マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【鎌倉街道 中道】8日目 千川から赤羽  2021.7.7(水)

 

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道標

宝幢院前の道標

江戸時代の中期、元文5年(1740)12月に了運という僧侶によって造立されました。宝幢院の前は、板橋道(日光御成道)が日光・岩槻道と合流する位置にあり、銘文には「東川口善光寺道日光岩付道」・「西西国冨士道板橋道」・「南江戸道」と刻まれています。

 

千川千川駅→ 中板橋 → 蓮沼  → 赤羽 (約8km)→ 東十条東十条駅/ 約3km)

 

 所用があって有休を取得。朝から降っていた雨もいつも間にかやんでいます。用事が早くに済んだので、緊急事態宣言が発令される前にと鎌倉街道の続きを歩いてきました。千川駅から要町三丁目交差点に出てスタートです。

 

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大谷口給水所

歩き始めて次の信号で旧道に入ります。板橋高校の横を進んでいくとまた大通りに戻ります。左手に大谷口給水所のタワーが見えてきます。昭和6年に建造され老朽化のため取り壊された給水塔の意匠を継承して、平成23年(2011)に新しく建てられました。帽子をかぶったコロンと愛らしい塔です。

 

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給水塔を過ぎると板橋第十小学校前の信号で道が二手に分かれます。左手の道を進んでいきます。川越街道を渡り道なりに進むと左手にサミットが見えてきました。サミット手前の信号脇右手に庚申塔がありました。

 

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亀嶋山地蔵寺 専称院(浄土宗)

行基の作った地蔵堂がもとと云われており、都市計画道路建設のため昭和12年ころに豊島から板橋に移りました。

 

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東武東上線の踏切を渡って商店街をぬけ、石神井川を渡り、双葉町の交差点で環七を渡り、北豊島工業高校の横を進んで信号先の宮本公園の所で左に曲がります。道なりに進んで突き辺りを左に曲がるとライフの前の交差点(前野町交番前)。五差路になっています。交番の左側(右から2番目、行き止まりの道の次の道)を進み首都高をくぐると左手にお寺が見えてきました。

 

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挙一山遍照院 長徳寺(真言宗

創建は不祥ですが、鎌倉時代初期に中興開山したとされています。空襲で運慶作とされる本尊や本堂などが焼失してしまいましたが、戦後、本尊の不動明王が彫られ、本堂、山門が再建されています。牡丹がきれいなお寺だそうです。この先は、突き当りを右、左、左、右と曲がりながら進むと中山道(国道17号線)です。

 

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寶勝山 南蔵院真言宗智山派

中山道を渡ると正面に見えるのが南蔵院。当初は本蓮沼に創建されましたが、度重なる荒川の氾濫により現在地に移転されました。櫻寺の別名があるほど八重紅枝垂桜が有名で、花まつりの頃はとても賑やかだそうですが、今年はコロナで中止になってしまったそうです。

 

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蓮沼氷川神社

蓮沼村の鎮守で現在の浮間舟渡駅の西側一帯に勧請されたのが創建と伝えられています。荒川の氾濫により蓮沼村は高台のある現在地に別当寺である南蔵院と同様に移転してきました。

 

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末広稲荷大明神

道なりに進んでいきます。合流したところで左に進み、信号を右に曲がりY字を左に進むと大きな通りに合流します。道の反対側にお稲荷さんが見えます。この辺りの土地は、明治の初めから昭和二十年の終戦まで旧陸軍の敷地でした。兵器支廠赤羽火薬庫が完成し火伏のために稲荷神社が祀られました。終戦後は、外引揚者や戦争被災者の住居用として転用され、稲荷神社も軍所有から氏子会へと移転されました。

 

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お竹如来(善徳寺)

大きな仁王像の大恩寺、善徳寺とお寺が並んでいます。善徳寺の境内には、お竹如来が祀られています。お竹は、名主の佐久間家の奉公人でしたが、貧しい人に食事を施すなど情に厚い人で行者の夢のお告げにより「生きた大日如来」といわれて崇拝されるようになりました。善徳寺は享徳2年(1453) 楽誉聡林により現在の吹上御苑の辺りに開山されましたが、江戸城の拡張整備に伴い浅草に移転、関東大震災の罹災により現在地に移転しています。

 

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ヌヴェール赤羽台

歩道橋を過ぎたら団地の中の歩道を歩いていきます。新しくてきれいな建物が並んでいます。老朽化にともない、2000年以降、順次建て替えが行われている赤羽台団地です。昭和37年(1962) 陸軍被服本廠跡地に造成された東京23区内では初のマンモス公団住宅として竣工されました。駅からも近く住みやすそうです。縄文時代から人々が住み始め、縄文時代前期、弥生時代古墳時代の住居跡が見つかっているくらいですから、住みやすさとしては折り紙付きですね。

 

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東洋大学 情報連携学部 (INIAD)

歩道が切れたところで大通りに戻ります。道の両側にあるのは東洋大のキャンパス。まだ工事中の所もあるみたいですが、設計は隈研吾。木材と違い劣化の心配がないアルミニウムに木目を直接印刷した製品を使っているそうです。チラッとしか見えませんでしたが、たしかに隈研吾のデザインです。そういえば東洋大創立者は前回歩いた哲学堂公園井上円了。なんだか繋がっていますね。

 

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駅まで下り坂は、「うつり坂」と呼ばれていますが、名前の由来はよくわかりません。坂の途中に小さな祠がありました。JRのガードをくぐると宝幢院の塀が見えてきます。

 

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医王山東光寺 宝幢院(真言宗智山派

本尊は薬師如来像。寛正2年(1461)宥鎮和尚によって開山され、約150年後に深承阿闍梨及び宥意和尚が中興しました。かつては浮間村西野にありましたが、荒川の氾濫による洪水を避けて赤羽に移転しました。

 

 門の前にある道標のところで西ルートは終了。東ルートの中道と合流します。これで繋がったような気はしますが、御成道を歩いたことがあるとはいえ、前回は東十条で終えてしまい何となく中途半端な感じ。なので、東十条まで歩くことにしました。

 

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自得山 静勝寺(曹洞宗)・稲付城跡

赤羽駅を過ぎたところで線路の反対側に渡ります。右手の細い道の奥に急な階段が見えます。太田道灌が砦として使用したといわれる稲付城跡につくられた静勝寺です。寺伝によると、永正元年(1504) 禅の師匠であった雲綱が、非業の死を遂げた道灌の菩提を弔うために草庵を結び、道灌寺と名付けたのが起源とされています。境内には、木造太田道灌坐像が安置された道灌堂があります。命日の7月26日にちなみ毎月26日に開扉しているそうです。東ルートは、道灌道ですね。

 

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中坂から街道に戻ります。街道沿いにヒマワリが咲いています。

 

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若宮八幡社

埼京線の線路をくぐり歩いていくと小さな公園の前に日光御成道の案内板がありました。公園脇から階段を上り八幡様へお参り。ここでちょっと街道を外れ北側の階段を下りて、街道と反対側に進みます。

 

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清水坂公園

長いローラー滑り台や自然館もある大きな公園があります。一休みして環七を渡ると十条富士見銀座商店街から十条銀座商店街へと続きます。北区最大規模の商店街でたくさんのお店が連なっています。ショッピングモールと違って普段着の雑多な感じがいいですよね。コロナ下なので通り過ぎましたが、冷やかしながら歩きたい商店街です。商店街を途中で折れ街道に戻ります。

 

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十条富士神社

街道との合流点にある十条冨士塚は、地元では「おふじさん」の名で親しまれています。といわれていますが、道路拡張のために削られていました。跡形もありません。移転させるようですが、どこになんでしょう。

 

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中十条公園

富士塚前の歩道橋をわたると公園があります。案内板には、富士塚日光御成道の説明が書いてあります。公園の隣にある真光寺(真言宗智山派)は、江戸時代中期に建立、本尊は勢至菩薩。おびんずる様も祀ってあります。

 

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東十条駅 地蔵堂

東十条駅前まで戻ってきました。駅前にある地蔵堂は、以前は地蔵坂の中腹にありましたが、昭和六年(1931)の下十条駅(現東十条駅)開通、昭和十二年の道路拡張により現在地に移されました。中央の子育地蔵尊は年代不明ですが江戸時代にはすでに祀られていたようです。 正面の庚申塔は道標も兼ねていて、右より練馬みち、左より豊島みちと彫られています。

 

 やっと中道が繋がりました。これでちゃんと終了です。鎌倉を出発して、起伏のある尾根道を歩き、多摩川を渡り、中小の河川が削った台地の連なりを歩いてきました。鎌倉殿から御家人、武士、商人、町民、有名な人、無名な人、様々な人々が歩いた道。馬に乗った武士が駆け抜けた原野から、農地になったり、砦になったり、庭園になったり、軍事施設になったり、今はすっかり住宅地や商業地となっていますが、それぞれの土地に、時代に、いろいろな物語があって、道はずっと繋がっています。

 この日歩いた次の週(7/12)には東京で4度目の緊急事態宣言が発令されました。感染者が増えているけど効果があるかどうかは・・。オリンピックも始まりました。近づくにつれ気持ちが萎えていくオリンピックなんて初めてです。これ以上の問題が起こらないことを祈るばかりです。