マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

藤沢から俣野へ 小栗判官ゆかりの地と公園めぐり  2023.12.8(金)

長生院

長生院

 時宗の寺院で、古くは閻魔堂、別名小栗堂とも呼ばれていました。小栗判官伝説に登場する照手姫が晩年尼となって住んでいたという伝説が残っています。小栗判官とその家臣、照手姫、名馬鬼鹿毛と伝わる墓が残されています。

 

藤沢駅遊行寺・長生院 → 俣野別邸公園→ 東俣野公園 → ウイトリッヒの森 → 閻魔堂跡 → 花應院 → 小栗塚・土震塚 → 境川親水公園 → 天王森泉公園 → 俣野公園(ドリームハイツバス停)

 

 藤沢から戸塚にかけて残る小栗判官伝説の史跡をめぐりながら、公園でまったりしてきました。

 

遊行寺 (藤澤山無量光院清浄光寺  時宗

 藤沢駅から遊行寺まで歩いてきました。イチョウもやっと全体が色づきました。

 

俣野大権現(遊行寺

 開基である俣野五郎景平は、遊行寺清浄光寺)開祖・遊行第四代呑海上人の兄で、広大な敷地と大殿堂を寄神し、総本山としての基礎をつくりました。

 

藤沢敵御方供養塔 (遊行寺

 上杉禅秀の乱で戦死した敵・御方を供養するために造立されたものです。この乱で小栗判官上杉禅秀に味方をしますが、敗れて領地を削られます。

 

長生院

 永享元年(1429)遊行寺塔頭として建てられました。 本尊は木造阿弥陀如来坐像で平安時代後期の作と推定される藤沢市内最古の仏像です。長生院に伝わる小栗判官伝説では、小栗満重が主人公となり、横山は盗賊、照手姫は遊女となっています。

常陸の国 小栗城主であった小栗満重は、謀反の恐れありという諫言により鎌倉公方足利持氏に攻められて敗れます。商人の姿に身を変えて家臣十人と共に三河の一族を頼って逃げる途中で、藤沢俣野の横山大膳の館に宿をとりますが、横山は実は強盗でした。

横山の館には多くの女がおり、中でも絶世の美女の照手姫と小栗は懇ろになります。横山は、小栗を鬼鹿毛という暴れ馬に載せて殺そうとしますが、手懐けられて失敗。すると、酒に毒を入れて殺し、財宝を奪って死体を上野原に捨てます。

遊行14代上人大空上人のもとに、閻魔大王から小栗を助けよと夢のお告げがあり、土の中から餓鬼の姿で這い出してきた小栗を土車に乗せ、熊野の湯の峰温泉に送り出します。

一方の照手姫は、逃げ出だしたものの追っ手に捕まり侍従川に捨てられます。六浦の漁師に助けられるも嫉妬深い漁師の妻が人買いに売り、美濃国青墓の宿場で働くことになります。宿場を通りがかった餓鬼を小栗とも知らずに土車を引きます。

熊野で元気になった小栗は横山を処刑し、照手姫を妻に迎えます。小栗は報恩のため遊行寺に閻魔堂を建てます。小栗の死後、照手姫は剃髪して長生尼と名乗り、小栗と毒殺された家臣の菩提を弔いました。」

 

 遊行寺の東門から出て、しばらく東海道を東に進みます。

 

俣野別邸庭園

 東海道を分かれて、すてきなお庭で一休み。途中のコンビニで買ってきたおにぎりでお昼にしました。紅葉がきれいです。

 

 園内からも富士山が見えますが、駐車場からもよく見えます。

 

 東俣野公園へ向かいます。鎌倉街道上道よりもこの道のほうが気持ちいい道ですね。

 

 菜の花が咲いています。オオイヌノフグリホトケノザカタバミなどがたくさん咲いていて、暖かくて、まるで春のお散歩のようです。

 

東俣野公園

 ここからの富士山も素敵です。紅葉もきれいでした。

 

 鎌倉街道上道に合流。八坂神社の銀杏もきれいです。

 

天王山 龍長院 (曹洞宗

 龍長院は、松波嘉治平(相模入道西林、明応3年1494年没)が開基となり、堅心(文亀2年1502年寂)が瀧長庵と号して開山したといいます。慶安元年(1648)当地の領主永井丹波白元が辰岩を迎えて堂宇を改築、龍長院と改めたといいます。(「猫のあしあと」より)

 鎌倉街道沿いにある龍長院の辺りに、横山の館があったと伝わっています。

 

ウイトリッヒの森

 境川沿いに鎌倉街道を進み、宇田川橋で分かれて橋を渡らずに坂を上ります。この一帯は、かつて鬼鹿毛山と呼ばれ、小栗判官伝説に出てくる荒馬・鬼鹿毛が育ったところと伝わっています。現在「ウイトリッヒの森」となっているこの場所は、ここに住んでいたアーノルド・ウイトリッヒが、故郷のスイスの山に似ていると買い求めて移り住んだ場所で、死後に横浜市に寄贈されて市民の森となっています。自然のままの森という感じで、屋敷跡にベンチがあるだけなので、ウイトリッヒが商社に勤める傍ら、ここで農業をしていたというような感じはありません。ただ、馬頭観音が残されていて、鬼鹿毛とのつながりを少しだけ感じられました。

 

旧ウイトリッヒ邸 (横浜市認定歴史建造物)

 こちらは別日に訪れた旧ウイトリッヒ邸。昭和8年(1933)ごろに戸塚区矢部町に建てられたものです。俣野に移る前までここに住んでいました。現在は個人のお宅となっているようですが、誰か住んでいるのでしょうか。あまり手入れがされてないようです。

 

 来た道を川沿いに歩いて金沢橋を渡ります。今度は境川沿いを北に進んで、サイクリングロードの途中から畑の中を進んでいきます。振り返って見える山の辺りが鬼鹿毛山です。旧ドリームランドの象徴だった塔も見えます。

 

瞽女淵と土手番さま

 氾濫を繰り返した土手をめぐるお話が残されていました。江戸時代、この付近の淵に瞽女が落ちたことから瞽女淵と呼ばれるようになったそうです。また、土手を守るため一人の武士が身を投げ「土手番さま」と呼ばれ、明治時代まで祭礼を行っていたそうです。地蔵の姿をしていますが、廃仏毀釈により頭を壊されています。近くには明治42年(1909)に実施された総合耕地整理により瞽女淵が埋め立てられた際に建てられた記念碑もあります。

 

 瞽女淵を北に進むと段丘の上に小さな森が見えてきまた。閻魔堂跡です。

 

閻魔堂跡 (法王院十王堂跡)

 「小栗墓塔、土手番様の浪人の墓、歴代住職の墓が残っている。」と書かれていますが、よくわかりませんでした。天保十一年(1840)の火災により堂は焼失しています。また、この辺りに、照手姫の御所があったともいわれています。そしてその後所は、鎌倉時代後期の地頭職 俣野五郎景平の居館跡だったともいわれています。

 

佐馬大明神

 近くに“サバ神社”のひとつ佐馬大明神がありました。サバ神社も不思議な神社です。

 

花應院 (曹洞宗

 閻魔堂の近くにあるこのお寺は、慶長九年(1604)開山は国境、開基は祖桂として創建されました。閻魔堂が火災になった際に、閻魔大王坐像が運び込まれています。小栗を蘇生させた閻魔大王といわれ、1月と8月には閻魔大王像の御開帳と絵解きがあるそうです。ここに伝わるお話は、小栗判官は助重・二条兼家の子供、横山は郡代で、照手姫は横手の娘です。筑西市と同じく説教節がもとになっているようです。

 

 県道(菖蒲沢戸塚線)に出てしばらく進みます。道の反対側にある湘南ゆうき村の前に小栗塚碑、手前に見える階段を上った先には土震塚があります。

 

伝承小栗塚之碑(石碑)

 横山大膳に殺された小栗判官が土葬された場所と伝えられています。県道拡張のため碑のみが残されています。

 

土震塚(すなふるいづか)

 小栗判官の甦生伝承地とされています。土から出てきた小栗が、身の土を振るい落として塚ができたとされ、娑婆への出入口とされています。畑の中なので、近くに行っていいものわからず階段の上から眺めてきました。手前の小さな木を囲ってあるところだと思うのですが、奥に見える木の方が立派ですね。柵の脇に置いてある荷物が、なんだか恐竜のように見えます。

 

小栗塚公園

 名前が気になって寄ってみました。小さな公園です。説明板もないので、小栗塚に近いところにある公園だからとついただけなのかもしれません。

 

境川遊水地公園

 境川の遊水地で一休み。ここは洪水被害を軽減させるための遊水地で、普段は公園として利用されています。

 

天王森泉館(旧清水製糸場本館)

 遊水地公園の近くにあります。明治44年(1911)に建設された清水製糸場の本館の半分で、個人の住宅として利用されていたものを再生しています。明治期に建てられた横浜市内に残る唯一の製糸関連の遺構です。和泉川沿いの台地の崖線から湧く豊富な湧水を活かして、流域には20に上る製糸工場が営まれていたそうです。

 

天王森泉公園

 天王森泉館の脇から上っていくと見晴らしの丘、住宅地を挟んで雑木林が広がります。見晴らしの丘といっても木々が茂っていて見晴らしはよくありません。館の方がいいくらい。雑木林は時間があまりなかったので、さっと回っただけですが、気持ちのいい森でした。もう登り降りはしたくなかったので、見晴らしの丘まで戻って俣野公園へ向かいます。

 

 庚申塔

 

 日が暮れてきました。

 

俣野公園

 旧ドリームランドの跡地を活用して整備された総合公園です。すっかり日が暮れてしまいました。ドリームハイツのバス停から帰ります。

 

 藤沢・戸塚近辺の小栗ゆかりの地と近くの公園を歩いてきました。あちらこちらに残る小栗判官伝説。こんなに距離が近いのに、長生院と花應院のお話が違うのも面白いですね。仏の教えを広めるために口承芸能として語られてきたこの物語は、時宗の遊行僧が語り始めたといわれています。上杉禅秀の乱は太空上人の頃ですが、いつごろから始まったのでしょう。一遍上人の頃から似たようなお話はあったのでしょうか。今まで伝わってきたのは、きっと語り手が魅力的だったのでしょうね。

 そして俣野の辺りにはたくさんの公園がありました。自然豊かな場所です。公園はきれいに手入れされていてどこも居心地がいいです。富士山を眺めながらのんびりと歩くにも、ゆったり過ごすにもおすすめの場所でした。