野木町煉瓦窯
国の重要文化財に指定されている煉瓦窯は、「ホフマン式円形輪窯」と言い、明治23年(1890)から昭和46年(1971)まで約80年間煉瓦を生産しました。現存する者の中で唯一完全な形を保っている貴重な産業遺産です。 「ホフマン窯とは・・・ドイツ人のフリードリヒ・ホフマンが1851858年に発明し、16区間の環状の窯で、成形した生の煉瓦を連続焼成できる施設。通常1室約14,000個全室で約22万個焼成可能。焼く温度約1000度23日で一周したといわれています。」
日光社参ウォークに参加した時、野木宿では雨のなか町長さんも参加してのおもてなしを受けました。通行手形までいただいてとてもうれしかった思い出があります。その時に煉瓦窯の紹介もありました。5月10日グランドオープンのニュースを聞いて、駅ハイのコースにもなっていたので早速見に行ってきました。
野木駅
西口ロータリーで受付を済ませて出発です。
田植えが終わったばかりの水田の中の道を歩いていきます。
国道4号線(日光道中)を渡ります。この小さい一里塚跡の看板。見覚えがある。
①のぎ水辺の楽校
渡良瀬遊水地に隣接する緑豊かな原野に遊歩道が整備されています。6月にはホタル観賞会も開催されます。
②野木神社
約1600年前に建立されたといわれ、平安時代に坂上田村麻呂が蝦夷征伐に成功し、祈願成就のお礼として社殿を新築、現在の場所に定めたと伝わります。樹齢約1200年の大銀杏は町の文化財に指定されています。神社の裏にたくさんの人がいたので覗いてみると、木の上にフクロウ(?)がいました。誰でも見られるように双眼鏡があったので覗いてみると、いた!残念ながら私のコンデジでは撮れませんでした。
境内ではウレシイおもてなし!
ネギ坊主の行列
③野木町煉瓦窯
グランドオープンウィークということで入場無料でした。すごい人出で中を見学をするには1時間以上も待つとのこと。せっかく来たので待ちましたよ。順番が来たらヘルメットを着用してガイドさんの丁寧な説明を聞きながらの見学。中はヒンヤリと涼しいけど、本来は窯の中。16室を仕切りながら焼成と冷却を一度の火入れでずっと続けるなんてすごい。ここでたくさんの煉瓦が作られて東京駅にも使われたんだって。隣接するホフマン館では、煉瓦窯の歴史や渡良瀬遊水地の自然を学ぶ事が出来ます。
のぎのん
町の花 ひまわりのイメージと煉瓦窯の帽子をかぶった女の子。ひまわりサンちゃんというお兄ちゃんもいるんだって。
④野渡橋
渡良瀬川と思川の合流地点に架かる野渡橋は、野木町と渡良瀬遊水地を結ぶ橋。2009年に車の転落死亡事故発生で通行止めになり、その後歩行者のみ通行可能となっていましたが、改修工事をして野木町煉瓦窯のオープンと合わせて5/10から一般車両も通行できるようになりました。煉瓦窯から野渡橋に向かう道路には、わかりやすいように行き先が書かれています。満福寺へ向かう分れ道は帰りに通る道。行きは野渡橋に向かいましょう。
橋を渡り渡良瀬遊水地の中を歩いていきます。ヨシ原のあちこちから鳥の声。
⑤東谷中橋
コースはここでとりあえず折り返。遊水地内は自由散策になります。橋を渡るとハート形の谷中湖です。ここから先に車は入れません。
⑥渡良瀬遊水地(谷中湖)
栃木、群馬、埼玉、茨城の4県の県境にまたがる面積33k㎡の日本最大の遊水地です。明治23年(1890)の洪水以降、渡良瀬川沿岸は足尾銅山の鉱毒被害を受け大きな社会問題となり、購読防止対策と利根川・渡良瀬川の治水を目的に、昭和5年(1930)に完成しました。2012年には、ラムサール条約湿地に登録され沢山の野鳥を見ることができます。
ホオジロ?
詳しくないので間違っているかも。せめて望遠鏡を持ってくればよかったなぁ
旧谷中村地区
広場が広がるこの地区は、足尾鉱毒事件の際に強制立ち退きとなった谷中村があったところ。のんびりとした風景からは想像できない辛い歴史があったところです。道路から近い東屋でお昼ご飯。この後は中の島を経由して谷中湖の中を歩いて東谷中橋、野渡橋に戻って満福寺に向かいます。谷中湖の道は車もいないし、広くて舗装されているのでサイクリングを楽しんでいる人がとても沢山いました。今回のコースはほとんど平坦なので、自転車で回るのがいいかも。特に渡良瀬遊水地は広いもの。野木や遊水地周辺には、あちこちにレンタサイクルステーションがあります。
⑦満福寺
古河公方足利成氏の創建と伝わる曹洞宗の禅寺。室町時代の連歌氏、猪苗代兼戴の墓などがあります。古河出身、渡辺徹さんの菩提寺でもあるそうです。境内には見事な桜の木があり、桜の時期にはライトアップもする随一の桜スポットだそう。センダンの木もみごとでした。
雀神社
ゴルフ場わきの土手を歩いてスロープを降りた脇のうっそうとした木々の中にあります。伝承によれば、貞観年間(859-876)に出雲大社から勧請。その後、康正元年(1455)足利成氏が古河公方となってから、代々の公方の崇敬が高く、徳川将軍家、歴代古河藩主の崇敬も篤く御朱印地15石を賜りました。現在の社殿は慶長10年(1605)松平丹波守慶長の造営したものです。
日光道中に戻ってきました。この道標にも見覚えがあるぞ。
本日のゴールです。
煉瓦窯のことを聞いて、日光社参ウォークを懐かしく思い出して見に行ってきました。とてもよく保存されています。ボランティアの方々も一生懸命に説明をしてくれて、本当に町の人に大切にされているのが伝わってきました。今週から見学料も有料になったとはいえ、高校生以上1人100円、中学生以下は無料。もっと高くてもいいのにと思うくらい。よかったです。そして渡良瀬遊水池に行くなら双眼鏡と図鑑は持っていきたいところ。ウグイスやオオヨシキリの声がとてもよく聞こえました。キジも見かけたし、名前のわからない鳥も沢山。今でこそ自然豊かな場所のように見える遊水地ですが、何故ここに遊水地があるのかってことは、忘れちゃいけません。訪れる際には、足尾鉱毒事件や田中正造についても知ってていて欲しいところ。国の経済優先のため、対策が後手にまわって国民に犠牲を強いるっていう構図は、今でも変わってないような気がする。そこで暮らす民を守るために存在するのが国なんじゃないのかなぁ、などと歩きながら考えてしまいました。