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【日本100名城 その26】  60 赤穂城

60 赤穂城 (兵庫県赤穂市)  別名:喜春加里屋城、仮屋城、苅屋城、蓼城


イメージ 1☆データ☆   (100名城ガイドブックより)
 
 ・城地種類 平城(海城)
 

 ・築城     慶安元年(1648) 浅野長直

 
 ・主要城主 浅野氏、永井氏、森氏
 
(登城日: 2016313日)
 


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 赤穂城の創築ははっきりしていませんが、正保2(1645)常陸国笠間藩から入封してきた浅野長直が、慶安元年(1648)から13年の歳月を費やし、三角州の先端という要害の地にあった陣屋を近世城郭として整備しました。甲州流軍学と山鹿流軍学を取り入れ、折れを多用した縄張が特徴的です。天守台は築かれましたが、幕府の許可が下りずに天守は築かれませんでした。



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大手門と三の丸隅櫓


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二の丸外堀


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二之丸門跡


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大石頼母助屋敷門
頼母助は大石蔵助の大叔父で家老職を勤めていました


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本丸門


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本丸案内図


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本丸御殿跡


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本丸庭園


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刎橋門跡


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厩口門


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東側内堀(刎橋門跡)


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水手門
現在は埋め立てられ橋でつながっていますが、昔は海が広がっていました


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花見広場


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西仕切門
この奥にある二の丸庭園は現在工事中です


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大石邸長屋門
大石内蔵助の一家三大が五十七年に渡り住んでいた多い市屋敷の正面長屋です。元禄143月主君の刃傷事件の悲報を伝える早打ちがたたいたのもこの門です。間口約268m奥行約48m


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近藤源八宅跡長屋門
現存している建物は長屋門の長屋部分のみが残されています。当時は二十一間(約42.3m)の長大な長屋でした


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大石神社
大正元年大石内蔵助と47義士、萱野三平を合祀して創建されました。参道には赤穂浪士がずらりと並んでいます


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春の花がたくさん咲いています


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花岳寺
浅野家の菩提寺として正保2(1645)に建立


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息継ぎ井戸
早水藤左衛門、萱野三平の両士が、早籠で主君の悲報を持って駆け付けた際この井戸で一息ついて城内に入ったといわれています。日本三大上水道1つ赤穂上水道の給水井戸です。


 赤穂いえば、やはり忠臣蔵。駅前には采配を振る大石内蔵助の像が建っています。駅からまっすぐ歩いて息継ぎの井戸を経て15分ぐらいで赤穂城大手門に到着。枡形の門を歩いていくと奥には大石神社があります。実をいうと忠臣蔵とかの仇討ものは好きじゃないんだ。どっちが悪とも善とも言い切れないし。「赤穂浪士の場合は~♪あまりに~も・・・・・♪」って唄う、ちかえもんに賛成ですわ。参拝をして本丸に向かいます。本丸門は平成になってから古写真を基に復元されました。本丸内には御殿の間取りが復元されています。でも御殿自体の復元予定はないそう。そしてこの本丸跡にはなんと昭和56(1981)まで県立赤穂高等学校の校舎が建っていたんだって。なんだかちょっと不思議です。