マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【甲州道中 1日目】 日本橋 → 1.内藤新宿    2019.02.03

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内藤新宿 (新宿歴史博物館)
日本橋から高井戸宿との間の距離が遠く、旅人が不便であることから、元禄11年(1698)に開設されました。

日本橋1.内藤新宿 (新宿駅)   約8.7km

そろそろ動き出しますか。甲州街道 始めました!

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「熈代勝覧」絵巻
200年ほど前の江戸もずいぶんと賑わっていましたねぇ。さて、日本橋に向かいましょう。


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「いだてん」でみた高速道路のない日本橋を想像しながら、大好きな麒麟像に挨拶をして出発です。日本橋交差点まで歩いたら、永代通りを右に曲がり東京駅を目指します。

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一石橋 親柱と迷子しらせ石標
江戸時代後期に建立された迷子探しの告知石碑。左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、それを見た通行人が心当たりを書いて右側に貼って知らせた告知板のようなもの。これを利用していた人のはもちろん江戸の庶民。ちゃんと字が読めて書けたわけで、江戸時代の識字率の高さってすごいんだなぁと思います。往来の多い場所には同様のものが設置されていたようですが、現存するのはここだけです。一石橋の北に金座支配・後藤庄三郎、南に呉服町頭取・後藤縫殿助の屋敷があり、後藤(五斗)を二つ足して一石橋の名が付いたといわれています。

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東京駅 日本橋
甲州街道は、東京駅日本橋口から東京駅一番街を抜け、丸の内北口に抜けます。江戸時代、日本橋口の辺りには北町奉行所が置かれていました。

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東京駅 丸の内北口
2012年に復元された丸の内駅舎。赤レンガの素敵な建物です。後ろの高層ビルがないをもっといいのにと毎回見る度に思ってしまいます。東京駅は、新橋~神戸間の官設鉄道(東海道線)と上野~青森間の私鉄・日本鉄道(東北線)を結ぶ高架鉄道の中央停車場として建設されました。大正3年(1914)に開業した中央停車場は「東京駅」と名付けられました。皇居の真正面、行幸道路に直結され、駅舎の中央に皇室口が設けられていて「国家の中心駅」「天皇の駅」としての色が濃く打ち出されもので、当時の繁華街である日本橋に近い八重洲側には出入口が設けられていませんでした。

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日本工業倶楽部(伝奏屋敷跡)
江戸時代、武家の奏請を朝廷に取り次ぐ武家伝奏の屋敷がありました。年頭のあいさつに下向してくる勅旨もここに宿泊しました。勅使の滞在中、勅饗応役を命じられた大名が世話をします。元禄14年(1701)この役を務めたのが浅野内匠頭長炬。ここから松乃廊下につながっていくんですね。現在は、1917年(大正6年)に当時の有力実業家により創立された日本工業倶楽部大正9年(1920)に建築した本格的なセセッション様式の建物を、老朽化のため一部保存・再現したうえで建て替え、三菱隠宅銀行本店ビルとなっています。

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和田倉濠
皇居が見えてきました。いやいや甲州街道だから江戸城ですね。しばらくお堀沿いを歩いていきます。

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和田倉 石垣
江戸城の切り込み接ぎは、いつもすごいなぁと感心してしまいます。

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行幸通りから見る東京駅
東京駅の周りには高いビルは建てちゃぁいけねえよ、特に後ろ側。と思ってしまう。

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和田倉門守衛所
大正12年(1923) 関東大震災復興事業によりお濠を埋め立てて造られた行幸通り。皇居の入口にあたるため、行幸の際に歩哨が立っていたと考えられています。

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明治生命館
昭和9年(1934)竣工した明治生命館は、戦時中の金属回収、東京大空襲終戦後にはアメリカ極東空軍司令部として使用するためにGHQ連合国軍最高司令官総司令部)に接収されました。

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日比谷濠
この辺りのお濠は広々としてますね。

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日比谷見附跡
江戸城外郭城門のひとつ日比谷御門の一部で、現在の日比谷公園内にあります。江戸時代には
萩藩毛利家や佐賀藩鍋島家、三草藩丹羽家、吹上藩有馬家、福知山藩朽木家、盛岡藩南部家、唐津藩小笠原家、狭山藩北条家の各上屋敷がありました。

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桜田門
正式には「外桜田門」といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対して名付けられました。この辺りを桜田郷と呼んでいたことに由来します。寛永年間(1624~44)に建築されたとされ、現存の門は寛文3年(1663)に再建された門を基に復元されました。桜田門といえば、万延元年(1760)3月3日、大老井伊直弼が水戸脱藩士に暗殺された桜田門外の変。享年44歳。暗殺予告があったのに対応しなかったというのは、やっぱり井伊直弼の落ち度だよね。

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桜田門から振り返ると霞が関の官庁群。赤レンガの建物が見えます。法務省旧本館(中央合同庁舎第6号館赤レンガ棟)。ドイツ人建築家の設計により、明治28年(1895)竣工しました。ここは米沢藩上杉家の江戸屋敷があったところ。そして右手に見える警視庁には、豊後杵築藩松平家屋敷がありました。この辺りには素敵な建物がたくさんありますね。近代建築めぐりもしてみたいなぁ。

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桜田門を過ぎるとお濠は土塁になりました。全部石垣だとばかり思っていました。きれいです。さすが江戸城。そういえばお濠を一周ちゃんとまわったことなかったなぁ。今度まわってみよう。

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奥に国会議事堂が見えてきました。それにしてもランナーの多いこと!

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あまりのランナーの多さにいったん道路の反対側に避難。どうやらイベントで普段よりも多くの人が走っているようです。距離ポストは4キロ。約一里を歩いているのにまだ皇居のすぐ脇を歩いています。

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半蔵門
江戸城内郭門のひとつで「こうじまち口」と呼ばれ、四谷門とともに甲州街道の要衝となっていました。服部半蔵がこの辺りに屋敷を拝領していたといわれています。現在は皇室の皇居への通用門として使用されています。甲州街道はここで皇居を離れます。

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麹町大通り
半蔵門の交差点を左折していきます。麹町は、江戸城の西側に位置する山の手台地にある町名で、由来については、入り組んだ「小路(こうじ)」が多かったからとも、米や麦、大豆などの穀物や糠などを発酵させた「麹(こうじ)」を扱う店が多かったからとも、国府(こう)と呼ばれた武蔵国府へ向かうための道「国府路(こうじ)」があったからとも云われています。江戸城から近く武家屋敷や寺社地がありましたが、甲州街道沿いだけは、町屋として商人や職人が集まって住んでいました。

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四谷見附跡
現在の四ツ谷駅前にあります。江戸五口のひとつ、半蔵門から甲州街道に出る重要なルート上にあり、外濠に枡形の見附が築かれていました。江戸五口(田安門・上州道、神田橋門・芝崎口、外桜田門・小田原口/東海道、常盤橋門・浅草口/奥州道、半蔵門甲州街道

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江戸城外濠跡(四谷門地区)
牛込(飯田橋駅)から赤坂(赤坂見附))へ続く江戸城外濠は、寛永13年(1636)に仙台藩伊達家をはじめとする東国52家の大名により、江戸城内郭と城下を取り巻くように造られた延長約14kmの濠です。お濠に架かる四谷見附橋は大正2年(1913)に竣工された都内最古の陸橋です。

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新宿歴史博物館
新宿にも歴史博物館があるんだぁと、街道を外れてちょっと寄り道。旧石器時代から江戸、近代、昭和から平成まで新宿の移り変わりが展示されています。特別展は新宿御苑。面白くてつい長居をしてしまいました。街道に戻ってパン屋さんのイートインで腹ごしらえ。

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消防博物館
歩きだしたら街道沿いにまた気になる博物館。エントランスを入っただけでカッコいい消防ヘリが目に入ります。消防の歴史がわかるとても楽しい博物館でした。

1.内藤新宿
日本橋から高井戸宿との間の距離が四里と遠く、旅人が不便であることから、元禄11年(1698) 浅草阿部川町の名主喜兵衛等の願いにより開設されました。内藤氏下屋敷の一部を割いて宿が造られたので内藤新宿と名付けられました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は698軒、うち本陣1、脇本陣0、問屋場1、旅籠24軒。宿内人口は2377人(男1172、女1205)

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四谷大木戸跡 水道碑記 
内藤新宿の東口。ここには玉川上水の取水口があり、水番所が置かれていました。

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新宿御苑
江戸時代は、信州高遠藩内藤家の下屋敷がありました。新宿歴史博物館で新宿御苑の歴史について勉強してきましたよ。明治に入ると牧畜園芸の「内藤新宿試験場」となり、その後、宮内庁の「植物御苑」となり西洋式庭園の「新宿御苑」と改称されました。観桜会・観菊会などの皇室行事が行われていたり、明治には鴨場や動物園、昭和には遊園地もあったそうな。寄り道したいとこだけど、今日は外から眺めるだけにしておこう。

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青梅街道追分
現在の新宿三丁目の交差点が、内藤新宿の西口になります。追分だんごのお店があります。たくさんの人が買い物してたけど、ここが青梅街道との追分だってどれくらいの人が知っているんだろう。かく言う私も今日知ったばかり。青梅街道もそのうち歩くかな。お土産は団子じゃなくて、豆大福といちご大福を買いました。

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新宿駅
今日はスタートも遅かったし、買い物もしたいので街道歩きはここで終了です。


 年明けなかなかエンジンがかからなかったのですが、節分だし、お天気も良かったので、甲州街道歩き、やっとスタートです。今日は慣らし運転ってとこで、少しずつ進んでいきましょう。
今回も「ちゃんと歩ける」シリーズの甲州街道がお供です。