マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【鎌倉街道 下道】3日目 保土ヶ谷から武蔵中原  2023.04.23(日)

師岡熊野神社

神亀元年(724) 全寿仙人によって開かれたと伝わります。現在まで続く筒粥神事は横浜市の無形民俗文化財になっています。また御社紋が八咫烏で、日産スタジアムのある横浜北部の総鎮守でもあることからサッカーの神様としても有名です。

 

天王町駅 三ツ沢篠原 → 菊名 綱島 → 井田 → 武蔵中原

 

天王町駅からスタート。住宅地の起伏のある道を上って下りて、地味に疲れました。

 

YBP口から天王町駅を出て、古町橋で帷子川を渡ります。橋から沢山のこいのぼりが風に揺れているのが見えたので行ってみました。あっという間にGWです。

 

延命地蔵

国道16号線(八王子街道)を渡ってそのまま進むとすぐ左手にお地蔵様が見えます。まずは旅の安全をお祈り。このまま進むと旧東海道に合流しますが、鎌倉街道下道は、交差点まで戻って国道沿いに西に進み、トヨタ売店脇の坂を上っていきます。

 

結構な急坂です。上っていくと丹沢の山並みが見えてきました。雲が多いので富士山は隠れています。道なりに進むとT字路(裁判所通り)に出るので左に曲がります。

 

この先で「車の通り抜けできません」の看板がある右側の細道に入ります。見逃してしまいそう。尾根道を進んでいくと右手に鎌谷町公園。高低差のある公園です。そのまま進んでいくと三ッ沢公園に突き当たります。

 

公園の西側を歩いて旧横浜市民病院の先で右の細道に入って坂を下り、岡沢橋で第三京浜を渡ります。そういえば横浜市民病院の跡地は野球場になるんだって。この先の三ツ沢上公園入口の交差点を歩道橋で県道を渡ったら、西に進んでキャベジンコーワの看板のある坂道を上っていきます。

 

坂を上ると畑が広がっていました。住宅と農地が程よく共生できると気持ちがいい。この先は中丸小学校の脇を回り込むように進んで、団地の中を横切り、深大寺小学校の脇を下っていくと水道道に出ます。少し進むと岸根公園です。

 

岸根公園

公園で一休み。去年は桜が満開の時に来ました。今はツツジがきれいです。

道道に戻ります。公園の先から歩道が少し狭くなります。整骨院の信号の所で左の細い坂道に入ります。その先は白線に沿って上っていけば篠原八幡神社に到着です。

 

篠原八幡神社

建久三年(1192) 鈴木村の鎮守として鶴岡八幡宮から勧請されました。ご祭神は応神天皇誉田別命)。「逃げ恥」の最終回で青空市場が開催されていた神社です。参拝をして神社の北東に続く細い尾根道に入ります。高台なので見晴らしはいいはずだけど両側には住宅がびっしりです。

 

道はだんだんと下って菊名駅へと続きます。JRのガードをくぐったら菊名駅への階段を上って、東急線を越えて東口に出ます。商店街を抜けたら信号をY字の右へと進みます。

 

菊名神社

室町時代初期に鶴岡八幡宮から勧請し社殿を建立したんが始まりで、昭和十年(1935) 各村に祀られていた神明社杉山神社・阿府神社・浅間神社を合祀して「菊名神社」と改称されました。そして神社のあちこちでみかけるのが「がまんさま」。寛政年間(1789-1801)に造られた手水鉢を支える鬼の石造です。「人の道も努力・忍耐こそが開運を招く基であることを諭してる。」だそうです。頭をなでるとご利益があるとか。

 

環状2号線を渡るしばらくすると県道(綱島街道)に合流します。熊野神社入口のところで右に曲り熊野神社にちょっと寄り道。と、その前に途中にある蕎麦屋さんで腹ごしらえ。季節限定の抹茶そばをいただきました。抹茶の香りがして美味しいです。

 

弁天社(いの池)

江戸名所図会にも描かれています。古くから利用されていた灌漑用のため池で、熊野神社社殿の裏にあり筒粥行事にも使われる「のの池」と、今は埋め立てられて大曽根第二公園となってしまった「ちの池」とあわせて「いのちの池」と呼んでいたそうです。

 

師岡熊野神社

神亀元年(724) 全寿仙人によって開かれたと伝わります。現在まで続く筒粥神事は、横浜市の無形民俗文化財になっています。また御社紋が八咫烏で、日産スタジアムのある横浜北部の総鎮守でもあることから、サッカーの神様としても有名です。本殿は、権現造杮葺で、正徳2年(1712年)の創建です。おみくじを引いてみました。末吉で微妙な内容・・・いっそ凶なら逆転のお守りがもらえたのになぁ

 

熊野山全寿院 法華寺天台宗

熊野神社別当寺で明治の神仏分離令で別れまています。

 

街道に戻ります。大曽根の信号先の分れ道で左側の旧道に入りますが、しばらくすると県道に戻ります。すぐに鶴見川です。大綱橋で川を渡り、綱島の信号で左に曲がり、東急線のガードをくぐります。綱島はその昔は桃の栽培が盛んだったそう。知らなかったな。あとラジウム温泉も。聞いたことがあるような気もするけど、今は面影もありません。

 

綱島郵便局の案内板にしたがって右に曲がります。曲るとすぐに朽ちかけたお堂。来迎寺という飯田家ゆかりの無住のお寺で、廃寺にはなってないようですが・・。

 

飯田家住宅 長屋門

説明版によると「飯田家は旧北綱島村の旧家で、代々名主を務め、荒地の開墾、農業の振興、鶴見川改修などに尽力しました・・・」とありました。長屋門は江戸時代後期、主屋は明治二十二年(1889)の建築です。飯田家は、港北区地場産業だった天然氷の製造を始めた事でも知られてるそうです。今じゃ考えられないけど、昔はもっとずっと寒かったんですね。

 

すぐ隣にある郵便局の前の信号を渡ってまっすぐな道を進むと地下鉄の日吉本町駅です。この先の道はいくつか説があるようなので適当に進み、西量寺の脇の急坂を上っていきます。坂を上りきると大きな通りにでるので、道を渡って、今度は団地の中を下っていきます。

 

いったん行き止まりのようになりますが、脇から下れるのでそのまま進むと遊歩道の脇に鎌倉街道の碑がありました。「駒が橋」とあり、源頼朝が駒(馬)を橋のかわりにした。とあるのでここは暗渠になっているようです。そのまま進むと、またまた上り坂です。洒落た住宅地の中を進んでいきます。いつの間にか川崎市に入っていました。井田こもれび公園の手前の道が市境でした。

 

蟹ヶ谷古墳群・井田城跡(神庭緑地)

川崎中央療育センター前のマンション脇の細い道を下っていくのが鎌倉街道ですが、入口を通り越して中原養護学校の先から古墳群に寄り道。6~7世紀頃の古墳が残されています。養護学校のあたりには、後北条氏の家臣である中田加賀守が井田城を築いたとされています。古墳が井田城の土塁となっているともいわれていますが、古墳の集落遺構は発見されていますが、城郭遺構は特定されていないそうです。高台なので眺めがいいです。緑地を抜けて急な山道を下ると矢上川沿いに下りられたので、そのまま街道に合流しました。矢上川を橘橋で渡り、進んでいくと江川せせらぎ遊歩道に出ます。

 

江川せせらき遊歩道

下水道整備により河川としての役割を終えた江川の跡地を利用した遊歩道で、せせらきには等々力水処理センターで処理した水が流れています。遊歩道沿いに東屋まで歩いてせせらぎを渡り、東に進んでゴルフ場の角で曲がって進むと中原街道です。

 

石仏

中原街道へ向かう途中に石仏がありました。

 

大戸神社

中原街道に合流すると正面に見える神社です。永正十一年(1514)に信濃国戸隠神社を勧請し、下小田中村の守護となりました。ここの狛犬は砲弾を抱えています。日露戦争での戦勝記念で建立奉納されたものとか。昔から戦勝祈願や戦勝のお礼にと刀や鎧を奉納してきたものだけれど、砲弾を抱えているのは珍しいと思ったら、神奈川にはほかにも数社あるようです。ここから中原街道に入ります。今日は街道を歩いてすぐの武蔵中原駅で終了です。

 

 天王町から武蔵中原駅まで歩いてきました。前回に引き続き起伏のある尾根道を上って下りての繰り返し。特に見どころがあるわけでもない住宅地の中を歩いていく感じです。三ッ沢公園ではお花見したこともあるし、その昔、勤めていた会社の取引先が綱島にある大きな工場で、今はもう再開発されてしまったけど、社食でお昼を頂くのがうれしかった思い出があります。でも温泉街だったのは知らなかった。2015年まで東京園という大きな温泉施設があったそう。行ってみたかったなぁ。何気なく通り過ぎている町にも面白い歴史が隠れているんですね。