韮山城址が近くにあるので、さわやかウォーキングを歩き終わった後に行ってみました。踏切を渡って駅の反対側、蛭ヶ島のほうへ歩き出します。
韮山駅 → 蛭ヶ島公園 → 城池親水公園 → 韮山城址→ 韮山郷土資料館 → 江川邸 → 本立寺 → 韮山反射炉 → 伊豆長岡駅 約9キロ
蛭ヶ島
駅から10分程歩いたところに頼朝が流されたところがあったとは。実は知らずにやってきました。現在は公園になっていて園内にある茶屋でお昼ご飯。味噌汁付きのおにぎりセットが300円は安いでしょ。園内の頼朝は政子と仲良く富士山を眺めていました。
城池親水公園
韮山城 三の丸跡
権現曲輪
今は神社が建っています
坂を登って
二の丸跡
本丸跡
もう一つ登れば本丸跡。富士山がきれいに見えます。小田原城からじゃ箱根の山に隠れて富士山は見えないものね。早雲はきっと富士山が見えるところがよかったのじゃないかしら。
館跡
眼下に見える韮山高校が館跡と言われています。
本丸から城池を望む
本丸から尾根を歩いて塩蔵へ
塩蔵
韮山城は、戦国時代、今川氏の客将であった伊勢宗瑞(北条早雲)が、韮山の堀越公方を攻め、伊豆を平定し、生涯の居城として韮山の丘陵に築いた山城です。宗瑞の死後、2代目氏綱は、北条氏と改姓し、相模国小田原城に拠点を移したことにより、伊豆地域を治める支城になりましたが、今川氏や武田氏などの戦国大名による進出に対する防御地点として重要な意味を持っていました。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めでは、約4万の軍勢に囲まれましたが、6月に開城するまで3ヵ月にわたる籠城戦に耐え抜きます。北条氏滅亡後は、徳川家康の家臣、内藤信成が韮山城に入城しますが、慶長6年(1601)に廃城となりました。廃城後は、韮山代官の御囲地となったため、その環境を大きく変えることなく、土塁や堀なども戦国時代の姿をとどめています。
江川邸
江川家は、源頼朝の平家に対する挙兵に応じて参戦、北条早雲の伊豆進出では土地を提供して韮山城を築城させて5代にわたり北条氏の家臣、その後小田原攻めの際には親子で北条方と徳川方に分かれて生き残り、江戸時代は代々徳川幕府の代官としてこの地を統治してきました。特に幕末の36代江川太郎左衛門英龍(坦庵)は蘭学を修めお台場や反射炉の製造、最初のパンの製造、西洋式造船の監督、江川塾における教育など多くを手掛け、民政にも心をくばり「世直し江川大明神」と敬われていました。
本立寺
江川邸で説明を聞いていたらどうしても反射炉が見たくなりました。江川邸から本立寺まで徒歩5分。そこから反射炉まで40分。反射炉から伊豆長岡駅まで15分。江川邸から韮山駅まで戻っても30分かかる。反射炉まで案内板に沿って歩いていくことにしました。途中で手作りの看板があって反射炉までの近道のようだったのでそちらを歩いていくと、最後に看板がなくて、こっちだろうと坂を登っていくと反射炉が見えてラッキーと思ったのもつかの間。裏手に出てしまって、すぐそこの見えるのに入口がない。結局坂を下ってぐるっと回って入口に着きました。素直に歩いても変わらなかったね。コース通りに歩くと火伏の神様、荒神社にも寄れます。
17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで発達した金属を溶かして大砲などを鋳造するための溶解炉。江川英龍が責任者として築造が始まりましたが、順調に進まず完成を見ることなく世を去り息子の英敏が安政4年(1857)に完成させました。連双2基(4炉)。高さ約15,7m。現在、世界遺産登録を目指しています。