マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【甲州道中 7日目】  23.上鳥沢宿 → 24.猿橋宿 → 25.駒橋宿 →・・・・ → 30.上初狩宿 → 31.白野宿 → 32.阿弥陀海道宿  2019.05.18(土)

イメージ 1
猿橋
桂川に架かる猿橋は、日本三奇橋のひとつ。長さ30.9m、幅3.3mの橋は、橋脚を使わず両岸から張り出したはね木に支えられています。渓谷を行き来する猿の群れをヒントにつくられたといわれています。

鳥沢駅)  23.上鳥沢宿・→(4.1km)→ 24.猿橋宿 →(1.5km)→25.駒橋宿 →(1.1km)→ 26.大月宿 →(1.8km)→27.下花咲宿 →(0.6km)→28.上花咲宿 →(4km)→ 29.下初狩宿 →(0.9km)→ 30.中初狩宿 →(2.4km)→ 31.白野宿→(2.6km)→32.阿弥陀海道宿 →(0.8km)→ (笹子駅)  約20km

今回のコースは、国道歩きがメイン。アップダウンはほとんどないけど、じわじわと高度を上げていきます。鳥沢駅の標高は300m程なのに、ゴールの笹子駅は600mもありました。

イメージ 2
上鳥沢の一里塚 江戸日本橋から二十二里目
8時37分着の電車でスタートの鳥沢駅に着きました。まずは、前回見逃した一里塚。駅の近くなので、ちょっと戻って見てきました。

イメージ 3
上鳥沢宿 問屋場

イメージ 4
井上本陣跡
明治天皇駐蹕地跡碑と上鳥沢宿の案内があります。

イメージ 5
ガイドブックに従って分岐で旧道に入っていくと、行き止まりの案内。とりあえず進むと、道はあるといえばある。けど、藪をかき分けていくような道でした。

イメージ 6
国道に合流して歩いていくとウルトラマンアンパンマンがお出迎え。遊漁券の販売所でした。すぐ裏には、桂川が流れています。

イメージ 7
宮谷入口で信号を渡って旧道に入ります。バスがいっぱいとまってました。みんなスクールバスでした。学校に通うのも大変なんだなぁ。国道に合流すると90kmポスト。だいぶ歩いてきました。

イメージ 8
国道から自動車販売店の脇の道を下ります。道はどんどん下っていきます。ここじゃないと引き返すと、らしい道がありました。でも人のうちみたいだし・・とウロウロしていたら、近所の方が「甲州街道歩いているの?」と道を教えてくれました。ここは通ってもいいんだって。白い車の脇を抜けていきます。街道歩きではいつも地元の方に助けてもらっています。ありがたいことです。そのまま歩いて国道を横断します。

イメージ 9
猿橋
案内標識で左に入ります。猿橋は、山口県岩国市の「錦帯橋」、長野県上松町の「木曽の桟」と並んで日本三奇橋といわれています。とはいえ、猿橋錦帯橋に次ぐ三つ目はいろいろと異論はあるようで、かずら橋や愛本橋の名前もあがってます。

イメージ 10
八ツ沢発電所一号水路橋
猿橋から見える鉄筋コンクリート製の橋は、明治45年(1912)に建設されました。国の重要文化財に指定されています。

24.猿橋宿
日本三奇橋のひとつの猿橋が近くにあります。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は138軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠10軒。宿内人口は542人(男267、女275)

イメージ 11
猿橋から国道20号に合流します。この辺りはもう猿橋宿なのかなぁ。この先の歩道橋のところで左折すると猿橋駅です。

イメージ 12

イメージ 13
殿上の一里塚跡 江戸日本橋から二十三里目
阿弥陀寺の入口脇にあります。どれが一里塚碑だかわかるかな? もうほどんど字も薄れてしまった木の案内柱です。ガイドブックに載ってなきゃ気づかないねぇ

イメージ 14
桂川が見えます。猿橋はすごい峡谷だったのにここは全然違います。向こうには岩殿山も見えてきました。この先の分岐で国道から右手の旧道へと下りていきます。

イメージ 15
歩いていくと立派な送水管。脇の丸い穴にも昔は送水管が通っていたとか。明治40年(1907)に運用が開始された東京電力駒橋発電所です。右手下には昔使われていた水車?が展示してあります。送水管脇の旧道を上って中央線の踏切を渡ります。いったん国道に出てすぐの横尾橋のバス停から右手の旧道に入ります。

25.駒橋宿
本陣も脇本陣もない小さな宿場でした。強瀬や岩殿に渡る渡船場がありました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は85軒、本陣0、脇本陣0、問屋1、旅籠4軒。宿内人口は267人(男128、女139)

イメージ 16
厄王大権現
境内でちょっとひと休み。鳥沢で買ってきた胡桃まんじゅうをいただきます。

イメージ 17
秋葉大権現常夜燈 道祖神
常夜燈脇の丸い道祖神は甲斐特有のものだとか。そういえば、丸い石がいっぱいある道祖神を塩山を歩いた時に見てたっけ。

イメージ 18
立派な蔵です

イメージ 19
岩殿山
標高634mの岩殿山が目の前です。ここには武田氏二十四将のひとり、小山田信茂の居城 岩殿山城がありました。今回は登りません。

26.大月宿
三嶋神社にあった大きなケヤキ「大槻」が大月の地名の由来です。富士街道との追分を控え富士講の人々で賑わいました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は92軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋場1、旅籠2軒。宿内人口は373人(男171、女292)

イメージ 20
大月駅前には、桃太郎伝説の自販機。「百蔵山(桃倉山)の大きな桃の実が桂川に落ち、下流の鶴島(上野原市)に住むおじいさんとおばあさんが拾って育てたのが桃太郎。犬目で犬を、鳥沢で鳥を、猿橋で猿を仲間にして、岩殿山に住む悪い鬼を退治しにいきました。」という伝説が書いてありますが・・・・犬目や鳥沢、猿橋でも聞いてないぞ。まぁ、桃太郎は全国にいます。

イメージ 21
大月駅には、カッコいい富士山ビュー特急とトーマスのラッピング電車

イメージ 22
溝口本陣跡

イメージ 23
富士山道追分道標
ここを左に曲がると富士山に続きます。旧道はこの先の橋は渡らないのですが、ここはショートカットで大月橋をわたります。桂川とはここでお別れ。この先は支流の笹子川沿いに歩きます。

27.下花咲宿
上花咲宿と合宿で問屋教務を勤めました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は77軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋場1、旅籠22軒。宿内人口は374人(男202、女172)
28.上花咲宿
甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は71軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋場1、旅籠13軒。宿内人口は304人(男150、女154)

イメージ 24
下花咲一里塚跡 江戸日本橋から二十四里

イメージ 25
星野本陣跡
国の重要文化財になっています。しばらくの間、見学は休止みたい。ガストと藍屋の間にあります。

イメージ 26
廿三夜塔
旧道痕後にあるそうですが、この先は行き止まりになってるそうです。

イメージ 27
尾曽後峠標識
鎌倉街道と書いてある。鎌倉に行く道は沢山あるんだね。前回はこの色の案内板が、甲州街道をとても親切に案内してくれたけど、今回はあまり親切じゃなかったなぁ。この先のうどん屋さんでお昼にしようと思っていたら、まだ閉まってました。

イメージ 28
中央線沿いの国道を歩いていると「四季島」が通った! いつか乗ってみた~い

イメージ 29
親鸞上人庵跡碑
歩道橋の下にあります。歩道橋を渡って短い旧道に入ります。GSの脇に出て国道に合流です。

イメージ 30
中山道以来のハッピードリンクショップ。その先のカーブにあるお食事処でお昼ご飯。食事が出るまでちょっと待たされたけど美味しくいただきました。地元の人のたまり場のようになっていました。

イメージ 31
源氏橋で笹子川を渡り、中央線沿いの道を歩いていきます。通り抜けはできませんと書いてある、鉱業所の分岐を上っていくと丸山の石仏石塔群があります。一里塚跡とも言われてるようですが、今回は行きませんでした。道なりに進み、踏切を渡ります。

29.下初狩宿
初狩宿と合宿で問屋業務をしていました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は156軒、うち本陣2、脇本陣2、問屋場1、旅籠12。宿内人口は616人

イメージ 32
聖護院道興歌碑
「今はとて かすみを分けて かへるさに おぼつかなしや はつかりの里」 だいぶ傷んでます。

イメージ 33
国道に合流したところに、「100k1」標識 100kmポスト通らないのかぁ

イメージ 34
脇本陣
山本周五郎生誕の地の碑があります。道路よりだいぶ下に立派な門が隠れてます。何でこんなに道路が上にあるんだろう。

イメージ 35
廿三夜塔
廿三夜塔の前にあるのは、道祖神なのかな。この先のコンビニの角を曲がると、初狩駅です。

イメージ 36
宮川橋
山間に富士の頂が見えるそうですが、雲がたくさんでわかりません・・・

30.中初狩宿
初狩宿と合宿で問屋業務をしていました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は108軒、うち本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠25。宿内人口は459人

イメージ 37
芭蕉句碑
ガイドブックにはこの斜め前にコンビニの印ですが、郵便局でした。

イメージ 38
小林本陣跡

イメージ 39
石仏石塔群と赤レンガの蔵が道を挟んでます。この少し手前に、小山田信茂首塚への案内があったけど、少し遠そうなのでパス。


イメージ 40
船石橋で笹子川を渡ります。渡った先には、親鸞聖人が船形の石に座って説法を行ったことが書かれている碑があります。

イメージ 41
今回の甲州街道は歩道のない道がちょくちょく出現。交通量が多いからこれが怖いんだよね~
。急ぎ足で歩いていたら、白野の一里塚に続く細道を見逃してしまいました・・・・。この先の分岐で右の旧道に入ると白野宿です。

31.白野宿
元々は一つの宿だったといわれています。阿弥陀海道宿と黒野田宿の三宿で問屋業務をしていました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は84軒、うち本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠4。宿内人口は318人(男149、女169)

イメージ 42
白野宿

イメージ 43
宝林寺

イメージ 44
立石坂の立石 (案内柱)
いったん国道に出て、次の分岐で旧道に入りガードをくぐって線路沿いの坂を上ります。立石の案内柱はあるけど、立石は国道の方からじゃないといかれないみたい。鬼退治の時に桃太郎の投げた石だそうです。

イメージ 45
親鸞上人念仏供養塔

イメージ 46
稲村神社
立派な杉の木です。根元が何本に分かれてるんだろう。

イメージ 47
旧道はまっすぐ続いていますが、中央線は渡れません。何処が異形の松なのかよくわからないけど、松の先で曲りガードをくぐり迂回します。ガード手前には、葦ヶ池跡碑があります。毒蛇になった娘が住み着いた池があったそうです。

イメージ 48
旧笹子川橋
国道に架かる笹子川橋の手前で右手の旧道に入ります。橋を渡ると阿弥陀海道宿に入ります。

32.阿弥陀海道宿
元々は一つの宿だったといわれています。白野宿と黒野田宿の三宿で問屋業務をしていました。地内にあった阿弥陀堂が地名の由来となっています。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は65軒、うち本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠4。宿内人口は272人(男127、女145)

イメージ 49
笹一酒造
ひと休み。蔵元吟醸ソフトクリームをいただきます。お土産もちょこっと買って駅に向かいます。

イメージ 50
笹子駅
本日はここで終了です。この時間は一時間に一本しかないんだねぇ。15時29分の電車でもどりました。だいぶ遠くなってきました。

 行きの中央線相模湖辺りで雨がパラパラ。鳥沢駅に着いた時は止んでいたけど、雲が多くてちょっと心配したけど、天気予報通りに雨には降られませんでした。よかった。で、今回のじわじわ上り坂。大したことはなさそうなのに疲れましたぁ。考えれば標高差300mあるもの。それにしても国道が多かったなぁ。おまけに歩道のない道もあって歩くのに気を遣いました。次回は笹子峠越え。大丈夫かなぁ。ちゃんと準備しよう!  *タイトルが途中で切れてしまいましたぁ・・なんてたって宿場の数が多すぎるから。さすが甲州街道です!