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まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

小栗判官まつり   2023.12.3(日)

小栗判官まつり

小栗判官まつり

 常陸国小栗を治めた小栗氏の15代城主、小栗判官と照手姫の小栗判官伝説を基にして、平成元年に町おこしの一環として始まったお祭りです。市民参加の武者行列が駅前通りを練り歩きます。

 

久世田(くげた)駅 → 樋口雷神社 → 内外大神宮 → 小栗城跡 → 小栗判官まつり(新治小学校・ → 新治駅

 

 藤沢の遊行寺に行ったときに小栗判官の話を聞いて、ググっていたら「小栗判官まつり」を見つけたので、行ってきました。なかなか面白かったです。

 

久下田駅真岡鉄道

 久下田駅から歩きます。立派な駅舎ですが、無人駅です。この駅は栃木県真岡市と茨城県筑西市にまたがっていて、駅舎は栃木県側になります。改札口を出た先に銅像がありました。二宮尊尊徳像でした。薪を背負っていないと誰だかわからないですね。疲弊した桜町(現在の二宮町物井、真岡市東郷の一部)の再興を命じられ、以後26年間に渡り、復興に携わったそうです。大人になった二宮尊徳は、身長は6尺(約180cm)、体重は94kgもある大男だったそうです。

 

久下田城跡

 坂を下って県道に出ます。茨城県に入りました。立派な建物があります。醸造販売しているお醤油屋さんでした。その後ろの山は、久下田城址。戦国時代に下館城主水谷蟠竜斎が、宇都宮氏から下舘領を守るために築いた城です。何も下調べをしていなかったので、気になるけど、横目に見ながら先に進みました。

 

樋口雷神社

 彫刻が見事だというので寄ってみました。創建は、寛治元年(1087) 八幡太郎源義家後三年の役に出羽の清原家衡を奥州金沢で討ち、帰陣の際に一宇を建立し凱旋の報歳を行ったのが始めといわれています。狛犬のポーズがかわいいですね。彫刻は保護のため覆われていて見えにくいけど、すごく立派でした。

 

 久下田駅を出てから、茨城県と栃木県を行ったり来たりしています。この道は岩瀬街道というらしい。この先に小栗街道もあり、結城街道にもつながっているらしい。そのうちに調べてみよう(どうだろう・・・) 途中の刀剣博物館もちょっと気になりますが、ここを過ぎると立派な歩道が続く田んぼの中の単調な道が続きます。右手にみえる筑波山が気持ちいい。筑波山からは山が連なっています。それにしても歩行者が見当たらないこと・・

 

 小貝川を渡り、田んぼの中を歩いて、まずは内外宮大神に向かいます。あのこんもりとした丘が小栗城跡です。

 

 小貝川の奥に見えるのは、赤城山?日光方面? 山アプリ入れないと、ってずっと言ってるような・・

 

内外大神宮

 鎌倉時代、神社の周辺は伊勢神宮領の小栗御厨でした。神明造りの本殿は、横並びに内宮(天照大神)と外宮(豊受大神)の本殿。そして御遷殿の三棟が建っており、国の重要文化財に指定されています。社伝によれば、大同元年(806)頃に創建され、応永年間(1394-1427)に焼失。現社殿は、延宝七年(1679)に地元の大工により建てられています。茅葺の御遷殿は、室町時代後期(1574)の建築です。正統的な神明造本殿を二棟並立させる形式としては現存する最古のものとされています。春と秋に大々神楽が行われるそうです。

 

小栗城跡

 神社の裏山に、小栗判官で有名な小栗氏の居城がありました。平安時代末期に大掾氏の分家の小栗氏が築城し、室町時代には小栗満重の乱の舞台となりました。戦国時代には宇都宮氏家臣小宅氏の居城にもなっています。城址には、内外宮大神宮の脇から登れるようになっています。が、登りませんでした。と、いうのも、上の方から犬の声がすごく聞こえるのです。入口には「有害駆除(イノシシ)実施中 入山注意!」の看板。間違って撃たれることはないだろうけど、犬は苦手だし、様子もわからないし、時間も押しているということで、城跡はパスしてしまいました。

 久下田駅から内外宮大神まで約1時間半。出発式に間に合うかどうかは微妙ですが、武者行列は見学できそうです。小栗判官まつりの会場となっている新治小学校へは、ここから1時間ほど。大神宮で軽く菓子パンをかじって、さぁ歩きましょう。

 

徳聖寺山門 (真言宗

 矢印が出ていたので寄ってみました。文政年間に建立されたという鐘楼堂を兼ねた山門です。6脚の建築様式は数少なく、貴重だそうです。正面からだとわかりづらかったですね。

 

 お店が並んでいるこの辺りが、この地区の中心かな。この辺りの家はみんな広いです。

 

 大きな碑があるところで、県道に合流します。農地の整地をしたことを記念して建てられたようです。道には広い歩道があって歩きやすいのに、自転車とすれ違うことがあっても、誰も歩行者とはすれ違わない。

 

 会場になっている新治小学校に到着。馬に乗った小栗判官が出番を待っていました。正面にまわるとすでに大勢の人。出発式が始まっていました。

 

 

 小栗判官役は、声優・俳優の松田賢二さん、照手姫役は、筑西市出身で祇園芸妓のゆり葉さん。子どもたちの行列が続き、小栗判官の後ろに十人の家人、照手姫、そして武者行列が続きます。武者たちはサービス精神旺盛で声がかかると気軽にポーズをとっていました。

 

 行列が駅前通りからサブ会場へ曲ったところで、通りの出店で軽くお昼。きのこそばを頂きました。サブ会場の筑西市協和支所では、写真撮影やちびっ子たちのチャンバラ合戦がおこなわれていました。メイン会場に戻る行列は3時ごろの出発。まだ1時間半もあります。あまり回れなかったのでメイン会場の小学校に戻ります。

 

 校庭には出店がいっぱいでています。物足りなかったので、ハラミ串を一串いただきました。ステージでは様々な催しが行われ、ちびっ子たちのダンスや、中学生のソーラン節などは友達や保護者が大勢集まってきて賑やかでした。個人的に気に入ったのは、移動動物園のひよこたち。固まって寄り添っている姿がとてもかわいかったです。まだ行列の到着までは時間があります。餅まきはちょっと気になるけど、駅までは10分ほど、ちょうど電車に乗れそうなので帰ることにしました。

 

新治駅

 無人駅ですが、きれいな駅舎です。でも・・・改札にsuicaの出入タッチだけができる簡易改札機と、乗車整理券の発券機しかありません。券売機がないのです。suicaのチャージもできません。トイレはないって書いてあったけど、駅前のロータリーにあったような。

 

 「小栗判官まつり」に行ってきました。地元の人たちが楽しむお祭りとう感じで、規模もちょうどよくて居心地のいいお祭りでした。相変わらず準備不足のお散歩ですが、なかなか面白かったです。昔から歴史の舞台になっている場所なので、周辺には面白そうな場所が沢山ありました。今度はちゃん計画を立てて回りましょう。

 それにしても「小栗判官伝説」不思議なお話ですよね。場所によって、主人公が、父(満重)だったり、子(助重)だったり。横山も領主だったり、盗賊だったり。照手姫もお姫様だったり、遊女だったり。様々なお話が伝わっています。

 筑西市のお話では、小栗判官(助重)は、二城大納言兼家が毘沙門天から授かった申し子で、大蛇と契ったことで都を追われ、常陸国小栗に流されます。行商人から武蔵国相模の郡代横山の娘 照手姫の美しさを聞いて強引に婿入りしたことで、横山に殺害され、照手も館を追い出されて転々として青墓の宿で下女として働くことになります。閻魔により餓鬼阿弥の姿で娑婆に戻った小栗は、遊行寺の上人の導きにより、熊野でもとの小栗に本復し、父兼家、そして横山とも和解をして、照手を救い出し、小栗に戻って照手姫と結ばれたという物語になっています。

 史実の小栗満重は、常陸小栗氏の当主で、応永二十三年(1416) 「上杉禅秀の乱」で禅秀につき、関東公方 足利持氏に敗北して多くの領地を削られます。その後も度々乱(小栗満重の乱)を起こし、応永三十年(1423)に、足利持氏と激戦の末敗れ落城。満重は自害。子の助重は三河に逃れます。その後、「結城合戦」で活躍して領地を取り戻すものの、再び落城。助重の消息は不明となっています。