☆データ☆ (日本100名城ガイドブックより)
(登城日: 2018年12月10日)
安土城 (大手道)
織田信長が「天下統一」の拠点の城として、琵琶湖畔の標高198mの安土山に築城しました。安土城は日本で最初の天守閣を持つ城で、戦闘より政治的支配として「見せる」要素が強い城でした。しかし、完成から3年後の天正10年(1582) 本能寺の変後、混乱の中で天主・本丸は焼失。天正13年(1585) 小牧長久手の戦い後に廃城となりました。その後は信長が城内に建てた摠見寺が、信長の菩提を弔いながら城址を守っています。
織田信長が「天下統一」の拠点の城として、琵琶湖畔の標高198mの安土山に築城しました。安土城は日本で最初の天守閣を持つ城で、戦闘より政治的支配として「見せる」要素が強い城でした。しかし、完成から3年後の天正10年(1582) 本能寺の変後、混乱の中で天主・本丸は焼失。天正13年(1585) 小牧長久手の戦い後に廃城となりました。その後は信長が城内に建てた摠見寺が、信長の菩提を弔いながら城址を守っています。
百々橋
百々橋口(西門口)
摠見寺への表口にあたります。現在はここからの入山は禁止されています。
摠見寺への表口にあたります。現在はここからの入山は禁止されています。
大手門西側石塁
大手門東側石塁
摠見寺受付
ここで料金を払います。百名城スタンプは出口側にあります。
ここで料金を払います。百名城スタンプは出口側にあります。
大手道石垣は一部修理中
伝羽柴秀吉邸
摠見寺仮本堂
大手七曲
石仏
転用された石仏はわかりやすく案内が表示されています。
転用された石仏はわかりやすく案内が表示されています。
伝織田信忠邸跡
伝黒金門跡
佛足石
石垣
伝長谷川邸跡 (織田信雄四代供養塔)
伝二の丸跡
伝二の丸跡 (信長公本廟)
石垣
石垣
伝本丸跡
天主跡
天守跡 礎石
天主より
当時は南側以外は琵琶湖に囲まれていたというから、絶景の眺めだったでしょうね。
信忠邸跡まで戻り、摠見寺に向かいます。
摠見寺 石段
摠見寺本堂跡
摠見寺三重塔 鬼瓦
この表情がとてもいい!
この表情がとてもいい!
摠見寺三重塔 百々橋口道
三重塔から百々橋口道を通って入口に戻れるはずですが、台風被害の修理中とかで通行禁止でした。チラッと仁王門が見えるけど・・残念。引き返します。
三重塔から百々橋口道を通って入口に戻れるはずですが、台風被害の修理中とかで通行禁止でした。チラッと仁王門が見えるけど・・残念。引き返します。
石灯籠
大手に戻る途中で、行きは気付かなかった大きな石灯籠があるのを発見
大手に戻る途中で、行きは気付かなかった大きな石灯籠があるのを発見
一周できなかったので、大手から百々橋口に向かいます。途中には文字を刻んだ大きな岩。なんて書いてあるんだろう
百々橋口道にきましたが、ここも通行止めでした。そういえば下から見た時に工事していたよね。結局引き返しです。
伝江藤加賀右衛門邸跡
安土城 復元模型内部(安土城郭資料館)
吹き抜けが広々とした印象的な空間です。豪華絢爛で何処でも見て欲しいというようにみせつつ、ちゃんと吊り天井とかもあるとういうのは戦国の建物です。そして内部にお堂もありますが、最上階に居るのは、もちろん信長公です。
吹き抜けが広々とした印象的な空間です。豪華絢爛で何処でも見て欲しいというようにみせつつ、ちゃんと吊り天井とかもあるとういうのは戦国の建物です。そして内部にお堂もありますが、最上階に居るのは、もちろん信長公です。
なんといってもドーンと続く大手道は立派。まっすぐ続く広い道の先に燦然と輝く天主。訪れた人はきっと度肝を抜かれたよね。パフォーマーとしての信長はすごいです! 織田信長が建てた天主。見てみたかったなぁ。八幡山からなぜか歩いてきてしまいましたが、安土山の高さは人々に天主を見せつけるのにちょうどいい高さな気がしました。繖山の高さじゃ下からよく見えないもの。海に開けた小高い山の上に燦然と輝く豪華絢爛な天主。たった三年で無くなってしまったのは、うたかたの夢。
安土城を見学するには、摠見寺受付で700円を払います。受付の出口側にスタンプが置いてあります。高い気もするけど、この城郭を修理し維持していくためには必要経費だよね。それにしてもよく遺構が残ったと思います。下手に壊したりしたら信長の祟りが起きるかも。
安土城を見学するには、摠見寺受付で700円を払います。受付の出口側にスタンプが置いてあります。高い気もするけど、この城郭を修理し維持していくためには必要経費だよね。それにしてもよく遺構が残ったと思います。下手に壊したりしたら信長の祟りが起きるかも。