マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【鎌倉街道 上道】2日目 鉄砲宿から南町田  2021.9.20(月・敬老の日)

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左馬神社(泉区下飯田)

サバ神社

境川流域にのみ十二社が祀られる「サバ神社」 左馬、左婆、左波、鯖などの文字がありますが、全て「サバ」と読みます。十二社のうち九社に源義朝、三社に源満仲が祀られています。共に同じ官職、左馬頭であったことに由来するという説が有力ですが、泉をあらわす「沢」から「サバ」に、田の神「さんばい」から「サバ」になど諸説ありはっきりとはわかっていません。また、十二社のうち七社の「サバ神社」を1日で参拝すると悪病除けにご利益があると言われる「七さば参り」という風習が江戸時代から明治時代にかけて行われていたそうです。

 

鉄砲宿(バス停)→ 俣野 → 飯田 瀬谷 → 南町田(南町田グランベリーパーク駅) 約20km)

 

 鎌倉街道上道 2日目スタートです。前回は、横浜市に入ったところで終了。今回は横浜市の西側を横断します。台風一過のカラッとした秋晴れ、すっかり油断してしまい日焼け止めを塗り忘れてしまった二の腕がヒリヒリするくらい、日差しの強い一日でした。

 

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鉄砲宿のバス停で降りて、藤沢バイパスを歩道橋で渡ります。交通量の多い細い道を進むと交差点の奥に石仏群が見えます。信号を渡り、石仏群の右側の道を進みます。

 

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緩やかな坂を下りて行くとだんだんと畑が多くなります。奥に横浜薬科大学図書館棟が見えてきました。旧ホテルエンパイアです。五重塔のようなひさしはなくなって、すっかりスリムになってしまったけど、その昔は最上階に回転レストランがあったんです。食べに行った。眺めは最高でした。子供のころドリームランドは本当に夢の国だったんだよ・・ちょっと思い出に浸ってみました。

 

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長屋門が残っています。

 

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八坂神社

鳥居脇には「鎌倉街道西の道」の案内板や石仏が並んでいます。坂を下った先に本殿が見えてきました。鳥居と本殿の位置が微妙な感じがするのは区画整理されたからでしょうか。龍長院を過ぎビニールハウスがたくさん並ぶ道を歩いて、宇田川に架かる橋を渡ります。俣野小学校、明治学院グランド脇を歩き県道403号線に出ます。そのままグランド沿いに歩くと俣野観音堂が見えてきます。

 

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俣野観音堂

大場景親の弟 俣野五郎景久の持仏十一面観音が祀られていると伝わる観音堂です。景久は石橋山合戦で家臣長尾兄弟と共に激闘の末、源氏の先陣佐奈田与一を討ち取り、頼朝を敗走に追い込みました。頼朝の鎌倉入府後は京都に逃れ、平宗盛軍の将として木曽義仲と対戦したものの討死。最後まで反源氏を貫いた一生でした。

 

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観音堂の左側の道を進んでいきます。Y字路を左、右・・・と進みます。

 

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色づいた田んぼの脇に真っ赤なヒガンバナ。秋ですねぇ。

 

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境川遊水地公園

境川の遊水地に出ました。境川の洪水被害を軽減させるために作られた施設です。平常時は公園として利用されていますが、境川があふれた時は遊水地になります。グランドの脇辺りで環状4号線に抜ける道があります。これが「たつ道」といわれ新田義貞が鎌倉攻めの際に通った道といわれています。上道はもう少し先に進みます。テニスコート奥のY字で細い道を進み、下飯田の交差点を渡り北へと進みます。澄んだ青空に富士山と大山がきれいに見えます。

 

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富士塚公園

相鉄と地下鉄の高架手前にある公園は、飯田家義の住居跡。石橋山合戦では、源氏に加勢するつもりが成り行きで平家方として戦うことになりましたが、頼朝の逃避を助け、富士川の戦では源氏方に参戦して武功をあげています。

 

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富士山と大山を眺めながら歩きます。細道を左に入ると左馬神社です。

 

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左馬神社(鯖神社)

飯田家義が勧請したといわれています。源義朝が祀られています。疲れたらこの先でリタイアも可。相鉄いずみ野線ゆめが丘駅」、横浜市営地下鉄下飯田駅」は近くです。

 

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美濃口春鴻の生家

左手に田んぼが広がり立派な黒塀が見えてきました。春鴻の生家です。江戸時代中期の相模を代表する俳人で、鴫立庵の後見もしていました。美濃口家は、代々名主を務め、村制がしかれてからは村長も務めた家柄です。この道はとても気持ちのいい道ですね。

 

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ハグロトンボ

黒いトンボは神様トンボ。お盆の時期には死者の魂を運ぶ存在ともいわれています。こちらは雄。雌は全身が真っ黒です。

 

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ここにも長屋門が残っています。

 

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大山街道柏尾通りと合流します。右から下りてくるのが大山街道。この先の信号で長後街道を渡ってJA横浜飯田までの短い区間が重なります。大山街道はそこから西に続きますが、橋がないので川沿いに長後街道まで戻って進んでいきます。

 

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飯田神社(鯖明神)

ここも「サバ神社」の一社で、飯田家義が勧請したといわれています。ご祭神は、左馬頭源義朝・宇迦之御御魂大神・大山咋大神。鳥居前には石仏群があります。

 

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法華山 本興寺日蓮宗 本山)

上飯田西公園で曲がり、いちょう団地沿いに歩いて新幹線の高架をくぐる道が街道ですが、途中で本興寺の横を抜けて新幹線を渡り街道に合流しました。こちらの道は高いので橋の上からは新幹線も富士山もよく見えます。

 

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道祖神 柳明神社

Y字の分れ道を本当は下っていかないとならなかったのですが、上って行ってしまいました。すぐに道祖神が祀られていたので何の疑いもせず。柳明神社を横目に交差点まで来ると7-11が目に入ったので、ちょっと買い物。駐車場から富士山が今歩いてきた方向によく見える?? で、道間違いに気が付いたのでした。正しい道に戻りましょう。

 

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宮久保公園

相沢川沿いに歩いて公園が見えたら橋を渡ります。ちょっとここで一休み。今回も公園飯です。トイレもあります。橋を戻り、相沢川沿いに歩いて上和田中学校の所で橋を渡り、さくら小学校の先、歩道橋が右手に見えるところまで歩いたら、左に曲がり進みます。右手の歩道橋のかかる道路は環状4号線「たつ道」です。

 

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左馬社

道なりに進み中原街道を渡ると、石仏の先にまたまたサバ神社のひとつの左馬社。神仏混淆の名残で境内に梵鐘があります。ご祭神は源義朝です。

 

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猿王山 西福寺(真言宗豊山派

実はちょっと気になっていた「瀬谷八福神」ここには布袋様がいらっしゃるんですね。今年のお正月はコロナで氏神様にお参りしただけだったので、来年のお正月は「瀬谷八福神」巡りたいなぁ。この先で厚木街道を渡り、相鉄線のガードをくぐります。この辺りは道が狭いです。瀬谷駅はすぐ近くです。

 

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瀬谷山 徳善禅寺(曹洞宗

途中のY字を瀬谷図書館の方に進むと立派な山門があります。ここも瀬谷八福神のひとつです。山門正面の道を進むと街道に戻ります。

 

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日枝社 瀬谷神明社

 

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とても気持ちのいい道です。この鎌倉古道沿いは瀬谷区の「歴史さんぽ北コース」になっているそうです。河津桜もあるし、少し足を延ばせば海軍道路の桜もあるから、春は特におすすめの散歩道かもしれませんね。

 

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中屋敷地蔵尊

 

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瀬谷銀行跡

明治四十年(1907)当時さかんだった養蚕業のため小島政五郎(神中軌道(現相模鉄道)社長)が中心となり銀行を開業し、地域の発展に寄与しました。関東大震災で多くが倒壊し、昭和十年(1935)鎌倉銀行に合併されました。

 

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北向地蔵堂

お茶を飲みながら、おしゃべりしているようなお地蔵さんたち。ここで瀬谷柏尾道路(県道401)に合流します。しばらく歩くと右手に妙心寺が見えます。車は多いのに歩道がなく気をつかう道です。

 

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八幡社

東名高速道路の手前にあります。高速道路建設のため現在地に遷座したそうです。高速道路をくぐり右に曲がって最初の角を左に曲がります。

 

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正面に大きなマンションが見えてきます。坂を上り、八王子街道を渡ってマンション沿いに北へ進みます。

 

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東京都町田市に入りました。第六天神社・古峰神社を過ぎた先の分岐を左に入り、道路を渡り園城寺の左側を進むと厚木街道に架かる歩道橋に出ます。園城寺の前を通る道が大山街道矢倉沢往還

 

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歩道橋を渡り、小学校の先から鶴間パークウェイに入ると鶴舞公園に出ます。奥に南町田グランベリーパークが見えてきました。緊急事態宣言中というのに人人人。寄り道しようかと思っていたのですが、密を避けてさっさと退散。南町田グランベリーパーク駅から帰ります。駅の中にもスヌーピーがいました。

 

 上道2日目は、境川流域を歩く旅でした。境川は延長約52㎞、神奈川県北部の城山湖付近の源流から都県境を南下し、藤沢市の江の島付近で相模湾に注ぎます。鉄砲宿から国道1号線を横切り、坂を下っていくと田畑や果樹園が目に付くようになります。それでも市街地の開発は進んでいて保水機能の低下による洪水の危険も多くなっているそうです。境川遊水地も治水対策のひとつ。新横浜公園鶴見川の氾濫に備えた作りになっていたっけ。想定外の大雨が想定外じゃなくなってしまっている現代には必要な施設ですね。

 それにしても不思議なのは「サバ神社」。何で「鯖」になってしまうんでしょうねぇ。不思議です。平安時代後期、中流部を支配していたのは桓武平氏秩父党の渋谷氏。渋谷重国、息子の飯田家義は源義朝、頼朝と深い関係があり、源義朝を祀るサバ神社を建立したと伝わっています。そして下流部を支配していたのが桓武平氏鎌倉党の大庭氏と俣野氏。保元の乱で義朝の郎党として活躍したとはいえ、大庭御厨をめぐる争いとか考えたら、石橋山合戦後で反源家となったのも何かわかる気がする。それにしても源義朝だけでなく、源満仲をご祭神にしている神社もあるのは何故なんでしょう。いろいろと興味深いです。