一里塚
一里塚は、街道の距離の目安として、一里(約3.9km)ごとに設けられていました。街道の両脇に土を盛り、その上に木を植えた形が一般的。保土ヶ谷宿の一里塚は江戸から八番目。
保土ヶ谷駅/宿場そば桑名屋→ ①普賢山香象院 → ②見光寺 → ③樹源寺 → ④帝釈天と旧元町橋跡 → ⑤権太坂 → ⑥境木立場跡→ ⑦武相国境モニュメント → ⑧投げ込み塚の碑 → ⑨復元した一里塚と松並木・上方見附モニュメント→ ⑩保土ヶ谷本陣跡 → 宿場そば桑名屋/保土ヶ谷駅 約10km
今井川沿いを歩いていきます。コンクリート塀の裏が今井川。窓みたいなオブジェがおしゃれ?
①普賢山香象院
②見光寺
青木雨彦氏(1932-1991)の句碑 「塗箸の 剥げて小芋の 煮ころがし」
③樹源寺
踏切を渡り、国道から旧道へ入ったところにある樹源寺が今回のチェックポイント。法事中とのことで堂内は見学できませんでした。
④帝釈天と旧元町橋跡
「帝釈天のお堂の中には、「庚申講」や「地神講」の祭事に使われた貴重な掛け軸が祀られています。また、元町橋は江戸時代の『東海道分間延絵図』にも描かれ、明治20年(1887)の東海道線開通以前の今井川はここで街道を横切っていました。」
⑤権太坂
今は舗装もされているので楽に歩けます。権太坂沿いの駐車場からは富士山が綺麗に見えるのですが、この日は富士山は雲に隠れてしまいました。
⑥境木立場跡
「難所の坂を上りきったあたりに、旅人や馬が急速するための立場が設けられ、数件の茶屋がありました。その内の1軒が現存し、明治天皇も休息されました。」
現存する1軒は境木地蔵の並びにある立派な門のお宅かな?
⑦武相国境モニュメント
境木地蔵尊脇の広場にたっています。
⑧投げ込み塚の碑
「昔、旅の途中で行き倒れた人や牛馬を葬った場所にたてられた、供養のための碑です。」
境木中から東海道を外れた道にあります。この道は車で何回も通っているのにこんなところに碑があったなんて知りませんでした。でも、現在碑がある場所と実際に塚があった場所は同じではないそう。そのまま国道に出ると箱根駅伝で有名な権太坂。こちらのほうがもっと緩やかです。
⑨復元した一里塚と松並木・上方見附モニュメント
「一里塚は、街道の距離の目安として、一里(約3.9km)ごとに設置され、この付近にあった一里塚は、日本橋から8番目のもので平成18年12月に松並木と共に復元されました。京都(上方)側の出入口となるこの上方見附から江戸方見附までを「宿内」と呼んでいました。」
国道を東京方面に歩けば先ほど旧道を分かれた合流地点に戻ります。こんどは道の反対側に眺めていた東海道のモニュメントを眺めながら戻ります。天王町駅より江戸側にある橘神社の辺りが江戸見附。2キロ程が宿内として整備されていました。
⑩保土ヶ谷本陣跡
門が現存しています。明治3年に苅部家は軽部姓に改称し、現在に至っています。
保土ヶ谷駅
ほどがや弁当
ゴールのお蕎麦屋さんで販売していた「ほどがや弁当」600円。お持ち帰りで今日の遅いお昼となりました。地元の野菜を使っているそうで、美味しかった。お蕎麦屋さんで作っているわけじゃなさそうだけど、普段も売っているのかなぁ。他のところでも売っているのかなぁ。