マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【甲州道中 12日目】 42.教来石宿 → 43.蔦木宿 →  44.金沢宿  2020.10.24(土)

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御射山神戸の一里塚

御射山神戸の一里塚

江戸日本橋から四十八里目

東塚にはエノキ、西塚にはケヤキが植えられていました。東塚のエノキは明治初期に枯れてしまいましたが、後にケヤキが植樹されました。西塚のケヤキは往時のもので樹齢約400年です。

 

42.教来石宿(下教来石バスターミナル)→(4.9km) → 43.蔦木宿 → (12.8km) → 44.金沢宿 → (約6.7km) → 茅野駅 約25km

 

週末に2日間の晴れ予報。高原の紅葉が楽しめるかな?

 

42.教来石宿

村の西に経来石がありました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は144軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠7軒。宿内人口は684人(男360、女324)

 

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下教来石バスターミナル

朝一番の特急で到着した韮崎駅のバス停は長蛇の列。え~っ!と思ったら、下教来石下行きのバスに乗ったのは2名だけでした。みんな茅ヶ岳に登るようです。バスに乗って約30分。終点の下教来石下バスターミナルが今日のスタートです。

 

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経来石

日本武尊酒折を経てこの大石で休んだ石なので「経来石」と呼び、後に経が教となり地名となりました。前回見損ねてしまったので、街道から脇に入り見に行ってきました。ところでどちらの大石が経来石なんでしょう。

 

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河西本陣跡 明治天皇御小休所址

 

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郵便局の脇から旧道へ入ります。コキアが色づいてきました。

 

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諏訪神社

本殿がとても見事だと書いてありましたが、囲われていてよくわかりませんでした。こちらは境内にあった不動明王様。なんだかユーモラスなお顔をしています。

 

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明治天皇御田植御覧之跡碑

下は少し手前で撮った写真。もう稲刈りも終わっちゃったけど、いい眺めです。

 

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上教来石

立派な銀杏の木です

 

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気持ちいい青空の下、旧道を進んでいきます。所々でバス停を見かけます。路線バスは下教来石下迄ですが、その先は市民のためのデマンドバスが走っています。でも利用するには利用登録や予約が必要なので旅人には敷居が高そうです。

 

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鳳来山口関跡 西番所

武田信玄が設けた甲州二十四ケ所の口留番所のひとつで信州口を見張った国境の関で、後に徳川幕府番所を設置しました。番所蔵を残しています。

 

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新国界橋

国道を渡って、ここから先も旧道が続きますが・・・歩いた方のブログを見ていると、旧道にかかる国界橋には害獣ネットが張ってあり、感電しそうになった人もいるとか。ガイドブックにも不安な人は新道を、と書いてあるのでヘタレな旅人は新道を進みます。橋を渡ると甲斐の国から信濃の国に入ります。

 

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国界橋

新国界橋を渡り終えた後、下蔦木の信号から旧道の橋まで近いので、旧道の橋も見に行ってみました。確かに電流の流れている柵がありました。道もだいぶ荒れているようなので、ヘタレには回り道が正解です。

 

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道の駅 信州蔦木

橋を渡った先で旧道に入るのですが、新道を進み道の駅に寄り道。この先しばらくはコンビニもありません。釜無川の河原にも下りることができます。いい気持ち。川沿いの道を進んで国道に戻りました。横断歩道を渡り、旧道を上っていきます。

 

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日蓮上人高座石

疫病が流行っていたため三日三晩の説法と加持祈祷を行い、霊験により村人を救ったといわれています。コロナもお願いします。入ったところにトイレの表示があったので、道の駅まで行かなくてもここでトイレが借りれそうです。

 

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標高731m。韮崎駅の標高が約353m 下教来下のバス停が約680m これからどんどん標高を稼いでいきます。

 

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真福寺

立派な鐘楼門です

 

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応安の古碑

応安五年(1372)の建立。宝篋印塔の基礎石といわれています。

 

43.蔦木宿

甲州道中の宿駅として新しい土地に計画されたので、南北の枡形がきちんと造られています甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は105軒、うち本陣1、問屋2、旅籠15軒。宿内人口は508人(男233、女275)

 

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蔦木宿江戸口

 

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蔦木簡易郵便局

郵便局に飾られている材木が気になりました。調べてみると、上社の御柱祭で使われる「めどてこ(針孔梃子)」でした。V字型の角のように大きな梃子棒を御柱の前後につけ、これに氏子が乗り指揮を執り、さらに氏子をめどてこに乗せたまま、御柱を傾斜約30度、距離80mの木落し坂から落とすという。負傷者がでるのもわかります。下社では使わないそうです。いろいろと違うんですね。次回の御柱祭は令和4年(2022)。コロナの心配なくお祭りができますように!

 

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本陣大阪屋源右衛門跡

本陣門を残すのみですが、本陣の規模は広大で広い玄関や多くの座敷、書院造の上段の間などがあったそうです。

 

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蔦木宿案内板

 

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御膳水

七里岩の湧水で、明治天皇御巡幸の折に使われました。この辺りの水はおいしいんですね。この石は、明治のころから昭和20年代まで街道沿いにあった水道施設で使われていた当時の石です。気温は17℃。街道歩きにはちょうどいい気候です。

 

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西枡形碑跡

 

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川除古木

釜無川の氾濫による水害から宿場を守るために、宿の上の入口付近に信玄堤と呼ばれる堤防がある。この堤と共に水害から地域と守るために植えられた木の名残で、大水の時は、この大木を切り倒して集落内にむかう大水の向きを変えたといわれています。

 

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175kmポスト

 

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建材屋の中を突っ切るように旧道が続いていますが、ここは害獣ネットがあるというので国道をそのまま進みます。といってもこちら側の歩道は通行止めなので車に気を付けて反対側の歩道に渡ります。旧道と国道の間にある道にも害獣ネットが張ってありました。動物注意の標識がありましたねぇ。鹿や猪でしょうか。今年はクマの被害もよく聞きますが、今日歩くところは大丈夫そうです。甲州街道だと小原、大月、笹子辺りはちょっと危なそうです。

 

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横断歩道を渡り、下の道に入ります。ここには害獣ネットはありません。国道わきに見える大きな木の辺りが、「平岡の一里塚(江戸日本橋から四十六里目)」のはず。木の下に碑があるようですが、ちょっとの距離をめんどくさがって確認しませんでした。ガイドブックでは一里塚から旧道へ入るようだし、グーグルマップの旧道は違う道を通っているし、害獣ネットもあったり、この辺りで唯一のドライブインもあるので、この辺りは適当に通りやすい道を歩きましょう。

 

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明治天皇巡行野立所跡地

明治十三年(1880)の巡行時に野立が行われた記念にと建てられたものです。この時の行列は400人余。享保6年(1721)の規定で、大名行列の人数は、1万石以上:約50人、5万石以上:約170人、10万石以上:約240人、20万石以上:約450人と決められていて、全国の大名行列の平均的な人数は100〜300人だったと言われています。さほど豪華というわけではありませんが、ここまでは二頭立ての馬車で来たというので、さぞ目を引いたでしょうね。この先の瀬沢坂・とちの木坂は四人担ぎの板輿に乗っていったそうです。今でこそ天皇行幸は珍しくもありませんが、明治維新まで天皇が京の外に出るなんてこと考えもできなかったわけで、天皇(というより明治政府)の権威を全国に知らしめるためには必要なことでした。

 

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旧道から国道へ合流し、机の交差点を過ぎてまた旧道へ、行ったり来たり。いろいろなルートがあるようですが、たくさんの石仏があるとここが正解かなぁと思ってしまいます。

 

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瀬沢大橋の交差点で国道に戻り、橋を渡ったらすぐ左折し逆コの字に旧道へと入っていきます。

 

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さて高度を上げていきましょう。風情のある建物のY字路は左に進みます。

 

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急坂が続きます。

 

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八ヶ岳が見えました。それにしても火の見やぐらが多いですね。

 

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とちのき風除林

寛政年間(1789-1800)に村が高島藩に願い出て植えられた風除林で、樹齢200年以上の赤松が160mにわたり残されています。「とちのき」の「とち」は「草冠に子」と書くのだけど、どうやっても変換できません。

 

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塚平の一里塚 

江戸日本橋から四十七里

 

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この先の旧道は消失しているので、T字路で左に折れ、すぐに右に入ります。太陽光パネル発電の脇を通り旧道へ合流します。合流したあたりが原の木茶屋のあったところ。とちの木村と御射山神戸村の間は距離が長く陣かもなく旅をするのに不便だったため明治に入ってから茶屋ができました。

 

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富士見公園

高原の美しい自然を愛した文人たちが足しげく訪れ、自然を残そうと地元民と共に作った公園です。アララギ派歌人ゆかりの公園には、歌人の歌碑がたくさんあります。ここでちょっと遅いお昼休憩。道の駅で買ってきたパンをいただきます。ここの標高は965m。いつの間にか標高がだいぶ上がっていました。今日の最高地点かな。いいお天気で汗をかきかき歩いてきたものの、ベンチに座ると一気に身体が冷えてきました。途中で脱いだ上着を羽織りましょう。きれいなトイレ(和式ですが)もあります。

 

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旅館桔梗屋

明治から大正にかけ島木赤彦、土屋文明竹久夢二斎藤茂吉田山花袋ら多くの歌人文人が訪れた旅館。建物は当時のままで、歌会が開かれた囲炉裏や多くの書簡、掛け軸なども保管されています。なんだか雲行きが怪しくなってきた・・・・?

 

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カゴメ野菜生活ファーム

カゴメ富士見工場の脇を歩いていきますが、すぐ近くに新しい施設が出来ていたのでちょっと寄り道。予約すれば収穫体験やらいろいろとできるみたいです。レストランもありますが、たくさんの人が順番を待っていました。テイクアウトも時間がかかりそう。ここからは八ヶ岳がとてもよく見えます。ちょっと雲が多いけど・・

 

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国道に合流する坂を下りている途中で、雨がパラパラと降り始めました。空は明るいのに路面が濡れているでしょ。すずらんの里駅に抜けようかとも思ったけど、何とか大丈夫そう? とりあえず先に進みましょう。

 

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御射山神戸の一里塚

江戸日本橋から四十八里目

樹齢約400年のケヤキがずっと旅人を見守ってくれています。ありがとう!

 

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ゆるぎ石

触ると揺れたという道中名物の大石。説明板の下のほうに見えます。甲州街道の案内板は久しぶり。白いのは平成30年、茶色いのは令和元年と書いてあります。最近ですね。街道歩きにはうれしい限りです。

 

44.金沢宿

甲州道中の開設に伴い「権現の森」辺りに青柳宿が新設されましたが、度重なる宮川の氾濫や大火により慶安4年(1651)現在地に移転し「金沢宿」となりました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は161軒、うち本陣1、問屋2、旅籠17軒。宿内人口は622人(男335、女287)

 

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金沢宿に入るとまた雨が強くなってきました。

 

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金沢宿本陣跡

本陣を務めた小松家四代目三郎左衛門は、隣の千野村(宮川)との山論争で権利を主張する村民の願いを背負い高島藩に裁定を依頼したものの却下され、後の江戸に行き直訴するという噂が流れたために高島藩に捕らえらて磔の刑になりました。そのうえ金沢山も没収されてしまい村民は明治に入るまで苦汁をなめ続けたそうです。大変な苦労をした宿場町だったんですね。

 

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馬宿跡

馬を繋いだ穴の開いた石が残っています。

 

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橋脇の石仏の後ろにある名札は、石仏の名前ではありません。古新聞、段ボール、古雑誌・・・・。ちょうどいい場所ではあるんだろうけど。

 

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権現の森

慶長15年(1600)ころに甲州街道が下諏訪まで延長されたときは、この辺りに宿場がありました。その頃は青柳宿といいましたが、度重なる宮川の洪水や大火を機に現在の場所に移転し、金沢宿と宿名が改められました。

 

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権現の森の交差点から旧道へ入ります。この道の正面突き当りの大きな木の辺りが、「金沢の一里塚(江戸日本橋から四十九里目)」のはず。左奥に見えるホテルの脇を進むと行けるようです・・・。写真だと青空も見えますが、相変わらず雨は降ったり止んだり。金沢宿の手前で青柳駅に抜けようかどうか悩んだものの、時間が早かったので茅野まで行くことにしたのですが・・・風も強くて、寒くて、心が折れそうになり始めていたのでした。

 

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国道に合流してしばらく歩き、回り込むように旧道に入ります。ちょっとわかりづらいけど、案内がちゃんとあります。登っていくとまだコスモスが咲いていました。御柱の石塔も。跨線橋を渡りすぐ左に入ります。案内柱を見たのは長野に入って初めてかも。これも新しそうです。いろいろと整備しているのかな。この先の道は街灯もないようなので薄暗くなったらちょっと怖そうです。

 

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早川橋を渡り、左折して進みます。まっすぐ進むと住宅地に入ってしまいます。川沿いの道を進んでいくのですが、ここまでは車は通っていなかったのに、この先は車の通りが多くなります。歩道がないので車に注意して歩きます。中央線のガードのところはとても道が狭くなります。宮川板室の交差点に出て右折すると、やっと歩道がでてきました。中央自動車道のガードをくぐり新田中のバス停まで来ました。この先を右に入ると旧道の名残が残っています。旧道沿いの民家の裏手に「茅野の一里塚跡(江戸日本橋から五十里目)」があるそうですが、わかりにくいと聞いていたのでスルーしてしまいました。金沢辺りからバス停は見かけるのですが、通学や市民のために平日に数本走っているので、土日は一本も走っていません。なので週末ウォーカーは青柳から茅野まではしっかり歩くありません。

 

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丸井伊藤商店の道を挟ん出前の五味氏宅が明治天皇御小休所です。説明板を撮っているのに御小休所址を撮っていない。全然読んでいない・・・。ちょっと疲れが出ています。温度計を見ると12℃でした。寒い。そういえばここには貧乏神がいるそうです。上川橋を渡ると茅野にはいります。

 

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茅野駅の近くに来ると大きな石がありました。山梨の丸石道祖神を思い出します。これは茅野駅西口の改良工事の際に出土したもので、祖先の磐座信仰のシンボルとして保存することになったそうです。駅前広場には、縄文の埴輪のオブジェもありました。この辺りにはたくさんの古墳があったんですよね。古墳巡りも楽しそうです。

 

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諏訪大社上社大鳥居

茅野駅前の大鳥居までやってきました。本日はここで終了。駅前のホテルでGoTo泊です。

 

 晴れ予報になっていたのに・・・まさかの雨降り。富士見を過ぎてから雨が降ったり止んだり、風も強くて、寒くて、後半はすっかり駆け足で通り過ぎてしまいました。歩いていればいいけど、立ち止まると急に体が冷えてきます。一里塚もだいぶ見逃してますが、メインの御射山神戸一里塚を見ることが出来たからいいの! それにしても今日歩いた区間にはほどんどお店はありませんでした。トイレは自分が確認した道の駅と富士見公園/カゴメファーム以外は、少し外れて青柳駅くらいしか思い当たりません。さて、ホテルでゆっくり休んで明日への英気を養いましょう。