☆データ☆ (100名城ガイドブックより)
・城地種類 平山城
慶長6年(1601) 池田輝政
(登城日: 2016年3月12日)
姫路城
世界遺産に登録された姫路城は、南北朝時代の初めに創築されたとされ、羽柴秀吉が姫山に三重の天守を築いて近世城郭としての体裁を整え姫路城と改称しました。現在の城の形にしたのは徳川家康の娘婿池田輝政で、9年の歳月を費やして、五重六階地下一階の大天守に三基の小天守を結んだ天守群を中心に、多くの櫓と門が並び立つ大城郭を築き上げました。その後、本多忠政が西の丸などを増築し、複雑な縄張を持つ名城が完成しました。
写真は男山から見た姫路城
姫路駅前から改札口で姫路城の案内に従って外に出ると、大手道の奥に姫路城が真っ白に輝いています。姫路の顔だね!この写真だと曇っててちょっとわかりにくいなぁ
青空だったらもっと映えるのだけど
大手門
でも本当は、大手門じゃないらしい
三之丸から眺める天守。迫力があります
菱の門
いくつあるんだろう
この狭間の数。侵入者だったらすでに遣られているね~
「は」の門に続く道
天守は目の前にみえるけど、くねくねと曲がる道はまだまだ続きます・・・
「に」の門
混んでいて天守にたどり着くのに30分以上かかってしまいました・・・・
石落としに隠し狭間
美しいだけのお城ではありません
滴水瓦
雨水を落とすための瓦には、家紋の違う瓦が混在しています
天守内部 武具かけ
天守内部 大柱
天守内部 石打棚
大天守からの眺め 西
大天守からの眺め 南
大天守からの眺め 東
備前門
説明文によると「入口脇のきれいに加工された直方体の石は古墳に埋葬されていた石棺の身で、築城の際に石垣に転用されたものです。そのほかの石垣にも古墳の石棺が多く転用されていて、姫路城近辺にあった古墳がいくつも破壊されたことが想像できます。」
お菊の井戸
天守の鯱
それぞれの時代の違いが面白い
「ぬ」の門
「り」の門から「ぬ」の門あたりはまだまだ工事中。ここの石垣は扇の勾配
こちらは西の丸からみた天守
西の丸
百間廊下から化粧櫓、天守
黒田時代の姫路城の模型
百間廊下にある模型。これが白亜の城になってしまうとは!
黒田官兵衛ゆかりの石垣
搦め手門
こちらはまだ工事中
姫山公園
土塁の向こうは堀になっています
千姫の小径
姫山原生林
白鷺城だけに鷺山になっている!?
この堀を船で渡るイベントもあるらしい
男山から見る姫路城。千姫はこの山に向かって祈っていたんだね
去年(平成27年(2015))の3月に平成の大修理を終えてグランドオープンした姫路城。1年たっても混んでいますね~。整理券の発行こそはなかったものの入城して天守に入るまで30分以上。天守に入っても入場制限があってなかなか進んではくれません。こんなに混んじゃうのも天守に着くまで、くねくね曲がる細い道を歩いて行かないとならないから。大勢で攻撃してきても一列にならざるを得なかったら、攻める方としたら辛いよね~。真っ白できれいな外観とは裏腹にしっかりと攻撃にも備えているお城です。今度は平日の空いているときにゆっくりと回りたいなぁ。
・大天守の高さ 姫山(標高45.6m)、石垣が14.85m、建物が31.5mで合計海抜92m
・心柱の大きさ 東西に2本、高さ24.6m、根元直径95cm、末口42cm
・面積 内曲輪以内の面積は23ヘクタール(230,000平方メートル)
外曲輪以内の面積は233ヘクタール(2,330,000平方メートル)