小峰御鐘ノ台大堀切
戦国時代、北条氏は小田原城を全長約9kmにも及ぶ総構で町ごと囲みました。総構の一部である堀切が当時のままの姿で残っています。幅が20~30m、堀底から土塁上部までは約12m、法面の角度は50度という急勾配です。
戦国時代、北条氏は小田原城を全長約9kmにも及ぶ総構で町ごと囲みました。総構の一部である堀切が当時のままの姿で残っています。幅が20~30m、堀底から土塁上部までは約12m、法面の角度は50度という急勾配です。
小田原駅(観光案内所) → ①北条早雲公像 → ②百段階段 → ③八幡山古郭 → ④小峰御鐘ノ台大堀切 → ⑤三の丸外郭新堀土塁 → ⑥清閑亭 → ⑦小田原文学館 → ⑧小田原漁港 → (石垣山一夜城) → ⑨大蓮寺 → ⑩外郎博物館 → ⑪小田原城址公園 → ⑫幸田口門跡 → 小田原駅 約9km(+約5km)
初代早雲が二代氏綱に家督を譲った1518年から数えて500年。「小田原開府500年」を記念しての駅ハイです。「総構」はちゃんと見たことがなかったので、いい機会だと思い参加してきました。ついでに一夜城にも寄り道。清閑亭が11時から開館なのでちょっと遅めのスタートです。
①北条早雲公像
小田原駅西口にあるこのブロンズ像は、平成2年(1990)に施政50周年を記念して建立されました。素浪人から成りあがった風雲児の早雲。と、思ってきたけど、いつの間にやらエリート官僚だったとか! 歴史はどんどん書き換えられていきます・・・・
小田原駅西口にあるこのブロンズ像は、平成2年(1990)に施政50周年を記念して建立されました。素浪人から成りあがった風雲児の早雲。と、思ってきたけど、いつの間にやらエリート官僚だったとか! 歴史はどんどん書き換えられていきます・・・・
②百段階段
城山中学校の脇から坂道を上ると長~い階段が現れます。通称百段階段。数えながら登ってみたけど百段過ぎても続く続く・・・。実際は131段もあります。
城山中学校の脇から坂道を上ると長~い階段が現れます。通称百段階段。数えながら登ってみたけど百段過ぎても続く続く・・・。実際は131段もあります。
百段階段から振り向くと小田原の街の向こうに海が見えます。右手奥には小田原城も。
③八幡山古郭
室町時代中ごろ、大森氏によって築かれた小田原城の中心地のひとつと考えられています。江戸時代大久保氏が八幡社を祀ったことから八幡山古郭と呼ばれています。小田原高校のグランドの辺りが西曲輪となっていました。グランド沿いに散策路が設けられています。写真突き当りは本曲輪高台(土塁)。広場の辺りは本曲輪北堀になっていました。
室町時代中ごろ、大森氏によって築かれた小田原城の中心地のひとつと考えられています。江戸時代大久保氏が八幡社を祀ったことから八幡山古郭と呼ばれています。小田原高校のグランドの辺りが西曲輪となっていました。グランド沿いに散策路が設けられています。写真突き当りは本曲輪高台(土塁)。広場の辺りは本曲輪北堀になっていました。
八幡山古郭 城山公園 海と城の見える丘
高校とテニスコートの間の道を上っていくと城山公園に入ります。このあたりは毒榎平と呼ばれていました。旧石器時代や縄文時代の石器が複数点確認されたり、弥生時代後期から古墳時代前期の集落跡が見つかっていて当時は集落がひろがっていたことが予想されています。
高校とテニスコートの間の道を上っていくと城山公園に入ります。このあたりは毒榎平と呼ばれていました。旧石器時代や縄文時代の石器が複数点確認されたり、弥生時代後期から古墳時代前期の集落跡が見つかっていて当時は集落がひろがっていたことが予想されています。
小峰御鐘ノ台大堀切東堀土塁
城山公園の奥に土塁が残っています。
城山公園の奥に土塁が残っています。
④小峰御鐘ノ台大堀切(東堀)
土塁の上からのぞいてみると・・さすがにここまでは登ってこられないでしょう。
土塁の上からのぞいてみると・・さすがにここまでは登ってこられないでしょう。
小峰御鐘ノ台大堀切(東堀)
よく写真で見るのはこのあたり。本当に大きな堀切です。これを上って攻めるのは大変だぁ。それにしてもきれいに残っています。
よく写真で見るのはこのあたり。本当に大きな堀切です。これを上って攻めるのは大変だぁ。それにしてもきれいに残っています。
途中で枡形の横矢掛かりとなっています。このまま反対側の道路へ抜けていきます。
⑤三の丸外郭新堀土塁
東堀を出てそのまま真っ直ぐに進んでいくと新堀に付きます。ここの開放時間は10:00~15:00。三の丸新堀に伴う土塁を中心とした場所で、総構ができるまでは小田原城の外郭線でしたが、総構が構築されたことで一つ内側の堀となりました。総構との結節点にあたる重要な場所です。明治維新後は閑院宮家の別邸となっていました。その後アジアンセンターとして活用されていましたが、2007年に国指定史跡に指定されました。
東堀を出てそのまま真っ直ぐに進んでいくと新堀に付きます。ここの開放時間は10:00~15:00。三の丸新堀に伴う土塁を中心とした場所で、総構ができるまでは小田原城の外郭線でしたが、総構が構築されたことで一つ内側の堀となりました。総構との結節点にあたる重要な場所です。明治維新後は閑院宮家の別邸となっていました。その後アジアンセンターとして活用されていましたが、2007年に国指定史跡に指定されました。
ここからは目の前に石垣山がよく見えます。この近さでどーんと城が現れたらそりゃ驚くわ。
きんじろうカフェ(報徳二宮神社内)
小田原城小峯曲輪跡に建つ神社の中にあるカフェでお昼タイム。二宮金次郎が食したといわれる呉汁を食べようと寄ったのですが、暑かったのでなぜかカレーになってしまいました。呉汁はもうちょっと寒い時にしよう。
小田原城小峯曲輪跡に建つ神社の中にあるカフェでお昼タイム。二宮金次郎が食したといわれる呉汁を食べようと寄ったのですが、暑かったのでなぜかカレーになってしまいました。呉汁はもうちょっと寒い時にしよう。
旧松本剛吉(貴族院議員)別邸 (岡田邸)
江戸時代後期は中堅藩士の武家屋敷地だったという西海子小路を歩いていると、公開中の看板が目に入り寄り道。池泉回遊式のとても立派な庭園だったのだろうと思われるのですが、今は水も流れていなくて・・・なかなか個人で手入れをしていくのは難しいそうです。
江戸時代後期は中堅藩士の武家屋敷地だったという西海子小路を歩いていると、公開中の看板が目に入り寄り道。池泉回遊式のとても立派な庭園だったのだろうと思われるのですが、今は水も流れていなくて・・・なかなか個人で手入れをしていくのは難しいそうです。
⑦小田原文学館
旧田中光顕(土佐藩出身 警視総監 宮内大臣等歴任) 別邸
現在は文学館として谷崎潤一郎や坂口安吾などの資料を展示しています。田中光顕の別邸と聞いて東海道を歩いている時のことを思い出しました。間宿岩淵の辺りにも公開はしていないけど別邸があって、おじさんが田中光顕のことをいろいろ教えてくれたんだよね。50歳も年下の娘と再婚したとか、黒幕的な存在だったとか。実際はどうだったんだろう
旧田中光顕(土佐藩出身 警視総監 宮内大臣等歴任) 別邸
現在は文学館として谷崎潤一郎や坂口安吾などの資料を展示しています。田中光顕の別邸と聞いて東海道を歩いている時のことを思い出しました。間宿岩淵の辺りにも公開はしていないけど別邸があって、おじさんが田中光顕のことをいろいろ教えてくれたんだよね。50歳も年下の娘と再婚したとか、黒幕的な存在だったとか。実際はどうだったんだろう
⑧小田原漁港
鰺をはじめとした相模湾の新鮮な魚介類が毎日水揚げされています。ここでお昼にしようかとも思ったけどいつも混んでいるからね。で、ここまで来たら一夜城まで行っちゃおうかなぁと、ちょっとコースを外れます。
鰺をはじめとした相模湾の新鮮な魚介類が毎日水揚げされています。ここでお昼にしようかとも思ったけどいつも混んでいるからね。で、ここまで来たら一夜城まで行っちゃおうかなぁと、ちょっとコースを外れます。
一夜城ヨロイヅカファームマルシェ
一夜城の駐車場脇にあるヨロイヅカファームでひと休み
一夜城の駐車場脇にあるヨロイヅカファームでひと休み
石垣山一夜城
この寄り道は続百名城スタンプを押しに来たのでした。
この寄り道は続百名城スタンプを押しに来たのでした。
⑧小田原漁港
同じ道を通って小田原漁港に戻ってきました。さて、コースに復帰。
同じ道を通って小田原漁港に戻ってきました。さて、コースに復帰。
⑩外郎博物館
外郎家の祖先は元(中国)の役人で、足利義満の招きで朝廷につかえていました。その後、北条早雲の招きにより小田原に移り重臣として仕えました。蔵を利用した博物館では、小田原で最も古い商家ゆかりの品々が展示されています。
外郎家の祖先は元(中国)の役人で、足利義満の招きで朝廷につかえていました。その後、北条早雲の招きにより小田原に移り重臣として仕えました。蔵を利用した博物館では、小田原で最も古い商家ゆかりの品々が展示されています。
⑪小田原城址公園
馬出門から、銅門を通り、常盤木門を抜けて正規登城ルートで本丸へとやってきました。
広場まではきているもののリニューアルしてから入城するのは初めて。駅ハイ参加者は割引の他、特典として「合格祈願 難攻不落の名城小田原城」と書かれた鉛筆がもらえます。城内はとてもきれいになっていて、再現された天守最上階には、摩利支天像が祀られています。正面が階段になっていてよく見えないようになっているのは、あえて?
馬出門から、銅門を通り、常盤木門を抜けて正規登城ルートで本丸へとやってきました。
広場まではきているもののリニューアルしてから入城するのは初めて。駅ハイ参加者は割引の他、特典として「合格祈願 難攻不落の名城小田原城」と書かれた鉛筆がもらえます。城内はとてもきれいになっていて、再現された天守最上階には、摩利支天像が祀られています。正面が階段になっていてよく見えないようになっているのは、あえて?
天守からは先ほど歩いてきた一夜城がよく見えます。
二の丸を抜け、学橋からお城の外に出ます。
⑫幸田口門跡
お堀端通りの北側に、三の丸への北の出入口として幸田門がありました。幸田門跡碑の奥には当時の土塁が残っています。
お堀端通りの北側に、三の丸への北の出入口として幸田門がありました。幸田門跡碑の奥には当時の土塁が残っています。
気になっていたものの何となく行く機会がなかった小峯御鐘ノ台大堀切。写真で見る通りとても大きくてきれいな堀切でした。総構を含めた小田原城、一夜城ともにこのところのお城ブームのせいかとてもきれいに整備されてきています。そのうち総構をぐるっと歩いてみようかなぁ。