マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【続・日本100名城 その15】 148  浜松城

148 浜松城 (静岡県浜松市)  別名:出世城

・城地種類: 平山城

・築城  : 元亀元年(1570)

・築城者 : 徳川家康

・主な城主: 徳川氏、堀尾氏、松平(桜井)氏、水野氏、高力氏ほか

        (登城日:2023年8月3日)

浜松城

 15世紀ごろに今川貞相が築いたという曳馬城を基礎として、武田信玄の侵攻に備えるため、徳川家康が三方ヶ原台地の東縁にあたる段丘を利用して築いた城です。この時、曳馬(馬を引く=敗北)という名は縁起が悪いことから、「浜松」と改められました。本拠地を岡崎から浜松に移した若き家康が、戦国大名としていくつもの戦いを生き延び、着実に力を蓄えていった城です。

 

鎧掛松

市役所南でバスを降りると迎えてくれるのがこの松です。三方ヶ原で惨敗し帰城した時に脱いだ鎧を掛けたと伝わります。もとは古城(曳馬城)にあったのを移したもので三代目だそうです。

 

本丸南広場

この広場の前の道路の下には、堀があったとされています。

 

家康像(本丸跡)

階段を上っていくと本丸跡で、若き家康公が迎えてくれました。

 

本丸跡を上から見るとこんな感じ

 

石垣

本丸跡から天守門に向かいます。400年前の石垣がそのまま残されています。

 

天守

平成26年(2014)に復元された天守門。前に来たときはありませんでした。櫓の内部には発掘調査で見つかった河原や土器の一部が展示されています。天守天守門の共通入場券は天守閣で購入できます。続百名城のスタンプは天守門にありますが、押すだけなら入場券はいりません。

 

 

天守門の前をそのまま進むと、天守門と天守閣がよく見えるポイント。この下は本丸跡です。

 

富士見櫓跡

その先には富士見櫓跡があります。富士山の眺望を意識して建てられたといわれていますが、富士山は・・・雲に隠れていました。

 

天守

天守門に戻り、門をくぐります。昭和33年(1958) に建てられた復興天守です。天守台に比べて少しばかり小さいですね。

 

天守閣の中には家康と浜松にまつわる資料や武具、再建時に発掘された井戸などが展示されています。

 

天守閣3階まで上がると、浜松の街が眼下にひろがります。

西:奥には浜名湖が見える・・かな こちらは搦め手となります。

 

北:犀ヶ崖 三方ヶ原

 

東:二の丸(葵の御門の広場に大河ドラマ館があります) 本丸 富士山は・・・

 

南:城下町が続くその先には遠州灘が広がります。

 

天守曲輪からの天守閣と天守

 

天守曲輪(土塁 石垣 井戸)

 

天守曲輪の石垣

 

西端城曲輪跡

 

日本庭園

天守から北側に下りると、美術館や日本庭園があります。この庭園は、昭和59年(1984)に日本造園学会理事を歴任した伊藤邦衛によって作庭されました。徳川園や北の丸公園などを手がけた方だそうです。

 

芝生広場

 

どうする家康 大河ドラマ館(二の丸跡)

二の丸跡にある大河ドラマ館。見学はしていませんが、正直なところドラマは・・・とりあえず惰性で見ています。そういえば、こんな広場があったかしらと調べてみたら、ここは小学校でした。浜松市内で最も長い歴史(明治6年(1873)開校の)を持つ学校でしたが、少子化ドーナツ化現象により児童数が大幅に減少、近隣の学校との統合により2017年に閉校となったそうです。

 

曳馬城跡(元城町東照宮

浜松城の前進となった曳馬(引間・引馬)城跡にも足を延ばしてきました。室町時代末期の築城とされています。今川氏家臣の飯尾氏が城主となりますが、義元が戦死した後、家康は遠江に入ります。今川氏に謀反を疑われた飯尾連龍は誅殺されました。未亡人となったお田鶴の方は、何度も家康に城の明け渡しを求められますが、拒否。先頭に立って徳川軍と戦い、壮絶な死を遂げたと伝わります。また、豊臣秀吉は、飯尾氏の配下である松下氏に仕え、浜松で3年間を過ごしていたと伝わります。この神社は、明治10年(1877) 元幕臣静岡藩浜松城代の井上延陵が建立し、現在の社殿は昭和33年〈1958〉に再建されたものです。境内には家康と秀吉の像もあり、若者たちが大盛り上がりで写真を撮っていました。

 

出世大名 家康くん(浜松駅)

浜松駅まで歩いて戻ってきました。

 

浜松餃子(五味八珍)

帰りも18きっぷ利用なので腹ごしらえ。駅ビルの上にあるお店で食べて帰りまーす。

 

 東海道を歩いた時に訪れているので、今回が2度目の登城。なんだかとてもきれいになっていました。前回は天守門がまだなかったし、小学校はまだありました。あれから十年。すっかり変わっています。十年一昔です。今回は続百名城スタンプを押すための登城。高天神城を攻略して、その足で掛川駅から浜松駅に移動。歩いても20分ほどで行けますが、暑かったので駅からはバスを利用。こちらは本数が沢山あります。そういえば、遠鉄バスsuicaが使えないんですね。

 家康が29~45歳までの成人期を過ごした浜松城姉川、三方ヶ原、高天神城、小牧・長久手と幾多の激戦を戦い抜き、さらに信康や築山殿の死、本能寺の変、家康にとっての大きな転機となる出来事も多く起こった時代です。その後の家康の考え方に大きな影響を与え、天下取りへの第一歩を踏み出したのはきっと浜松の時代。十年一昔どころか、数年、いや数日で状況が変わっていく日々。戦国時代を生き抜き、戦争のない江戸時代へと導いた家康は偉大だなぁ~と、あらためて思うのでした。