マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

小田原さんぽ   2023.11.22(水)

老欅荘

松永記念館(老欅荘)

 「電力王」として知られる松永安左ヱ門(耳庵)が晩年を過ごした居宅のシンボルツリーです。推定樹齢400年ともいわれる欅は「老欅荘(ろうきょそう)」の名の由来となりました。根元にある石は、黒部峡谷の自然石です。

 

風祭駅 → 万松寺 → 小田原用水 → 板橋地蔵堂 → 松永記念館 → 皆春荘 → 大久寺 

 

 11月の下旬とも思えない暖かさ。最高気温はなんと20℃もありました。「駅ハイ」の前に板橋の辺りを歩いてきました。紅葉も少しずつ始まっています。

 

萬松寺(曹洞宗 清瀧山)

 風祭駅から坂を上って約5分。大きな銀杏の木が見えました。ここは、文禄元年(1592) 徳川家康の嫡男 松平信康を供養するために、小田原城大久保忠世によって建立されました。信康の供養塔があります。忠世は信康を自害させたことをずっと悔やんでいたのですね。信康の命日と同じ9月15日に逝去しています。この新しい五輪塔は令和三年(2021)に寄進されたそうです。また、美濃国鵜沼城主 大澤正秀・正重父子の五輪塔もありました。正秀は、信長に対抗したが降伏し、豊臣秀次につかえたものの秀次亡きあとは流浪して、関ヶ原合戦の際に徳川軍に参戦し、大久保忠世に庇護されたとか。波乱の人生です。五輪塔は、この地方では慶長期型五輪塔としては最大のものだそうです。

 

小田原用水(早川上水)取入口

 旧東海道を小田原方面に進みます。そういえば寄ったことがなかったと思い、早川に下りてみました。小田原北条時代に施設された日本最古の上水道です。家康が神田上水を整備する際のお手本にしたそうです。

 

板橋地蔵堂

 まだ黄葉には少し早いようです。この地蔵堂は、弘法大師が夜毎聞こえるうめき声に困り果てている村人のために、お地蔵様の姿を刻んだことが始まりと伝えられています。その後、永禄十二年(1569)現在地に身丈8尺の大坐像をつくり、その懐中にご本尊を遷座させました。地藏堂脇に安置されている大黒天像は、大正十二年(1923)の関東大震災の翌年につくられたもので、城山の屋敷内にあった樹齢1500年ともいわれる大きなクスノキに立木のまま地上6m程の高さに彫られたものだそうです。戦時中に樹から切り落とされて保管されていたものを昭和52年(1977)地蔵堂に迎えることができたそうです。

 

香林寺(曹洞宗 南谷山)

 地蔵堂を管理しているお寺です。文明十六年(1487)に創建され、北条氏綱室が葬られています。

 

松永記念館(老欅荘)

 この記念館は、実業家で活躍する一方で茶道にも造詣の深かった松永康安左ェ門(耳庵)が収集した古美術品を公開するために建てられました。

 記念館は庭園も見事です。ツワブキが見頃を迎えています。

 

古希庵

 山縣有朋の別邸です。日曜日のみの公開なので見学はできませんでした。

 

山月

 大正九年(1920)に大倉喜八郎が建築した別邸で、関東大震災でもほとんど被害がなかったそうです。レストランのイメージが残っていましたが、だいぶ前から閉鎖されているようです。何だか荒れ放題で寂しいですね・・・

 

皆春荘

 第23第内閣総理大臣 清浦奎吾の別宅として建築され、その後「古希庵」の別庵として編入されました。最近は通年で公開がされるようになったそうです。紅葉にはまだ少し早かったのですが、全庭が紅葉したら見事だろうなぁ。

 

薬膳喫茶KURA

 旧東海道に戻ります。いつの間にか喫茶店になっていました。残念ながら定休日でした。他にも満席で入れなかったけど、古民家を改装したカフェもあって、この辺りはおしゃれな雰囲気になっていました。

 

大久寺 (日蓮宗 寶聚山 随心院

 天正十九年(1591) 小田原城大久保忠世が建立した大久保氏の菩提寺です。

 

きんじろうカフェ

 鮮やかな市電に誘われてランチにしました。境内だけではなくここにもあったんですね。揚げたてサクサクのアジフライがとても美味しかったです。

 

 本日定休日でした。水曜日って定休日のところが多いのかしら。

 

 ランチの後は、この先にある小田原宿なりわい交流館から「駅ハイ」のコースに合流します。 次ページに続きます。