マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【甲州道中 2日目】 1.内藤新宿 → 2.下高井戸 → 3.上高井戸 → 4~8.布田五ヶ宿(4.国領・5.下布田・6.上布田・7.下石原・8.上石原) → 9.府中宿    2019.02.24

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大國魂神社(六所宮・武蔵総社)
約1900年前に、武蔵国の守り神として大國魂大神を祀ったのが始めと云われています。例大祭の「くらやみ祭」は東京都指定無形民俗文化財に指定されています。

1.内藤新宿 →(6.9km)→2.下高井戸 →(1.6km)→ 3.上高井戸 →(6.1km)→ 4-8.布田五ヶ宿(4.国領・5.下布田・6.上布田・7.下石原・8.上石原) →(7.6km)→ 9.府中宿  約22km

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新宿駅から出発。しばらく国道20号線甲州街道)沿いに歩いていくと、西新宿三丁目の交差点を過ぎたあたりから頭上は高架に覆われていきます。

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新国立劇場 東京オペラシティ
ガレリアで繋がっている新国立劇場東京オペラシティ新国立劇場は渋谷区で、東京オペラシティは新宿区なんです。ってことで渋谷区に入りました。


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笹塚一里塚
日本橋より三里目。案内板によると、直径1mほどの塚があり、その上に笹(または竹)が生い茂っていたことから笹塚と呼ばれ、今も町名として残っています。その塚が一里塚であるかどうかははっきりしませんが、その塚に一里塚の印を記している古図もあるそうです。新宿方面から歩いていくと見逃しそうですが、交番の手前に案内板があります。

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玉川上水に架橋されていた橋です。代田橋を過ぎると杉並区に入ります。でも、国道の反対側は世田谷区です。

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明治大学 和泉キャンパス
1923年の関東大震災駿河台校舎が全焼したことから、和田堀町和泉新田旧火薬庫跡地に移転してきました。江戸時代から武庫司所管の「御焔硝蔵」があった場所で、維新後も陸軍省の「火薬庫敷地」として利用されていました。

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玉川上水暗渠上緑地
国道歩きにちょっと疲れたので、すぐ脇の緑地を歩こうと思ったけど、国道から離れていってしまうので、あきらめて国道に戻りました。散歩するならホントはこっちの方がいいなぁ。


2.下高井戸宿
上高井戸宿と合宿で問屋業務は月のうち上十五日を勤めていました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は183軒、うち本陣1、問屋1、旅籠3軒。宿内人口は890人(男439、女451)
3.上高井戸宿
下高井戸宿と合宿で問屋業務は月のうち下十五日を勤めていました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は168軒、うち本陣1、脇本陣0、問屋場1、旅籠2軒。宿内人口は787人(男415、女372)

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たぶん下高井戸宿に入っているはず。うっかり歩道橋を手前で渡ってしまいま宗源寺をスルー。歩道橋から撮っていた写真を見たら右手奥に宗源寺がチラッと写っていました。境内の不動堂はかつて高台にあったため「高井戸」と呼ばれ、地名の由来となりました。

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下高井戸の一里塚
日本橋から四里目。鎌倉街道入口の交差点を過ぎた先にあります。本来は、ここから前方の高速道路下にあったそうです。この先で高速道路とお別れ。上北沢入口交差点を直進して、上高井戸一丁目の交差点を過ぎると甲州街道国道20号線)ともしばらく離れて旧道に入ります。

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旧道に入るとなんだかホッとします。石仏があつめられていたり、旧街道の標識もあります。


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お腹が空いてきたので、千歳烏山駅近く(黒豚ちんとん)で美味しいお昼ご飯。この辺りは賑やかな商店街です。

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里程標
明治三年(1870)建立の新一里塚。内藤新宿から三里目。内藤新宿を起点とした甲州街道に建立されていました。

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仙川三叉路
調布市にはいりました。甲州街道国道20号線)に合流します。

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仙川の一里塚
日本橋から五里目
日本橋から20kmのキロポストから少し歩いたところに五里目の一里塚。どちらも歩きの励みになります。

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キューピーの工場です。見学は予約が必要だそうです。ギフトショップには予約なしでも入れるそうだけど、この日はお休みでした。

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瀧坂旧道標石
いったん国道から離れて旧道に入ります。短いけどこういう道はいいなぁ。名前の由来は、雨が降ると滝のように流れるからとか。急坂の難所だったそうです。

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金子のイチョウ
国道に合流すると立派なイチョウの木が見えてきました。寛延元年(1748) 伏見稲荷を勧請した際に植栽されました。でも案内板のあるところからは全然見えません。裏にもまわってみました。黄葉の時期はきれいだろうなぁ。

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曹洞宗大雲山金龍寺
建永元年(1206) 開基。 徳川三代将軍家光が鷹狩の際に休息しました。境内には復元された高札場があります。

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地蔵菩薩立像(妙円地蔵)
金子村に嫁いできて盲目となった女性(妙円)が出家して、毎日路傍で鉦をたたき、念仏を唱え続けて、多くの人々から受けた浄財で文化二年(1805)に建立しました。妙円の墓は深大寺に、鉦は調布市郷土博物館に保管されています。


4~8.布田五ヶ宿(4.国領・5.下布田・6.上布田・7.下石原・8.上石原) 
本陣、脇本陣はなく、旅籠9軒の間の宿的な小さな宿場でした。

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馬橋(野川)
国領宿の東口

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稲荷神社

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庚申塔
庚申塔の隣は・・・誰?

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常性寺
「布田のお不動様(成田不動尊)」として篤く信仰されています。

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天神通り商店街
おいっ!鬼太郎! 人が多すぎるぞ! 調布駅の近くまでやってきました。布多天神社に続く参道の入口です。布田と布多。何で違うんだろう。

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小島の一里塚
日本橋から六里目。樹齢200年余と推定される榎の大樹がありましたが、危険防止のため昭和40年頃に伐られてしまいました。

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天台宗長谷山西光寺
徳川三代将軍家光より御朱印地を賜った御朱印寺。門脇に近藤勇坐像があります。近藤勇武蔵国多摩郡上石原村(調布飛行場辺り)の生まれです。

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飛田給薬師堂
飛田給の駅前から続く道には沢山の人人人。味の素スタジアムで何かあるのかな。人込みを抜けると薬師堂があります。江戸時代初期に元仙台藩士の松前念仙により建立されました。諸国を巡り歩いたのち、この地に庵を結びました。境内には行人塚もあります。ここで江戸初期の中山道と分かれますが、ここはガイドブックの通りに進みます。


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常夜燈
嘉永五年(1852)に建立された常夜燈には、秋葉大権現 稲荷大明神などと刻まれています。府中市にはいりました。


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観音院
天台宗明神山金剛寺

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西武多摩川線を渡ります。


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染谷不動尊
本尊は「金銅阿弥陀如来像」、 新田義貞が鎌倉攻めの時に、陣中の守仏としました.境内には上染谷の地名の由来が書かれた碑があります。「俗説として調布(てづくりぬの)を染めた所とか、鎌倉時代に染殿のあったところとかいわれ、染屋の名は南北朝時代の資料にも見えています。古くは染屋という一つの村落であったものが、時期は不明ですが上染屋と下染屋に分かれたものです。」

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染谷不動尊のところから道を外れて、江戸時代初期の甲州道中に向かいます。この通りは「東郷寺通り」と呼ばれ、東郷平八郎の別荘跡に建立された東郷寺に続きます。東郷寺はしだれ桜がとてもきれいだそうです。が、東郷寺には行きません。次の信号で江戸時代初期の甲州道中に入ります。旧街道は「品川街道」っていうんだね。

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常久(つねひさ)の一里塚
日本橋から七里目。江戸時代初期の甲州道中に戻ったわけはこれ。一里塚はこちらにあるんです。東府中駅前で街道は合流します。踏切を渡って府中宿へと入っていきます。

9.府中宿
武蔵国府、六所宮(武蔵総社・大國魂神社)があった武蔵野国の中心でした。鎌倉街道が通り、生糸を扱う商家が軒を連ねる賑やかな宿場で、本町、番場宿、新宿で構成されていました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は430軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋3、旅籠29軒。宿内人口は2762人(男1386、女1376)

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武蔵国八幡宮
常夜燈の脇にある柱に書かれているのは郷土かるた 「ま: 松を立てない正月飾り」
府中では正月の門松に松を使わないそうです。なぜかというと、「大國の神様と八幡様が武蔵野の野原をお散歩中、夜になって宿屋を探しに行くと言ったきり八幡様がなかなか帰ってきません。待ちぼうけをくらった大國の神様は、“まつは ういもの つらいもの”といったことから、待つを松にたとえて大國魂神社には松の木が一本もないそうです。でも松尾社はあるんだよね。

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新宿入口
八幡宿の交差点から府中新宿へ入ります。新宿は大國魂神社(六所宮)の東側の町並みで、古くは采女宿と呼ばれていました。

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府中の大店、田中三四郎家があった場所で、明治天皇の行在所になりました。府中市郷土の森に、往時の表門や玄関式台付母屋などが復元されています。

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大國魂神社
武蔵国の総社として、武蔵国一之宮から六之宮までを祀っています。パンフレットでもwikiでも、・一之宮:小野大神(小野神社) ・二之宮:小河大神(二宮神社) ・三之宮:氷川大神(氷川神社)・四之宮:秩父大神(秩父神社) ・五之宮:金佐奈大神(金鑚神社) ・六之宮:杉山大神(杉山神社)となっています。一之宮は氷川神社とばかり思っていたから以外でした。氷川神社は一之宮だっていってるし、いろんな説があるみたいです。この神社の名前をはじめて知ったのは、「燃えよ剣」で土方が出かけた くらやみ祭。物語はさておき、元々は神の御霊を移した神輿が人目に触れないように明かりを消したことから「暗闇祭」といいます。

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武蔵国府跡
武蔵国国府がここに置かれていました。国府は、奈良時代の初め頃から平安時代の中ごろにかけて全国約60か国に置かれた役所です。

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馬場大門けやき並木
大國魂神社からまっすぐに伸びるこの道は国分寺街道。立派なけやき並木です。前九年の役(1051-1062) の折、大國魂神社に戦勝祈願をした源頼義・義家父子が、同役平定後にケヤキを寄進したとされています。

 2日目は府中で終了。歩き始めは高速道路下の薄暗い道を歩くばかりで、なかなかテンションが上がりません。まぁでも江戸を出てすぐの場所はだいたい刑場とかあってさびしい道なんだよ。いやいや街道から一歩外れれば住宅も商店も沢山立ち並んでいるんだけどね。空が見えないのはなんだか寂しいものです。高架下を抜けると歩くのも楽しくなってきました。やっぱり空が広いのはいいよねぇ。府中に近づくと新撰組の気配が漂ってきます。相変わらずの遅アップです。写真は撮ってないけど、歩いた時はちょうど梅が見ごろでした。