マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【甲州道中 8日目】 32.阿弥陀海道宿 → 33.黒野田宿 → 34.駒飼宿 → 35.鶴瀬宿  2019.09.14(土)

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矢立の杉

矢立の杉
樹齢千年を超す樹高28m、根回り14.8mの大杉。標高1096m、甲州街道随一の難所 笹子峠にいく途中にあるこの大杉は、戦国時代、笹子峠を通って合戦に赴く武士が必勝を祈願して、矢を射ったことが名の由来といわれています。

 

32.阿弥陀海道宿笹子駅)→ (0.8km)→ 33.黒野田宿 →(9.9km)→ 34.駒飼宿 →(0.8km)→ 35.鶴瀬宿 →(4km)→ 大善寺 →(3.8km)→勝沼ぶどう郷駅 約20km


約4か月ぶりの街道歩きは一番の難所 笹子峠。なまった身体には堪えます。梅雨やら猛暑やらで全然運動してなかったからねぇ~。このあたりで江戸から諏訪までの中間あたりか。さて、後半戦もがんばりましょう!

 

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笹子駅
駅前の阿弥陀海道宿の案内を確認して出発。心配していたお天気も今日は何とか持ちそうです。


33.黒野田宿
白野宿、黒野田宿と元々は一つの宿だったといわれています。三宿で問屋業務をしていました。難所の笹子峠を控えていました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は79軒、うち本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠14軒。宿内人口は334人(男170、女164)

 

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笠懸地蔵
なんだか不思議な姿のお地蔵さん。頭の上に灯篭の上の部分をとってつけたよう。でもこのお地蔵さんには、天明天保の大飢饉、徳川天領時代の七公三民の重税、農作物の不作による餓死や心中などの絶たない苦汁から救われるようにと、人々の願いがかけられていたのではないかと伝えられています。

 

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天野本陣跡

 

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黒野田の一里塚 普妙禅院
妙心寺派と書いてある門のわきにある石の一里塚碑には「江戸日本橋ヨリ二十五里」と書いてありますが、実際は二十七里だそうです。

 

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国道20号線とわかれ、県道212号日影笹子線に入ります。道なりに左へと進みます。 「矢立の杉」の看板にそって歩いていけば迷いません。ガイドブックにかいてあった“「ホタルの一生」標識で草道に入り・・”というのは、わかりませんでした。

 

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新田下バス停
この先の角を右に入ります。曲がってすぐの角には木の看板もあります。

 

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しばらく歩くと山道に入ります。駅にクマ注意の張り紙があったので、ここでクマ鈴を装着。砂防ダムにぶつかったらガードレール沿いに上っていきます。
ガードレールの切れ目から県道に合流します。

 

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笹子峠自然遊歩道の標識がみえてきました。県道と分かれて土道に入ります。矢立の杉までは歩きやすい道です。

 

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木橋
こんな感じの木橋を幾つか渡ります。

 

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三軒茶屋
明治天皇御野立所跡

 

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矢立の杉
大きな杉の木が見えてきました。矢立の杉です。杉様のお地蔵さん前でしばし休憩。

 

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甲州道中標識にしたがって、お地蔵さんの左側から細い道に入り、細い橋を渡ります。壊れた橋を直してくれた感じです。台風とか多いから整備するのも大変だよね。

 

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道なりに歩いて谷を超えると、細い急な尾根道になります。ここが今日一番の急坂。笹子峠越えよりも急坂じゃないかな。谷道から尾根道を歩くって書いてあるけど、こんな急坂とは・・・。上まで行くと県道が見えてくるので一安心。急坂を下って県道に合流します。笹子隧道はもうすぐそこです。

 

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笹子隧道
昭和13年(1938) 甲州街道最大の難所である笹子峠を回避するためにつくられました。国登録有形文化財となっています。でも・・ここは歩きません。隧道わきから笹子峠に登ります。

 

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笹子峠登り口
峠に向けて坂をのぼります。

 

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道標
ここは「甲斐大和駅」方面に進みます。

 

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笹子峠
標高1096m。江戸方面より上り1里15町、下り22町の峠道。隧道からここまではちょっと急だけど歩きやすい道です。かいやまと駅方面へと下ります。

 

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天神祠
江戸時代から笹子峠を往還する旅人の無事、特に雷除けとして祀られたそうです。今日は心配なさそうです。

 

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隧道の少し先に出ました。県道を横切って、ガードレールの切れ目へと旧道は続きます。

 

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笹子隧道
旧道を下る前にちょっと戻って隧道見学。こちら側はちょっと味気ない感じ。大月市から甲州市に入りました。

 

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峠道を下っていきます。

 

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甘酒茶屋
県道が見えてきました。ここは県道のガードレールわきの細い峠道を清水橋の矢印に沿って下っていきます。

 

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林道に合流し、しばらく歩くと「甲州街道峠道」の案内板が見えてくるので、峠道を下ります。

 

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工事中ですが、道は通れます。いや工事中だからこそ、道がちゃんとしてるのかも。

 

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丸太橋を渡って、歩いていくと急に道がなくなります。ここは沢を渡ると道が続いています。写真は渡った先から撮ったもの。この辺りはちょっと道があれてるかな。

 

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またまた丸太橋
さっきの丸太橋は補強されてたけど、この橋はちょっと危険。真ん中あたりの木はブヨブヨしていました。壊れるのも時間の問題かも。高さもあるし、危ない。歩く人は少ないけど、ここは早急に補修してほしいところです。

 

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開けたところに出てきました。裏にまわってみると「甲州街道峠道/自害沢天明水」の標識。なんだか物騒な名の沢にはいきません。整備された右の道へ進みます。途中の横倒しになった木の幹からは枝が伸びています。生命力を感じますねぇ

 

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清水橋
峠道を抜けて県道に合流しました。ここにある案内板によると、昭和61年に発表された「甲州峠唄」によって、翌年旧道を復元することになったそうです。そうか、だからベンチありの表示のとこにベンチがなかったりしたのは、きっとその時に整備されたけどそのままってことなのかな。でも最低限の整備はしてあります。最後の丸太橋さえ補強してくれれば、心配なく歩ける道になっていました。ここからは県道を歩きます。

 

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桃の木茶屋跡
昔は茶屋がたくさんできるくらい、にぎわってたんだよね。今日は、矢立の杉で一人、あとは工事をしている人以外峠道で人とは会ってないもの。

 

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いつのまにか秋ですねぇ。秋の七草ちゃんといえるかな。


34.駒飼宿
鶴瀬宿と合宿でした。甲斐源氏の牧。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は64軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋場2、旅籠6軒。宿内人口は274人(男139、女135)

 

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津島大明神
道をくだった橋の手前にある祠は、津島大明神。駒飼の人々を疫病や水害から守っています。

 

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旧道
橋を渡った先にある川沿いの道が旧道です。峠道はここに続いてくるのだけど、途中で途切れて今は歩けません。柵を開けて奥に進むと、旧道沿いに駒飼の一里塚があるそうですが、電気柵がどうのとか書いてあるし、道も荒れてそうなので行きませんでした。

 

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脇本陣

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本陣跡

 

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駒飼宿

 

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旧道は坂を左に下ります。

 

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大黒屋 さんがむ かふぇ
少し遅いおひるごはん。とっても美味しいカレーです。肉は使っていなくてとってもやさしい味がします。でも、いつも開いているわけではないそう。今日はたまたま宿泊の人がいるから開けていたとか。ここを通る旅人の数なんて限られているから無理もないかぁ。今日はラッキーです。甲斐大和駅に抜けようかとも思っていましたが、お腹が満たされて元気になったので、勝沼まで歩いちゃうことにします。

 

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まん丸のかわいいお地蔵さま

 

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武田勝頼公腰掛石
国道に合流して、しばらく歩くと腰掛石の案内板。道を外れて上がっていくと、住宅の駐車場の奥、ちょっとわかりにくいところにありました。

 

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立会橋
橋が架かる日川は、勝頼勢の流血で流れが三日濁ったといわれています。


35.鶴瀬宿
駒飼宿と合宿でした。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は64軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋場2、旅籠6軒。宿内人口は274人(男139、女135)

 

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鶴瀬関所跡 金岡自画地蔵尊
甲州十二関所の一つで「鶴瀬の口留番所」と呼ばれ、「入り鉄砲に出女」を特に警戒していました。参勤交代に利用した藩は、信濃高遠藩、高島藩、飯田藩でした。

 

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常夜燈

 

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達磨さん

 

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しばらく味気ない国道を歩いていきます。コスモスに癒されます

 

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長柿洞門まできました。手前で旧道に入るとなっています。登ってみると道が分かれています。簡易舗装された九十九折の道は観音堂につづいているようだけど、ガイドブックによるとどうも土道のよう。でもだいぶ荒れているように見えたので止めました。戻って横断歩道を渡ります。でも、信号はないし、車だってここに人が来ると思わないから、すごいスピードで走っているので、途切れるまで辛抱強く待ちました。だって怖いもの。洞門わきの道を進むと倒木がそのままです。まぁこの道を通る人はほどんどいないよね。

 

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芭蕉句碑の脇を通って国道に出て、歩道のない道路わきを信号まで進みます。信号をわたって、ぐるっと下がって高架下を進みます。カーブミラーのところに山から下りてくる細い道。きっとここに下りてくるんだろうな。手すりは今にも壊れそう。この道は歩いてこなくてよかったかも。しばらく旧道を進みます。

 

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武田不動尊

 

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旧道から国道に合流すると、歩道は反対側。またまた車の流れが止まるのを待って歩道側に移ります。この先あたりで下に下りると、三十里目の一里塚碑があるそうですが、道を横断するのが嫌でパス。この辺りまで来ると、甲府盆地が見えてきます。

 

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近藤勇
柏尾古戦場跡 官軍と甲陽鎮撫隊との激戦地。もっと早く甲府城に入っていれば変わったのかなぁ。難しいか。柏尾戦争や柏尾橋についての案内板がたくさんあります。

 

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大善寺
葡萄を持っている薬師如来が有名なお寺です。

 

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本当はこのまま進んで、勝沼ぶどう郷駅へ行こうと思っていたのですが、大善寺の先の分岐に「勝沼ぶどう郷駅」こっちと矢印が書いてあったので、近道と思い坂道を上って行ったのでした。ブドウ畑の脇を甲府盆地を眺めながら歩く気持ちいい道です。甲府のほうは雨が降ってるのかなぁ。でも~そんなのも最初だけ。アップダウンの道が続き、なかなか駅につきません。笹子峠を越えてきた脚にはきつくなってきました。後で調べたら、3.8㎞ 75分かかると書いてありました。実は遠回りだったのでした・・・


 久しぶりの街道歩き。6月7日に梅雨入り。例年なら前半はあまり雨が降らないのに、今年は7月29日の少し遅い梅雨明けまでずーーっと雨が降りっぱなしでした。梅雨明け後は猛暑。とてもマダオなオバサンには歩けません。気温が少し下がってきたので、歩くにはよいお天気なったかなぁと、やっと重い腰を上げて街道歩き再開です。
 笹子峠道は、旧道の復元はしたものの、整備が追いついてないところも。手は入れているようですが、ちょっと危ないと思うところも。特に清水橋に近い丸太橋は、真ん中辺りがブヨブヨしてて高さもあるから危険です。歩く人の数の少なさを考えたら、後回しになってしまうのも仕方ないのかな。そういえば、大日影トンネルも劣化で通れなくなっていました。旧道を残していくのは、大変です。
 今年はあちこちで台風の被害が多くなっていて、ここも台風が来たら倒木だらけになりそうです。林業に携わる人がどんどん減っていて、山が荒れてきているのは街道を歩いていると実感します。怖いことです。目の前の利益より、長い目で国土を考えていくような政治にならないと、街道歩きもままならなくなりそうです。なんて書いている今日も台風です。とにかく大きな被害にならないよう祈るばかりです。
 さて、今まで書いていた yahooブログが12月で閉鎖予定で、9月からは記事も載せることができなくなってしまいました。ブログの移行をしなければならなくなり、ツールが設定されている中から、はてなブログに移転しました。勝手がわからず・・と言い訳しつつ、相変わらずの遅UPとなっていますm(__)m