マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【鎌倉街道 中道】 1日目 鎌倉から下永谷  2021.1.30(土)

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鶴岡八幡宮

 

鎌倉駅鶴岡八幡宮巨福呂坂洞門北鎌倉駅→ 成福寺 → 笠間庚申塔 → いたち川道標 → 本郷台 → 舞岡公園 → 日限山 → 下永谷駅) 約12km

 

 「いざ鎌倉」と御家人が駆けつけた街道は、鎌倉街道、鎌倉みち、鎌倉往還などと呼ばれて各地に残っています。今回はその中でも主要な街道と呼ばれた3本の鎌倉街道の1つ「中道・なかつみち」を歩きます。気持ちのいい青空の下、お参りをして、

いざ出発!

 

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巨福呂坂洞門

鎌倉七切道しの1つ、巨福呂坂切通しは、明治時代以降の道路拡張により途中で途切れていてあるけません。なので現在の旅人はこの上を街道が通っていたという巨福呂坂洞門を歩いていきます。

 

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巨福山建長寺

鎌倉五山第一位の建長寺は、北条時頼が建長5年(1253)に宋から高僧蘭渓道隆を招いて創建されました。この総門は、1783年に京都の般舟三昧院で建てられたものを1940年移築したものです。門前で頭を下げて先に進みます。

 

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横須賀線の踏切脇の蝋梅がとてもきれいです。街道は踏切を渡っていきますが、歩道がせまいので、ここは踏切を渡らずに円覚寺まで歩いちゃいます。

 

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北条時宗が開いた円覚寺ですが、お寺には寄らず踏切を渡り街道に戻ります。

 

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北鎌倉からの道は、歩道が狭いのに交通量が多くて歩きにくいんです。そういえば鎌倉市内にはまだ丸ポストが残っているんですよね。

 

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水堰橋の手前の信号で右に入ると旧道です。横須賀線の踏切を渡ります。

 

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亀甲山成福寺 

踏切を渡った先には茅葺の山門。鎌倉市内で唯一の浄土真宗の寺院です。開基は北条泰次(鎌倉幕府第三代執権北条泰時の子)。元々は天台宗の寺院でしたが、親鸞に帰依して改宗、浄土真宗の寺院となりました。

 

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離山富士見地蔵尊

住宅地内の旧道を歩いていくと、信号のない横断歩道を渡った先にお地蔵さんがあります。この辺りにはむかし三つの山があったそうですが、道路拡張工事等でこの地に移されたそうです。

 

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道は工場に突き当たります。右に折れて大船湯便局前の信号で松竹離山通りに入ります。交差点を過ぎると大きなマンション。そして広~い空き地。いつの間にか資生堂の工場はなくなっていたのですね。残りの空き地は豊島屋の工場になるとか。この先は歩道がなくなります。車が多くて歩きにくい道です。

 

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笠間庚申塔

 

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泉村不動

 

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いたち川

笠間の交差点を歩道橋で越えていたち川にかかる新橋を渡ります。川にいるのはイソシギかなぁ。いたち川の“いたち”は動物のイタチではなく“鎌倉街道の出立点としての「いでたち」”からきていると云われています。

ちなみに漢字でかくと“いたち”が変換できないんです。 f:id:madaonakumisan:20210502164917p:plain “けものへん”に“由”と書きます。

 

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道標 延命地蔵

で、ここまでは歩いたことがある道。橋の脇には、道標。“これよりとつかじゅく”“これよりさきぐみょうじ”と書かれています。戸塚みちは歩いているので、ここからは弘明寺みちへと入ります。

 

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しばらくは道なりに歩いて根岸線の線路をくぐると道が三つに分かれます。真ん中の細い坂を上っていきます。坂の手前の左側には道標が残っています。

 

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富士山

細い登り坂をどんどん上っていきます。住宅の中を抜けて本郷台小学校の側を過ぎて道なりに左に曲がりそのまま道を上っていきます。住宅の隙間から富士山が見えました。道が突き当たったら右に曲がり次の角を入って小学校ぞいに突き当りまで進みます。本来なら旧道は真っ直ぐ続いていくのですが、環状3号線で途切れてしまうので、右に回り込んで見晴橋を渡ります。見晴橋の上からも大山と富士山がきれいに見えました。

橋を渡ったらすぐに左に折れて旧道に入ります。まだまだ坂は続きます。

 

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庚申塔

見晴らしのいい尾根の道を歩いていきます。公園の脇を通り、て戸塚ふたば幼稚園を過ぎたらバイパスにかかる橋を渡ります。橋を渡った先には庚申塔がありました。道は舞岡公園の中を抜けていきます。

 

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舞岡公園でおやつ休憩。今日は谷戸には寄らずに駐車場からバス停に出て住宅の中を抜けていきます。にCOOPがある港南プラザ前の交差点を左に折れてバス通りを道なりに進みます。

 

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日限地蔵

日限地蔵前の交差点の手前のマンションンの脇を行くのが旧道らしいのですが、日限地蔵によるために日限地蔵前の交差点で曲がります。ちなみにこのマンション前は玉縄城の支城 笹山城があったとか。

 

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日限地蔵から坂を下ります。途中で旧道が合流してきます。そのまま下永谷駅入り口の交差点まで行って右に曲がります。曲がってすぐの角を左に入るのが旧道ですが、今日は左にまがらず、真っ直ぐ進んで下永谷駅から戻ることにしましょう。

 

 鎌倉街道と呼ばれる道はたくさんあります。中でも主要な三本の道が「上道」「中道」「下道」。「中道」をスタートしたのは、東海道を歩いているときに、戸塚宿の浮世絵「かまくら道」の道標から鶴岡八幡宮まで歩いたことがあるからなのです。緊急宣言宣言中ということで、鶴岡八幡宮からさかのぼっていきます。

 と、歩き始めたのが今年の1月。何となくまとめそびれているうちに、緊急事態宣言は解除。・・されたかと思ったら、まん防が適用されるやいなや、あっという間に東京は緊急事態宣言復活だと。密の中出勤せざるを得ない薄給の身としては、国民に自粛を押し付ける前にもっとやることがあるでしょ、世界中から集まる体育大会の延期とかと、文句のひとつも言いたくなります。ま、5月にはいりやっとGWのお休みになったので、まだまだ歩いている途中ではありますが、少しずつアップしていきましょう。

 今回は、「五街道の旅」というサイトの鎌倉街道の地図をメインに色々なサイトを参考にしながら歩いています。