マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【鎌倉街道 下道】2日目 金沢文庫から保土ヶ谷  2023.04.09(日)

金沢横丁道標

金沢横丁道標

 旧東海道 保土ヶ谷宿の金沢・浦賀往還への出入口にあたる「金沢横丁」に四基の道標が建立されています。案内板によると四基の道標は右から『 1.「円海山之道」天明三年(1783)建立  2.「かなさわ かまくら道」(左面には「ぐめうじ道」)天和二年(1682)建立 3.杉田道 「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」句碑を兼ねた道標 文化十一年(1814)建立 4.「富岡山芋大明神江乃道」弘化二年(1845)建立 』となっています。金沢道は、円海山・杉田・富岡などの信仰や観光の地が枝道にあり、鎌倉・江の島を経て藤沢宿で再度、東海道に合流するルートとしても人気がありました。

 

金沢文庫駅 能見台栗木 → 打越 上大岡 → 弘明寺 → 蒔田 → 清水ヶ丘 → 岩井 → 保土ヶ谷天王町駅

 

 前回は鎌倉街道下道の「六浦道」を歩きました。今回は、六国峠ハイキングコースから能見台に抜けて坂を上ったり下りたりしながら、東海道の保土谷宿に続く「かねさわ道」を歩きます。起点は金沢八景近くにあった六浦陣屋(または瀬戸神社)とされています。

 

金沢文庫駅から六国峠ハイキングコースへ向かいます。国道に出て踏切を渡ると青いハイキングコースの案内板。この辺りに「谷津道標」があったそう。今は近くの公園内に移設されています。

 

街道に戻ります。道の途中には庚申塔もありました。

 

青いハイキングコースの案内が見えてきました。その先にみえる白い壁の前にある「六国峠入口」と書かれた木の案内板にしたがって細い階段の道を上っていきます。

 

階段を上るといい感じの切り通しの峠道。しばらくハイキングコースを歩いていきます。

 

能見堂跡

江戸時代の寛文年間にこの地を領地とした久世大和守広之が、増上寺の廃院となった地蔵院を移設して再興した擲筆山(てきひつざん)地蔵院が寺院としての能見堂の始まりです。徳川家康もここから眺める景色を愛し、江戸城の襖絵にも描いたそうです。地蔵院は明治2(1869)年火災により焼失し廃寺となりました。平安時代、巨勢金岡という絵師がこの景色を描こうとしたが、あまりの美しさに絵を描くのを断念したという絶景も、今は埋め立てられ、木々の陰に隠れてしまっています。

 

犬のお散歩途中のお姉さんに尾根のガードレール沿いに進むと、富士山が見えると教えてもらったのですが・・・ちょっと遅かったかな。何となく正面のうっすらと雲がかかっているところじゃないかとも思うんだけどなぁ。気持ちのいい眺めです。少しだけ住宅脇の尾根道を歩いたら、また山道に戻ります。

 

谷津関ヶ谷不動尊

広場から少し階段を下るとお不動さんがありました。急な階段を下っていくと池もあるようですが、この日の階段は野球少年たちの体力作りに大活用。街道に戻りましょう。

 

アジュガ(セイヨウキランソウ

道端を歩ているときれいな青い花が目に入りました。調べてみると、自生種のジュウニヒトエキランソウの近縁種で観賞用として入ってきた花だそうです。

 

時折マンションがチラッと見えるけど、市街地のすぐ近くとは思えないくらい気持ちのいい山道。このままずっと歩いて鎌倉まで歩きたいところですが、「シティ能見台西バス停」の茶色い案内板のところでハイキングコースとはお別れ。階段を上ると能見台低区配水槽の脇に出ました。このあとは街歩きになります。

 

道なりに進んで京急ストアを回り込むように進むと、ランドマークが見えてきました。階段を下って能見台北公園に入ります。公園の中を抜けて氷取沢高校まで来たら、校門前の階段を上っていきます。

 

岩船地蔵

階段を上ったら今度は下り坂。旧道に復帰。左手にかわいいお地蔵様。由来によると御本尊は栃木県にある岩船山高勝寺にある子授け、子育て、安産の地蔵尊を勧請したもので、享保四年(1817)に創建されたものだそうです。

 

道を下っていくと笹下川沿いの崖下の道に出ます。高架みたいな写真になってしまったけど、道沿いに車庫があって、この上はみんな家が建っています。こんなところにも家がびっしり。防災を考えたらどうかと思うけど横浜はこういうところ多いよね。まぁ私も人のこと言えない場所に住んでいますが・・・。しばらく歩くと県道22号線(笹下釜利谷道路)に合流します。

 

栗木の交差点を過ぎ、根岸線のガードをくぐってしばらく歩くと、また旧道へ。入口には「かねさわ道」の案内板。旧道をしばらく進んだ先にも案内板。観光や信仰、鎌倉や江の島を遊覧する人々で賑わったことや黒船来航後は飛脚や沿岸警備の武士が江戸と三浦半島の間を頻繁に往来していたことなどが書いてあります。設置してあるとうれしいよね。もうちょっときれいになっていると尚のこと。

 

笹下川沿いには満開の八重桜。道沿いの民家にはもう藤の花が満開。春が早いです。笹下川は氷取沢市民の森を源として関の下の辺りで日野川と合流して大岡川になります。しばらく歩くとまた県道に合流。打越で環状2号線の下をくぐります。この先に鰻井戸という実朝ゆかりの井戸があったのだけれど見落としてしまいました。

 

関の下の交差点で県道21号線に合流します。通称「鎌倉街道横浜市民にとってはこの道が「鎌倉街道」です。街道歩きをするまで、古道の鎌倉街道のことは知りませんでした。中区本町三丁目交差点を起点として、坂東橋、上大岡、鍛冶ヶ谷、公田、小袋井、北鎌倉、鶴岡八幡宮を経て滑川交差点へと至ります。県道を歩道橋で渡って旧道に入ります。

 

上大岡でランチにしました。ミオカの手前にあるイタリアンのお店です。スパゲッティと迷って、小柱のリゾットを頂きました。リゾットはもちろん、コーヒーもグッドです。

 

旧道からいったん県道の鎌倉街道に出て、京急のガードをくぐり、また旧道へ入ります。旧鎌倉街道の表示は可哀そうなことに・・・・。弘明寺近くの旧道入口の交差点で県道の鎌倉街道に合流します。

 

鎌倉街道

弘明寺のバス停脇にある碑には昭和37年の銘があります。

 

弘明寺かんのん通り

街道からちょっと寄り道。弘明寺の参道へ続くアーケードのある商店街に入ります。入口に合ったお店で観音最中をお土産に買いました。

 

大岡川の桜はほとんどもう葉桜

 

瑞王山 弘明寺高野山真言宗

天平九年(737) 行基が開いた横浜最古とされる寺院です。源頼朝が幕府の祈願所としました。鎌倉時代に成立したと言われる坂東三十三観音巡りの第14番札所としても知られています。昨日から続く花まつりのイベントで境内は賑やかでした。うれしいですね。

 

街道に戻り、蒔田の手前の右手におせんべい屋さんが見える宗教教団の会館がある交差点を左に曲がります。

 

大岡川を蒔田橋で渡り、南センター入口の交差点まで来たところで、井土ヶ谷事件の碑に寄り損ねたことを思いだしました。もっと手前でした・・。戻るのは面倒なので先に進みます。この先は徐々に上り坂。京急のガードをくぐると急坂になります。今日一番きつい上り坂道です。

 

清水ヶ丘公園

坂のてっぺんまで来たらきれいな花々がお出迎え。見晴らしのいいベンチに座って一休み。この先は墓地の脇を通って首都高を渡り、道なりに進んでいきます。雲がなければ首都高の橋の上から富士山が見えそうなんだけど。

 

北向地蔵尊

享保二年(1717)  旅人の道中安全を祈願して建立されました。お地蔵様の下の角柱は道案内も兼ねていていると案内板に書いてあります。「是より左の方かねさわ道」「是より右の方くめう寺道」と刻まれているそうです。右左がよくわからないけど、弘明寺へはここを東に曲がって岩井坂を抜けていくようです。下道はこの先の高校の渡り廊下をくぐると今度は急な下り坂。「いわな坂」です。漢字では「岩難坂」と書くとか。今日一番の急坂かも。上りじゃなくてよかったぁ。

 

御所台の井戸(政子の井戸)

鎌倉時代源頼朝の妻・政子がここを通りかかった時に、この水を化粧に使用したと伝えられています。また、江戸時代に将軍が保土谷宿で休息した時は,御膳水として使用したそうです。

 

井戸の斜め前の急な石段を上っていくとお地蔵様と石仏がありました。

 

国道1号線に出ると金沢道の案内板がありました。国道と踏切を渡ると旧東海道です。

 

金沢横丁

金沢や鎌倉への分岐点に四基の道標が残されています。ここで旧東海道と合流。東海道を歩いていた時からずっと気になっていた「かねさわ道」やっと歩けました。書いてあることをあまり意識したことがなかったけれど、調べてみると色々と面白いですね。

・「円海山之道」の道標・・峰の灸で有名な円海山御念寺に続く道。夢枕で「灸で人々を救済せよ」とお告げを受けた御念寺の僧が普及の傍ら灸を施術して回り、峰の灸として古典落語の演目にもなったほど盛んだったそうです。今でも予約制で施術を受けることが出来るそうです。

・「かなさわ かまくら道」の道標・・(左面には「ぐめうじ道」)一番わかりやすい道標ですね。

・杉田道 「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」句碑を兼ねた道標・・安土桃山時代に領主であった間宮信繁が領民に梅の栽培を奨励したことから梅の栽培が広がりました。観梅の中心は妙法寺でたいそう賑わっていたそうですが、明治の中頃から塩害や開発のため現在は妙法寺を中心にわずかにみられるだけとなっています。

・「富岡山芋大明神江乃道」の道標・・芋大明神は疱瘡除けの神様として信仰を集めていました。現在は富岡の長昌寺に祀られています。正月の金沢七福神で最後に訪れたお寺さんじゃないですか。御開帳は3月ということでした。

 

保土ヶ谷宿 高札場跡

保土ヶ谷宿に入りました。でも東海道をそのまま進むわけではなく、高札場跡の案内柱のところで左に曲がり、郵便局の先を右に曲がって細い道を進んでいきます。この道が旧道街道よりも古い「古東海道」といわれています。

 

妙栄山 大蓮寺(日蓮宗

仁治三年(1242) に日蓮上人が保土ヶ谷宿で泊まった家を法華堂に改めたのが寺の始まりをいわれています。境内には徳川家康の側室おまんの方お手植えの柘榴の木があります。

 

道標には「相州道」「古東海道」と記されています。ここから西に向かう道が「相州道」 少しだけ相州道を進みます。鳥居が見えてきました。

 

神明社

ご祭神は天照大神平安時代中期の天禄元年(970)の創建といわれ、三度の遷座の後、この地の総鎮守となりました。街道に戻ります。

 

旧古町橋跡

かつてはここに帷子川が流れており、古東海道に続く橋が架かっていました。今日はここで終了。高架の下からも駅に入れますが、せっかくなので旧道街道の旧帷子橋のモニュメントを見てから帰ることにしましょう。

 

旧帷子橋跡(天王町駅前公園)

昭和39年(1964) の帷子川の河川改修以前は、新町橋ともいわれていた旧帷子橋が旧東海道に架かっていました。橋の長さは15間(約27m)という大きなもので、保土ヶ谷宿を代表する風景となっていました。

 

 東海道を歩いた時から気になっていた「かねさわ道」。鎌倉街道の下道と重なっていたのですね。やっと歩くことが出来ました。能見堂、清水ヶ丘と山を二つ越えてきました。昔の山道のままだったら清水ヶ丘の坂は大変だったろうね。能見台に入ってからはもうすっかり宅地と化した街中ですが、ところどころ道のくねり方とか旧道が感じられて面白かったです。