懸造の建物が配された珍しい城です。幕末期1万石クラスで城持ちだった大名は、苗木藩主のみでした。別名:赤壁城 壁を白く塗るたびに龍が白壁を削り取ってしまうため赤土の壁のままにされたという伝説が伝わっています。写真の八大龍王は遠山家の守り神。明治時代に現在の場所に据えられました。これをみたら巨石の城というのも納得です。それにしても真ん中のまん丸石が気になる。

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苗木城
玉蔵橋から眺めた苗木城

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駈門跡

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大矢倉
三階建の大きな櫓。巨石と石垣のコラボ

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大門跡

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三の丸
菱櫓門から望む三の丸と大矢倉

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菱櫓門跡

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千石井戸
今でも水が湧き出ています。

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武器蔵
縁石や礎石は当時のまま残されています。

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天守展望台
天守の柱があった穴を再利用した展望台。当時と同じように懸造りで作られています

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天守展望台からの景色(南)
中津川市街地と恵那山

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馬洗岩

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笠置矢倉
笠置山に向かって設定された物見やぐら

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風吹門跡
史料館にここの門が展示されています。

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二の丸に続く石垣

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二の丸
遠山家領主の住居や家臣が集まる部屋がありました。

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的場

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不明門跡

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帯郭
天守を取り囲むような帯郭

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石を割ったくさびの跡

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苗木城模型(苗木遠山史料館)

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風吹門(苗木遠山史料館)

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史料館駐車場わきにある顔の削られた仏様
廃仏毀釈のため? 苗木では知事(旧藩主)までが平田国学の門人となり、苗木領すべてが神葬改宗するように布達。遠山家の菩提寺雲林寺初め領内の全寺が廃寺となり、廃仏毀釈が徹底的に行われました。

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苗木遠山家廟所(旧雲林寺)
---☆☆

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津川駅からは案内板にしたがって歩いていくと、四十八曲り入口へと導いてくれます。三の丸まで四十八曲経由で約3,5km50分くらいで歩けます。駐車場もあるので、地元の人は車で来る人がほとんどのようです。

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旧北恵那鉄道の鉄橋
飛騨街道という看板が出ている山道が気になる。後で調べたらこの奥には弁慶岩という大きな岩があるらしい。桜公園を経て苗木城に行くこともできるとか。

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四十八曲り入口

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四十八曲り
天守まで高低差約170m。急な山道ですが、思ったほど長くはありません。

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中部北陸自然歩道
帰りは史料館から自然歩道を通って四十八曲り上り口を経て中津川駅に戻ります。巨岩がいっぱいの雰囲気のいい道です。

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ここにも石垣(中部北陸自然歩道)

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ヘビみたいな木がある。(中部北陸自然歩道)

 岩村城へ行ったときに喫茶店の人から、苗木城という岩の素敵なお城があると聞いてずっと行ってみたいと思っていました。やっと2年越しでやってきました。岩村城のほうが山城のイメージは強いのは標高差もあるのかな。でも巨岩で行ったら絶対に苗木城の勝ち。本当に大きな岩がごろごろ。よくこんな岩山にお城を建てたものだと感心しちゃいます。苗木遠山資料館では「苗木藩の参勤交代」という企画展をしていました。中山道を歩いてきてこの企画展を見るとすごくリアルに感じられます。標高差や距離がわかりやすくて、参勤交代の様子に描かれた人々が今にも動き出しそう。峠ではお殿様も徒歩でした。確かに和田峠とか駕籠や馬じゃ無理だもの。そういえば、20174月に「続100名城」というのが選定されたようで、苗木城も入っています。そのうちスタンプラリーも始まるとか。100名城もまだまだというのに・・・まわれるのかなぁ

(*少し修正をしようとしたら削除しちゃったので再度アップしなおしました)