(鳥沢駅) 23.上鳥沢宿・→(4.1km)→ 24.猿橋宿 →(1.5km)→25.駒橋宿 →(1.1km)→ 26.大月宿 →(1.8km)→27.下花咲宿 →(0.6km)→28.上花咲宿 →(4km)→ 29.下初狩宿 →(0.9km)→ 30.中初狩宿 →(2.4km)→ 31.白野宿→(2.6km)→32.阿弥陀海道宿 →(0.8km)→ (笹子駅) 約20km
上鳥沢宿 問屋場跡
井上本陣跡
明治天皇駐蹕地跡碑と上鳥沢宿の案内があります。
明治天皇駐蹕地跡碑と上鳥沢宿の案内があります。
ガイドブックに従って分岐で旧道に入っていくと、行き止まりの案内。とりあえず進むと、道はあるといえばある。けど、藪をかき分けていくような道でした。
宮谷入口で信号を渡って旧道に入ります。バスがいっぱいとまってました。みんなスクールバスでした。学校に通うのも大変なんだなぁ。国道に合流すると90kmポスト。だいぶ歩いてきました。
国道から自動車販売店の脇の道を下ります。道はどんどん下っていきます。ここじゃないと引き返すと、らしい道がありました。でも人のうちみたいだし・・とウロウロしていたら、近所の方が「甲州街道歩いているの?」と道を教えてくれました。ここは通ってもいいんだって。白い車の脇を抜けていきます。街道歩きではいつも地元の方に助けてもらっています。ありがたいことです。そのまま歩いて国道を横断します。
猿橋
案内標識で左に入ります。猿橋は、山口県岩国市の「錦帯橋」、長野県上松町の「木曽の桟」と並んで日本三奇橋といわれています。とはいえ、猿橋と錦帯橋に次ぐ三つ目はいろいろと異論はあるようで、かずら橋や愛本橋の名前もあがってます。
案内標識で左に入ります。猿橋は、山口県岩国市の「錦帯橋」、長野県上松町の「木曽の桟」と並んで日本三奇橋といわれています。とはいえ、猿橋と錦帯橋に次ぐ三つ目はいろいろと異論はあるようで、かずら橋や愛本橋の名前もあがってます。
24.猿橋宿
日本三奇橋のひとつの猿橋が近くにあります。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は138軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠10軒。宿内人口は542人(男267、女275)
日本三奇橋のひとつの猿橋が近くにあります。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は138軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠10軒。宿内人口は542人(男267、女275)
歩いていくと立派な送水管。脇の丸い穴にも昔は送水管が通っていたとか。明治40年(1907)に運用が開始された東京電力駒橋発電所です。右手下には昔使われていた水車?が展示してあります。送水管脇の旧道を上って中央線の踏切を渡ります。いったん国道に出てすぐの横尾橋のバス停から右手の旧道に入ります。
25.駒橋宿
本陣も脇本陣もない小さな宿場でした。強瀬や岩殿に渡る渡船場がありました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は85軒、本陣0、脇本陣0、問屋1、旅籠4軒。宿内人口は267人(男128、女139)
本陣も脇本陣もない小さな宿場でした。強瀬や岩殿に渡る渡船場がありました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は85軒、本陣0、脇本陣0、問屋1、旅籠4軒。宿内人口は267人(男128、女139)
厄王大権現
境内でちょっとひと休み。鳥沢で買ってきた胡桃まんじゅうをいただきます。
境内でちょっとひと休み。鳥沢で買ってきた胡桃まんじゅうをいただきます。
立派な蔵です
26.大月宿
三嶋神社にあった大きなケヤキ「大槻」が大月の地名の由来です。富士街道との追分を控え富士講の人々で賑わいました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は92軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋場1、旅籠2軒。宿内人口は373人(男171、女292)
三嶋神社にあった大きなケヤキ「大槻」が大月の地名の由来です。富士街道との追分を控え富士講の人々で賑わいました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は92軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋場1、旅籠2軒。宿内人口は373人(男171、女292)
大月駅前には、桃太郎伝説の自販機。「百蔵山(桃倉山)の大きな桃の実が桂川に落ち、下流の鶴島(上野原市)に住むおじいさんとおばあさんが拾って育てたのが桃太郎。犬目で犬を、鳥沢で鳥を、猿橋で猿を仲間にして、岩殿山に住む悪い鬼を退治しにいきました。」という伝説が書いてありますが・・・・犬目や鳥沢、猿橋でも聞いてないぞ。まぁ、桃太郎は全国にいます。
大月駅には、カッコいい富士山ビュー特急とトーマスのラッピング電車
溝口本陣跡
富士山道追分道標
ここを左に曲がると富士山に続きます。旧道はこの先の橋は渡らないのですが、ここはショートカットで大月橋をわたります。桂川とはここでお別れ。この先は支流の笹子川沿いに歩きます。
ここを左に曲がると富士山に続きます。旧道はこの先の橋は渡らないのですが、ここはショートカットで大月橋をわたります。桂川とはここでお別れ。この先は支流の笹子川沿いに歩きます。
27.下花咲宿
上花咲宿と合宿で問屋教務を勤めました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は77軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋場1、旅籠22軒。宿内人口は374人(男202、女172)
28.上花咲宿
甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は71軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋場1、旅籠13軒。宿内人口は304人(男150、女154)
上花咲宿と合宿で問屋教務を勤めました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は77軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋場1、旅籠22軒。宿内人口は374人(男202、女172)
28.上花咲宿
甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は71軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋場1、旅籠13軒。宿内人口は304人(男150、女154)
下花咲一里塚跡 江戸日本橋から二十四里
廿三夜塔
旧道痕後にあるそうですが、この先は行き止まりになってるそうです。
旧道痕後にあるそうですが、この先は行き止まりになってるそうです。
尾曽後峠標識
鎌倉街道と書いてある。鎌倉に行く道は沢山あるんだね。前回はこの色の案内板が、甲州街道をとても親切に案内してくれたけど、今回はあまり親切じゃなかったなぁ。この先のうどん屋さんでお昼にしようと思っていたら、まだ閉まってました。
鎌倉街道と書いてある。鎌倉に行く道は沢山あるんだね。前回はこの色の案内板が、甲州街道をとても親切に案内してくれたけど、今回はあまり親切じゃなかったなぁ。この先のうどん屋さんでお昼にしようと思っていたら、まだ閉まってました。
中央線沿いの国道を歩いていると「四季島」が通った! いつか乗ってみた~い
親鸞上人庵跡碑
歩道橋の下にあります。歩道橋を渡って短い旧道に入ります。GSの脇に出て国道に合流です。
歩道橋の下にあります。歩道橋を渡って短い旧道に入ります。GSの脇に出て国道に合流です。
中山道以来のハッピードリンクショップ。その先のカーブにあるお食事処でお昼ご飯。食事が出るまでちょっと待たされたけど美味しくいただきました。地元の人のたまり場のようになっていました。
源氏橋で笹子川を渡り、中央線沿いの道を歩いていきます。通り抜けはできませんと書いてある、鉱業所の分岐を上っていくと丸山の石仏石塔群があります。一里塚跡とも言われてるようですが、今回は行きませんでした。道なりに進み、踏切を渡ります。
聖護院道興歌碑
「今はとて かすみを分けて かへるさに おぼつかなしや はつかりの里」 だいぶ傷んでます。
「今はとて かすみを分けて かへるさに おぼつかなしや はつかりの里」 だいぶ傷んでます。
国道に合流したところに、「100k1」標識 100kmポスト通らないのかぁ
宮川橋
山間に富士の頂が見えるそうですが、雲がたくさんでわかりません・・・
山間に富士の頂が見えるそうですが、雲がたくさんでわかりません・・・
芭蕉句碑
ガイドブックにはこの斜め前にコンビニの印ですが、郵便局でした。
ガイドブックにはこの斜め前にコンビニの印ですが、郵便局でした。
小林本陣跡
船石橋で笹子川を渡ります。渡った先には、親鸞聖人が船形の石に座って説法を行ったことが書かれている碑があります。
今回の甲州街道は歩道のない道がちょくちょく出現。交通量が多いからこれが怖いんだよね~
。急ぎ足で歩いていたら、白野の一里塚に続く細道を見逃してしまいました・・・・。この先の分岐で右の旧道に入ると白野宿です。
。急ぎ足で歩いていたら、白野の一里塚に続く細道を見逃してしまいました・・・・。この先の分岐で右の旧道に入ると白野宿です。
31.白野宿
元々は一つの宿だったといわれています。阿弥陀海道宿と黒野田宿の三宿で問屋業務をしていました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は84軒、うち本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠4。宿内人口は318人(男149、女169)
白野宿
宝林寺
立石坂の立石 (案内柱)
いったん国道に出て、次の分岐で旧道に入りガードをくぐって線路沿いの坂を上ります。立石の案内柱はあるけど、立石は国道の方からじゃないといかれないみたい。鬼退治の時に桃太郎の投げた石だそうです。
いったん国道に出て、次の分岐で旧道に入りガードをくぐって線路沿いの坂を上ります。立石の案内柱はあるけど、立石は国道の方からじゃないといかれないみたい。鬼退治の時に桃太郎の投げた石だそうです。
親鸞上人念仏供養塔
稲村神社
立派な杉の木です。根元が何本に分かれてるんだろう。
立派な杉の木です。根元が何本に分かれてるんだろう。
旧道はまっすぐ続いていますが、中央線は渡れません。何処が異形の松なのかよくわからないけど、松の先で曲りガードをくぐり迂回します。ガード手前には、葦ヶ池跡碑があります。毒蛇になった娘が住み着いた池があったそうです。
旧笹子川橋
国道に架かる笹子川橋の手前で右手の旧道に入ります。橋を渡ると阿弥陀海道宿に入ります。
国道に架かる笹子川橋の手前で右手の旧道に入ります。橋を渡ると阿弥陀海道宿に入ります。
32.阿弥陀海道宿
元々は一つの宿だったといわれています。白野宿と黒野田宿の三宿で問屋業務をしていました。地内にあった阿弥陀堂が地名の由来となっています。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は65軒、うち本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠4。宿内人口は272人(男127、女145)
元々は一つの宿だったといわれています。白野宿と黒野田宿の三宿で問屋業務をしていました。地内にあった阿弥陀堂が地名の由来となっています。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は65軒、うち本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠4。宿内人口は272人(男127、女145)
笹一酒造
ひと休み。蔵元吟醸ソフトクリームをいただきます。お土産もちょこっと買って駅に向かいます。
ひと休み。蔵元吟醸ソフトクリームをいただきます。お土産もちょこっと買って駅に向かいます。
笹子駅
本日はここで終了です。この時間は一時間に一本しかないんだねぇ。15時29分の電車でもどりました。だいぶ遠くなってきました。
本日はここで終了です。この時間は一時間に一本しかないんだねぇ。15時29分の電車でもどりました。だいぶ遠くなってきました。