マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【さわやか】 ~富士山ビュー~白梅香る「小田原梅まつり」と流鏑馬を楽しむ 2020.02.11(火)

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流鏑馬

流鏑馬
 鎌倉幕府御家人 相模国曽我荘領主の曽我祐信は、源平一の谷合戦にも加わった弓馬の達人でした。建久四年(1193) 5月16日富士の巻狩りの際には最も功績のあった三名の武将の一人に選ばれ、源頼朝から鞍、馬、直垂を賜っています。曽我祐信ゆかりの地で、毎年梅まつりの開催時に「天下泰平・五穀豊穣」を祈願する神事として伝承された流鏑馬が行われています。

 

 何回も行っている曾我梅林の梅まつり。ですが、流鏑馬を見たのは初めて!迫力満点でとってもかっこいい! 勇ましい流鏑馬にすっかり魅了されてしまいました。

 

下曽我駅 → ①梅の里センター → ②宗我神社 → ③法輪寺 → ④城前寺 → ⑤東光院 → ⑥法蓮寺 → ⑦別所梅林(小田原梅まつり別所会場) → ⑧原梅林(小田原梅まつり流鏑馬会場) → 下曽我駅(約5km)

 

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 駅を下りて「さわやかウォーキング」のマップをもらったら出発。まずは駅前でお気に入りの豆大福を購入。豆大福を買ったつもりだけど豆がない・・あれ間違えた?

 

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① 梅の里センター
「小田原特産の梅を生かした農業更新と地域の活性化を図る施設」
梅干しも売ってます。ここできれいなトイレを拝借。

 

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② 宗我神社
「長元元年(1028)宗我播磨守保慶の建立で、宗我氏の祖先を祀った神社といわれています。」

 

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梅は満開!

 

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法輪寺
「宗我神社の本地仏であった薬師如来と日光、月光の両菩薩は藤原時代の作といわれています。」
 普段は拝見できない仏さまにご挨拶できました。とても穏やかなお顔の仏さまです。そして境内には七福神も勢ぞろい。ここだけで結願できます。

 

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 ついつい撮ってしまう道祖神。ここは大山街道かしら

 

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五郎の沓石

 曽我五郎が足を患って治癒したのちに、体力を試すため石の上で踏ん張ったら石が足形にくぼんでしまったそうで、足を病んだ人たちがお祈りをするそうです。このところちょっと足腰が弱ってきているので、お祈りしておきましょう。

 

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④ 城前寺
「境内には曽我十郎・五郎兄弟、養父曽我太郎祐信、実母満江御前の墓と伝える4基の五輪塔がたっています。」

 

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墓前の梅もそろそろ満開

 

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城前寺からもきれいな富士山が一望

 

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東光寺に向かう途中で牛に遭遇・・・

 

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東光院
「徳本の名号碑ほか石造物群があります。」

 

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⑥ 法蓮寺  
小田原市小八幡の海で漁網にかかって出現したといわれる木彫毘沙門天立像があります。」
 こちらでも普段は見られない毘沙門天立像を見ることが出来ました。

 

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梅林に続く道には正面に富士山!

 

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⑦ 別所梅林(小田原梅まつり別所会場) 
「曾我梅林は、中河原・原・別所の各梅林からなり、約35,000本の白梅が植えられています。」
 たくさんの人です。屋台でお昼ご飯代わりに五平餅を買って流鏑馬会場に向かいます。富士山もきれいです。

 

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⑧ 原梅林(小田原梅まつり流鏑馬会場)
「「吾妻鏡」によると、曽我太郎祐信は弓馬の名人で富士の巻狩りの際、その高い功績から、源頼朝より褒章を受けています。」


 実は流鏑馬を見たのは初めて! とにかく馬の早いこと! 駆け抜ける馬の上から的に当てる射手のなんてかっこいいこと! なんで今まで来なかったんだろうと思ってしまいました。

 流鏑馬は、とても重要な神事として行われていたこともあり、的を外してしまうと責任を取って切腹してしまうこともあったとか。そのため的の周りに花を飾り、そこに当たれば良しされているそうです。
 流鏑馬でこれだけすごいんだから、巻狩りなんてすごい迫力だったんでしょうね。もちろん実戦も・・・・。馬の文化は関東武士が東から西へと移動することによって日本中に広がっていったそうです。仇討ちの影に隠れてなんとなく印象の薄い曽我祐信ですが、きっと典型な関東武士だったのでしょう。

 

曾我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)
建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我祐成曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つである。武士社会において仇討ちの模範とされていた。(wiki) といわれていますが、実は色々を裏があるようです。怖い怖い