酒匂川
富士山の東麓と丹沢山地の西南部を主な源流として、小田原市で相模湾へと注ぎます。古くは舟渡しでしたが、江戸時代前期の延宝二年(1674)に徒歩渡しとなりました。冬場は仮橋が架けられていたそうです。
1.小田原宿なりわい交流館 → 2.鈴木製餡所 → 3.かまぼこ通り → 4.北條稲荷神社 → 5.江戸口見附跡 → 6.蓮上院土塁 → 7.柏木美術鋳物研究所 → 8.徳川家康陣地跡の碑 → 9.酒匂川渡しの碑 → 10.済度山 法船寺 → 11.酒匂きらり広場 → 鴨宮駅
ランチの後は「駅ハイ」を歩いてきました。東海道を歩いて、なりわい交流館からスタートです。
1.小田原宿なりわい交流館
ここは、小田原の典型的な庄屋の造り(出桁造り)の旧網問屋を再構築した旅籠風の建物で、市民や観光客の憩いの場所になっています。
2.鈴木製餡所
小田原市内の和菓子屋を支える製餡所で、500gから小売りもしているそうです。
3.かまぼこ通り
なりわい交流館から続く通りと、一つ海よりの通りの名称です。江戸時代から、蒲鉾や干物、削り節などの水産加工業の集積地として栄え、水産業の町の歴史情緒を残しています。といっても蒲鉾店が軒を連ねているわけではないので、お土産を買うなら駅前の方がよさそうな気もします。土日ならもうちょっと賑わっているのかなぁ
防潮扉より望む相模湾。ビューポイントにおすすめされていました。扉をくぐると青い海が広がります。
4.北條稲荷神社
北条氏康が夕涼みをしているときに狐の鳴き声を耳にし『夏はきつ 音(ね)の鳴く蝉の 唐衣 おのれおのれの 身の上に着よ』と歌を詠み、「きつ」「ね」と音を断ち切ったことで、氏康に凶事を告げにきた狐が死んでしまい、氏康は狐の祟りにより亡くなってしまったと考えられて、氏政がこの社を祀ったと伝わります。社殿の前のキツネが、ちょっと恐ろしげでインパクトがあります。檻に閉じ込めておきたい感じです。
蛙石(北条稲荷神社)
小田原に異変があるときには必ず鳴き声を発するとされ、小田原落城の際には盛んに鳴いていたと伝えられています。
5.江戸口見附跡
小田原宿の江戸方の入口で、江戸から二十番目の山王一里塚がありました。小田原城総構の南に端にあたります。
駅ハイのコースを少し外れて東海道を東に寄り道。ここは、かつて今よりも海岸沿いの松林の中に祀られていました。小田原合戦の際には家康が日々参詣したと伝わります。また境内にある井戸は「星月夜ノ井戸」と呼ばれ、昼間でも星々を映すとされています。
山王口の「小田原まちしるべ」まで戻りコースに復帰。細道に入ります。このくねった道は総構えの跡なのでしょうね。
6.蓮上院土塁
北条氏の築いた土塁が一部残っています。土塁途中のえぐられた場所は、太平洋戦争の爆弾が着弾した場所だそうです。
7.柏木美術鋳物研究所
室町時代から続く小田原鋳物の伝統を受け継ぐ工房で、風鈴やおりんなどを製造・販売しています。
8.徳川家康陣地跡の碑
小田原合戦の際に徳川家康が陣を張った跡です。北条氏が降伏して開城するまでのおよそ110日間滞在していたといわれています。
酒匂川
酒匂川までやってきました。小田原大橋で渡ります。渡り終えたら、川沿いを海に向かって進みます。富士山がちょこっと顔を出しています。
9.酒匂川渡しの碑
東海道に架かる酒匂橋の少し手前にありました。
10.済度山 法船寺 (日蓮宗)
日蓮聖人が鎌倉から身延山へ向かう途中に修験者飯山船の自宅に泊ったのがきっかけで、日蓮聖人に帰依し自宅を法船寺として創建したと伝わります。
マップは、県道を進めばいいものをなぜか手前の細道を進んで下菊川沿いを歩き、宮下橋を渡れと描いてあります。丹沢の山並みはきれいだけど、なんでだろう。
11.酒匂きらり広場 → 鴨宮駅
酒匂水再生センターの上に整備した公園です。眺めがよくて気持ちがいい。16時(月曜休)までなのでゆっくりもしていられないけど、ちょっと休憩。いい場所ですね~
少しばかり時間オーバーでゴールに到着。といっても手続きはないんだけどね。
このコースの東海道から外れたところは、ほぼ初めて訪れた場所でした。自分では行かないところに行けるので「駅ハイ」は楽しみです。久しぶりに歩くと、歩いた道も少しずつ変わっているし、いつもと少し違う道を歩くだけで新しい発見もたくさん。最初に東海道を歩いたのはもう十年も前になるのかぁ。県内はちょこちょこと歩いている区間もあるけど、通しで歩いたらだいぶ最初とは印象が変わりそう。また歩いてみようかなぁ。