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【日本100名城 その23】  20 佐倉城

20 佐倉城 (千葉県佐倉市)  別名:鹿島城
 
 
 
イメージ 1☆データ☆   (100名城ガイドブックより)
 
 ・城地種類 平山城
 

 ・築城     天文年間(1532-55) 千葉氏?

慶長16年(1611) 土井利勝
 
 ・主要城主 土井氏、石川氏、松平(形原)氏、堀田氏、
    松平(大給)氏、大久保氏、戸田氏、稲葉氏
 
 
 
(登城日: 201635日)
 
 
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佐倉城(馬出し空堀
 鹿島台地西橋の川や急崖に囲まれた要害の地に、地元豪族の千葉氏が中世の城郭を築いたといわれています。北条方だった千葉氏の佐倉城が落ちた後、徳川慶長15(1610)土井利勝が入封して大改修。石垣を用いずすべて土塁で曲輪・掘割などを築造しました。以後、江戸の背後を固める城として代々譜代大名の居城となりました。明治維新後の廃城令により建物は撤去され、帝国陸軍歩兵隊の駐屯地となりました。現在は佐倉城址公園として整備されています。


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大手門跡
この門の西側には広小路、中下町、大下町といった武家屋敷地が整備され、三の丸御殿、会所などが置かれていました。


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自由広場
駐車場にもなっている自由広場には三の丸御殿があり、ここで堀田正睦は死去しました。一角にある佐倉城址公園センター内に日本100名城スタンプが置かれています。


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自由広場と三の丸の間にある空堀


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三の門跡


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二の門跡
武器庫として使用されていた。門内の二の丸には、藩政を執る役所がおかれていた。


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空堀(一の門脇)


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一の門跡


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台所門跡(不明門)から本丸、天守


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天守閣跡から本丸跡
すごく小さい天守閣跡です。櫓と変わらないくらいの大きさじゃないでしょうか。


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天守跡からは晴れていれば富士山が見えるそう。


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銅櫓跡


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土塁(本丸)


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石垣のないお城になぜか石垣。これは陸軍時代のものなのかしら。


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帯曲輪跡
本丸と囲む空堀の一の門寄りの堀の落ち口から台所門寄りの堀の落ち口の間に位置し、延長約260m、巾約4mから5m、武者走りから帯曲輪まで約25m、帯曲輪から根方(水堀際)まで約15m


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出丸跡 水堀(西側)


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出丸跡(西側)


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馬出し空堀
陸軍時代に埋め立てられてしまいましたが、発掘調査が行われ復元されました。


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佐倉城礎石
陸軍の営所を置く際に、佐倉城の建物を取り壊し、その基礎を兵舎の基礎に転用。発掘調査の際に出土した。


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堀田正睦公像 タウンゼント・ハリス像
幕末に老中首座として日米修好通商条約交渉に臨んだ堀田正睦と、タウンゼント・ハリスの像が並んで建っています。


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水堀(東側)


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姥が池


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訓練用の12階段
陸軍時代に作られた階段で、飛び降り訓練に使用されていました。



 建物も石垣もありません。が、土塁や空堀などの遺構がよく残っていています。石垣がそびえたつ城に比べるととてもやわらかい曲線でできていて優しい雰囲気の城跡です。とはいえ、空堀は深いし、周りは湿地で守られていた防御もしっかりとしたお城です。駅ハイついでにスタンプを押しにきましたが、思っていたよりも見どころが多くてつい長居。城址には桜や梅がたくさん植えられていて、ちょうど、河津桜や梅が見ごろを向かえていてとてもきれいでした。公園内の桜は約50品種1100本植えられているということで、これから4月にかけてお花見に訪れるにはとてもいいところです。