マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

早春の都心「神田川」を渡り歩く   2015.3.6


駅からハイキングのいつでもコース(3/63/15)で、神田川に架かる橋を巡ってきました。

♪あなたは~ も~う 忘れたかしら~♪・・・
神田川高田馬場の辺りの光景でしたが、今日はもっと下流飯田橋から歩きます。
 
「早春の都心「神田川」を渡り歩く」
飯田橋駅 → ①船河原橋 → ②小石川後楽園 → ③後楽橋→ ④東京都水道歴史館 → ⑤昌平橋 → ⑥神田万世橋マーチエキュート → ⑦万世橋 → ⑧神田ふれあい橋 → ⑨浅草橋 → ⑩柳橋 → ⑪両国橋 → ⑫隅田川テラス → 両国駅  約7キロ


飯田橋駅西口をスタート。地図とバッチをもらったら、牛込橋で外堀を渡ります。後で調べたらここには牛込見附があって江戸時代は田安門を起点とする上州道の出口といった交通の拠点だったそう。そういえば石垣らしきものがあったなぁ。


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①船河原橋
飯田橋のすぐ東側にあり、神田川に架かる。嘗ては飯田橋とカギ形をなし、江戸図にも描かれていた。現在の橋は昭和45年にかけられたコンクリート製。外堀通りの内回り左折車の一方通行路として、交通渋滞の緩和に役立っている。
飯田橋のところで外堀と神田川が合流します。


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寛永6(1629) 水戸徳川家の祖である頼房が江戸の中屋敷の庭として造った。池を中心とした回遊式築山泉水庭園となっており、琵琶湖や京都嵐山の大堰川など各地の名所を模した湖、山、川、田園などが巧みに表現されている。



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小石川橋
江戸時代の小石川門があった所で、明治5年(1872)に城門を撤去して、木橋を新しく架け直しました。橋を渡った先が、神田川日本橋川の分流点。日本橋川に架かる橋は三崎橋です。
 

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③後楽橋
神田川日本橋川の分岐点のすぐ下流にあり、神田川に架かる。昭和2112日に架設された関東大震災の復興橋のひとつ。


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水道橋
水道橋の名は、この橋の少し下流神田上水のかけ樋があったことに由来するといわれています。
 

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④東京都水道歴史館
本郷給水所公苑に隣接し、江戸時代から現代にいたる水道事業の歴史を紹介。1回は近現代水道。2階は江戸上水に関する展示。特に2階は、玉川上水を開削した玉川兄弟のドラマを描いたアニメーションと人形劇や、庶民の暮らしと上水のつながりが感じられる長屋の再現など、楽しくわかりやすい展示が豊富。


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お茶の水橋からの眺め
お茶の水の地名は、江戸時代に将軍家の茶の湯に用いる清水がこの渓谷近くから湧き出ていたことによります。
 

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聖橋
両岸に位置する2つの聖堂(湯島聖堂ニコライ堂)を結ぶことから「聖橋」と命名されました。ここから取ったら全然素敵に見えないけど、川から見たときに美しく見えるように設計されているそうです。
 

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元禄時代5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟です。


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神田川に架かり、最初は寛永年間(16241644)にかけられ、相生橋・芋洗橋などとよばれた。江戸時代初期に徳川綱吉儒教の振興を図るため湯島聖堂を造営。儒教の祖・孔子の故郷である中国の昌平郷にちなみ、昌平橋と名付けられた。


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中央線神田駅からお茶の水駅間にあった、赤レンガ造りの旧万世橋駅の遺構を利用した商業施設。かつてのホームは展望デッキ「2013プラットホーム」に変貌。隣のカフェ「N3331」では、中央線がすぐ横を通るガラス張りのスペースで飲食を楽しめる。
 

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「N3331」
中央線を眺めながら、お昼に和酒カレーをいただきました。


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神田川に架かる橋。現在地よりも少し上流の昌平橋寄りに、延宝4年(1676)、筋違橋が架けられ、徳川将軍家寛永寺に詣でる際に利用された。位置は多少ずれるものの、筋違橋の後継橋として架設された。


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⑧神田ふれあい橋
神田川に架かり、新幹線のすぐ東側にある。新幹線工事用の橋だったが、地元の要望により、工事完了後も撤去せずに、平成元年から歩道橋として利用されている。


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おたぬきさん
5代将軍綱吉公の生母、桂昌院により江戸城内に福寿稲荷と称して創建され、後世、祠を移し祭祀されるようになり、明治2年現在の柳森神社に合祀されました。
他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った院の幸運にあやかろうを大奥の女中たちはこぞってお狸さまを崇拝したといわれています。


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和泉橋
昭和通りにあり、その橋名の由来は神田川の北側に藤堂和泉守の屋敷があつたためとも、和泉守高虎の創架によるとも伝えられています。


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美倉橋
そばに三つの倉があったことから「三倉橋」、転じて「美倉橋」と呼ばれるようになったといわれています。


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左衛門橋
橋の北詰に鶴岡藩(通称庄内藩)の酒井左衛門尉の下屋敷があったことからこの地名が生まれたといわれています。江戸時代に橋は無く、明治以降に架橋されました。


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⑨浅草橋
神田川に架かる橋で、江戸時代初期から奥州街道に通じる交通の要所として重んじられてきました。この辺りから下流には屋形船の姿が見られます。


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神田川が大川(隅田川)に流れ込むところに架かるため、「川口出口之橋」と名付けられていたが、川のほとりに柳が植えられていたことから、いつしか「柳橋」と呼ばれるようになったという。


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⑪両国橋
中央区日本橋墨田区両国を結ぶ、隅田川に架かる橋。明暦3(1657)の明暦の大火をきっかけに、万次2(1659)に架橋された。現在の橋は昭和7年築の関東大震災の震災復興橋のひとつ。
 

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両国橋の西の袂からは、スカイツリーがよく見えます。


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隅田川テラス
隅田川に両岸に沿って整備された親水テラス。きれいに舗装され、多くの人が散歩やジョギングを楽しんでいる。各地域のボランティアにより整備されている花壇は季節ごとの花々が美しい。


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途中で国技館の博物館と江戸東京博物館に寄り道して両国駅に到着。ゴール。駅前には相撲の街らしくお相撲さんのオブジェ。
 
船河原橋から、神田川下流の橋をすべて確認しながら歩いてきました。普段はただ通り過ぎてしまうだけの橋ですが、それぞれの橋にいろんな歴史があるんですね。うろうろしながら歩いていたら、7キロの道のりのはずが万歩計では13キロ近く。そんなに寄り道していたかしら?
 
神田川」とは、
東京都三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し東へ流れ、台東区中央区墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流する。流路延長24.6km、流域面積105.0km²と、東京都内における中小河川としては最大規模で、都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠であることは極めて稀である。かつては「神田上水」を取水し、江戸の水道として利用されていた。(Wixi)