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まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【続・日本100名城 その2】  126  石垣山城 (石垣山一夜城・一夜城)

イメージ 1126 石垣山城 (神奈川県小田原市)  

☆データ☆   (続日本100名城ガイドブックより)
 ・城地種類   山城
 ・築城     天正18年(1590) 築城者 豊臣秀吉
 ・主要城主   豊臣氏
(登城日: 2018年5月12日)



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石垣山城 (井戸曲輪)
 天正18年 小田原合戦の本営として、小田原の街をよく見渡せる笠懸山の山頂に築かれました。一夜で築城したように見せかけたことから「一夜城」と呼ばれています。約80日という短時間で築かれましたが、高い石垣で築かれた東国で最初の近世城郭です。秀吉はこの城に、淀殿千利休を呼び茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしました。

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旧城道 東登り口

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本丸への登り口
南曲輪わきから本丸へと続きます。石がゴロゴロすぎです・・・。今回は二の丸から攻めて、本丸から南曲輪を経てここへ下りてきました。

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馬屋曲輪 (二の丸)石垣
延長約67m、高さ最大約6m、勾配約60度の野面積みの石垣が残っています。崩れかけた箇所があるため、ふとんかごと土嚢を用いた保全対策で石垣を維持しています。前に来たときは道はこんなにきれいに舗装されていなかったし、石垣ももっと崩れそうなままでした。続百名城に選ばれてくる人が多くなったから安全対策は必要なんでしょうね。

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馬屋曲輪 (二の丸)
奥に見える一段高い場所が本丸です。

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馬屋曲輪 櫓台跡


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井戸曲輪
二の丸北東側にあり、もともと沢のようになっていた地形を利用して北と東側を石垣の壁で囲むようにして造られています。井戸は二の丸から25mも下がったところにあり、今でも湧き出る水を見ることができます。

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井戸曲輪 石垣
西国から呼び寄せた穴太衆によって築かれた野面積みの石垣が当時のまま残っています。

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本丸登り口
二の丸から本丸に登ります。


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本丸から見た二の丸

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本丸
標高は255~257m。面積およそ7,588mで、最も広い面積を有する曲輪です。

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本丸展望台から
木がちょっと邪魔だけど、小田原城が見えます。

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本丸天守台跡
標高261.1mで最も高い位置にあります。

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西曲輪跡
高台は天守台跡

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門の基台跡

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南曲輪跡

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南曲輪 石垣
近くまで行ってみようと思ったら、近くにいたボランティアの方に止められました。スズメバチの巣があるとか。今年はスズメバチの活動は早くなっているそうなので気をつけないといけません。

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石垣用石材
石垣山の西側斜面にある石丁場から発掘された切り出した石材の一部が、駐車場の脇に展示されています。矢穴が一列に並んでいるのがよくわかります。

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こちらは早川からの登り道。小田原の街と相模湾がよく見えます。

  一夜城といっても張りぼての城ではありません。本格的な石垣の城でした。淀殿を呼んで茶会をしていたというから、きっと豪華な建物もあったでしょうね。総構えで守られた小田原城も、大軍で囲まれた上にすぐそばに城を建てられたら、さすがの北条氏も降伏するしかなかったわけです。でも、もっと早く秀吉の傘下に入っていたらどうだったのかしら。小田原の街をみたら、秀吉もそのままにしておくわけはないし、徳川と手を結ばれたら大変だから、どのみち小田原にはいられなかったでしょう。
  一夜城に歩いてきたのは二度目。前回は入生田駅から歩いてきました。前に比べると一夜城はとて整備されていました。続百名城効果かなぁ。入生田からの道は舗装されているけど山道で、途中には石材が残っていたり、石切り場に寄り道できたりします。今回は駅ハイの途中で寄ったので早川からの往復です。こちらの道は舗装された農道で下りは眺めがよく小田原城が見えます。入生田では生命の星地球博物館や風祭のかまぼこ博物館に寄れるし、早川のほうなら小田原漁港。小田原城までも歩けます。車でもいけるけどハイキングがおすすめです。一夜城の隣にはヨロイズカファームマルシェの農産物や美味しいパンもあります。続百名城スタンプは、駐車場のトイレ脇にあります。