マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【中山道 1日目】 日本橋 ~ 1.板橋宿 ~ (戸田公園駅)  2016.5.21 (土)

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板橋宿
江戸四宿の1つ、平尾宿、仲宿、上宿からなる板橋宿は、中山道最初の宿場町として賑わっていました。それぞれに名主が置かれ、本陣は仲宿1軒、脇本陣は各宿に1軒ずつ、旅籠は約50軒あり、宿内の人口は約2,500人でした。仲宿と上宿の境、石神井川に架かる板橋が地名の由来になったといわれています。現在川が流れてる場所は河川改修されていて、京側からとった写真奥のカーブになってる場所が本来の川筋です。
 
 
日本橋巣鴨 → 1板橋宿 → 荒川 → 本町一丁目交差点 → (戸田公園駅)  約18km


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 中山道 歩き始めました! 街道歩きの先輩たちから、中山道の素晴らしさを耳にするたび歩きたいと思いつつ、ガイドブックを購入。も、ハードルが高そうでなかなか歩き出せず。梅雨になったら歩かない、夏は暑くて歩かない、冬も寒くて歩かないマダオの習性。もう5月も半ば過ぎ。このままでは今年も歩かずに終わってしまう・・・。今日はお天気もまずまず。ふと思い立って、下調べもそこそこにガイドブック片手に出発。69次 約533kmの旅の始まりです。


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まだ10時前なので開店していませんが、重要文化財登録のニュースを聞いてでしょうか、写真を撮っている人がたくさんいました。


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正式名称は、神田神社天平2(730)の創建。江戸時代には「江戸総鎮守」として、今は、東京―神田、日本橋秋葉原、大手町・丸の内など108の町々の総氏神様となっています。祭神は、大己貴命(大黒様)少彦名命(恵比寿様)平将門命。明治天皇行幸の際、逆臣である平将門は摂社に移されたことも。ラブライフ!の舞台にもなっていて、コラボグッズも販売していました。無事、中山道を踏破できますように☆


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あじさい
今年は花の時期が早いですね。もう咲き始めています。


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赤門
加賀藩前田家の上屋敷跡に建つ東京大学。赤門(御守殿門)は、文政10(1827)、第11代将軍徳川家斉の娘溶姫が前田家に輿入れする際に建立された両番所つきの規模の大きい薬医門。

この先の本郷追分までは、日光社参の道と一緒。本郷追分で日光社参は右に折れ王子へと進み、中山道は左に折れて巣鴨へと進んでいきます。


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真性寺
江戸六地蔵の一つ。江戸の出入口6箇所に造立・設置されているお地蔵さま。東海道品川寺奥州街道(日光道中)東禅寺。そういえば、どちらも寄っていなかったなぁ。ここから賑やかな巣鴨地蔵通り商店街の始まりです。


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曹洞宗萬頂山高岩寺。慶長元年(1596)に江戸湯島に開かれ約60年後下谷屏風坂に移り巣鴨には明治24(1891)に移転。ご本尊は延命地蔵菩薩(とげぬき地蔵)秘仏なので拝見できませんが、本尊の姿を彫った御影に祈願してもご利益があるとされています。境内の洗い観音には多くの人が並んでいました。


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オムレツ(たけやま)
10時前に日本橋を出発して、ちょうどお昼の時間となりました。今日は巣鴨商店街でオムレツランチをいただきます。優しい味のオムレツです。


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おばあちゃんの原宿巣鴨。大勢の人で賑わっていました。定番の赤いパンツから美味しいお菓子、お食事処と沢山のお店が連なっている商店街をのぞきながらのぶらぶら歩きは楽しいもの。


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すがもん
鴨の国からやってきた巣鴨のご当地マスコット。商店街の入口には恋が実るすがもんのおしりもあるんだよ。


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猿田彦大神 庚申塚
江戸時代には中山道の立場としてにぎわった庚申塚。明暦3(1657)に再興された庚申塔の下には文亀2(1592)の碑も埋められているとか


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さざえ堂(すがも鴨台観音堂
大正大学の前を通ると、花まつりイベントが行われていました。商店街でも袴を着た女子学生たちが行列していたっけ。学生さんに誘われて平成25年(2013)に完成したさざえ堂にお参り。千住博画伯の壁画の前に優しいお顔の観音様がいらっしゃいました。


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近藤勇の墓
JR板橋駅の手前、平尾一里塚跡で中山道をちょっと外れて寄り道。板橋駅東口前にある近藤勇の墓です。流山で捕えられた近藤は、当時板橋に置かれていた新政府軍の本陣に送られ処刑。首級は京都に送られ胴体はここに埋葬されたと言われています。


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板橋宿
平尾一里塚跡から、板橋宿(平尾宿)へとはいります。個人的には、首都高のガード下で17号線を渡ったところからが宿内に入ったという感じ。上にあるモニュメントは、月と浅間山、商店街マスコットのうさぎ・ラッピー。ラビットとハッピーでラッピー・・・・


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板橋三丁目縁宿広場
現在の高札場。ここに貼ってあったチラシをみて、いたばし観光センターに寄ってみました。板橋宿の解説コーナーがあり、初代縁切榎の一部も展示してあります。1時半まで待てば、ボランティアが街を案内するというので、最近板橋に引っ越してきたという女性の方と一緒に板橋の中山道を案内していただきました。


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観明寺と寛文の庚申塔
真言宗豊山派如意山観音寺。明治に入り成田山から不動尊の分身を勧請し出世不動として親しまれています。境内の稲荷神社は、もと加賀藩下屋敷内に祀られていたうちの1社。参道入り口の庚申塔は寛文元年(1661)に建立されたもので都内最古のものです。


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板橋宿飯田本陣跡(仲宿)
幕末から明治には、当主が若かったので路地脇にあった飯田脇本陣が本陣としての役割を果たしていたそう。

真言宗豊山派。江戸時代初めに飯田家が、延命地蔵の境内を整備したのに始まるを伝えられています。境内入口には閻魔大王が祀られ、墓地には加賀藩前田吉徳の娘に仕えた飯田静の墓や遊女の墓もあります。


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縁切榎
縁を切りたい人や逆に悪縁を絶って良縁を求める人から信仰を集めていました。文久元年(1861)和宮降嫁の時には迂回する道が作られました。現在の榎は元あった斜め前から移転した3代目。「榎でもきれぬ時には松に行き」松とは鎌倉の縁切寺東慶寺。昔も今も悪縁を絶つのは難しい。絵馬は榎を管理している縁切榎前の蕎麦屋さんで購入する事が出来ます。見てはならぬと思いつつもつい目が行ってしまう絵馬の文字・・・・・幸せになって欲しいものです。
上町交番前の広場でガイドは終了。1時間半も丁寧にガイドしていただきました。ありがとうございます。ボランティアさんたちと分かれて中山道を先に進みます。


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埼玉に沢山ある氷川神社の一つ。ここで榎の絵馬をお焚き上げしてもらっているそうです。


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志村一里塚
日本橋から数えて三番目の一里塚。明治に入るころには荒れ果てていましたが、昭和になって新中山道の拡幅工事の際に石垣を積みなおすなどして整備が行われました。


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日本橋を出発した旅人が最初に出会う難所。隠岐殿坂、地蔵坂、清水坂と時代と共に名称が変わりました。途中で大きく曲がった急峻な坂で、中山道で唯一富士山の姿を右手に一望できる名所でした。


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川越藩松平信綱が河川改修を行い、川越と江戸を結ぶ舟運が結ばれました。隅田川に落ち合います。


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荒川
江戸時代は戸田川と呼ばれていました。明治8(1875)まで橋がなく、舟によって人や物資の運搬を行っていました。


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戸田の渡し 案内板
荒川を渡った車道脇にあるのですが、中山道の案内板にしたがって階段を降りて行くと下から見上げるだけ。奥に見える下の道路が旧道なのだけどぐるっと回らないとここに来られない。階段でもあるといいのになぁ


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中山道案内板(川岸ミニパーク)
街道沿いに中山道ミニパークがあってわかりやすい案内板が建っています。ちょっとした休憩もできます。


 4時半を過ぎたところで、駅に一番近い本町一丁目の交差点で今日は終了。埼京線戸田公園駅から戻ります。もうちょっと涼しいかと思っていたけど、今年の5月は夏のよう。汗びっしょりで歩くことになりました。中山道歩きのスタートとはいえ、なんだか思いつきの出発。でも今日はゆっくりスタートのおかげで、板橋では予定になかったガイドさんの説明が聞けてとても楽しかった。一人だとなかなか入りにくいお寺さんを案内してもらったり、お米屋さんや酒屋さんが多いわけ、美味しいお店を教えてもらったりと得した気分。そういえば馬つなぎ場のあった遍照寺は壊されていて再建されるのかもわからないそう。今日は寄らなかったけど、加賀藩下屋敷跡の加賀公園や、縁切榎の近くにあるボローニャこども絵本館も面白そう。巣鴨から板橋にかけて商店街がいっぱい続いているので、商店街めぐりも楽しそうです。この辺りを歩いたのは初めてだけど、お散歩するにはとてもいいところだと思いました。

長い長~い中山道。のんびり歩いていきたいと思います。

 
今回は、山と渓谷社の下記の本を頼りに歩いています。

「ちゃんと歩ける中山道六十九次 五街道ウォーク・八木牧夫著」
 書店で見つけて早速購入。いままで道路地図形式で歩いていたので、最初は使いづらいと思ったのだけど、慣れてくるととてもわかりやすく、今のところ間違えないで歩いてます。

「歩いて旅する中山道
 最初に買ったのがこちら。この地図だけで歩くにはちょっと頼りない。写真がたくさん載っているので各宿場の雰囲気が伝わってきます。