マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【鎌倉街道 上道】7日目 新所沢から西大家  2021.12.04(土)

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影隠地蔵

影隠地蔵

木曽義高が追っ手から身を隠した地蔵尊とされています。義高は、木曾義仲の嫡男で人質として鎌倉に預けられ、頼朝の長女大姫と婚姻します。このとき、義高は11歳、大姫6歳。仲睦まじく過ごしていましたが、頼朝の義仲追討により義高の立場が悪化。誅殺を恐れた大姫が義高を逃しますが、入間川のほとりで討たれ12歳の短い生涯を閉じてしまいます。義高の死を知った大姫は嘆き悲しんで病床に臥せ衰弱していき、10年を経て縁談の話が来ても拒絶。心の傷が癒えないまま20歳の短い命を閉じたのでした。

 

所沢新所沢駅入曽 狭山 → 女影 → 西大家駅(約19km)

 

 今回もアップダウンも曲り道も少ない道を歩いてきました。いわゆる郊外のなんの変哲もない街歩きですが、道中にはその昔、頼朝により引き裂かれた幼い悲恋や新田義貞鎌倉幕府討幕への思い、信濃から鎌倉幕府奪還のための進攻など数々の物語が隠れていました。

 

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新所沢駅から鎌倉街道に県道に出てひたすら北上します。新所沢駅からしばらくするとあんなに立派だった歩道が急に狭くなります。歩道が右側や左側の片方にしかなくなってしまうので、車に気を付けながら歩いていきます。西富小学校の脇には道標。この辺りまで来ると高い建物があまりないので空が広く感じられます。この先で踏切を渡り、線路の反対側を歩きます。

 

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入間野神社

入曽駅入口を過ぎてしばらく歩くと左手にこんもりとした森に囲まれた神社。主祭神大山祇命木花咲耶姫。社伝によると、建久二年(1191)の創建と伝えれれています。毎年十月十五日の大祭の際には県指定文化財の「入曽の獅子舞」が奉納されています。

 

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神社脇に大きな鎌倉街道の案内板がありました。だいぶ前に書かれてますねぇ。線路の名称がまだ”国鉄”です。

 

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観音堂

神社の先の小さな川(不老川)の奥に立派な銀杏の木とお堂が見えてきました。常泉寺所属の観音堂で、七曲井の守り菩薩である木造聖観世音菩薩坐像が祀られています。井戸の脇には小さな水神さまも祀られていました。

 

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七曲井

周囲70m、直径26m、深さ11.5mという大規模な漏斗状井戸で、平安中期に掘られたと考えられています。いつの間にか埋もれてしまった井戸を昭和45年に発掘、復元されました。その後の崩落防止工事が行われています。青梅にも同じような井戸がありました。あの時は下まで降りて大きさを実感したっけ。台地に井戸を掘るのは大変です。

 

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白山神社

まっすぐな県道をどんどん進んでいくとカーブしたところに白山神社。由来には、創建は不詳ですが、明治十年に樹齢七~八百年の大欅を伐ったと伝わるので、鎌倉時代初期には鎮座していたようです。そのまま進むと狭山駅前に出ます。

 

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駅を抜けて反対側に出ます。駅からは秩父の山並みが一望。気持ちのいい景色です。小腹が空いたのでちょっと一休み。駅前には美味しそうなお店もたくさんあったけど、広場で景色を眺めながらとおにぎりを買ったら、ベンチの前には大きなビル。山並みが隠れてしまったのはちょっと残念。広場に続く公園は入間川小学校の跡地だそうです。ここは七夕祭りも有名だそうですが、去年は中止とか。今年は開催されるといいなぁ。公園を奥まで進んで八幡神社にむかいます。公園を出たところから八幡神社がすぐに見えるのに、横断歩道がないから車に注意です。

 

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八幡神社

ご祭神は応神天皇誉田別命)。室町時代初期の創建とされ、新田義貞の信仰厚く「新田の八幡宮」と称されたこともあるそうです。本殿は寛政八年(1796)から7年をかけて完成したとされ、本殿の彫刻はとても見事です。本殿東側には、新田義貞が戦勝祈願の際に愛馬を繋いだといわれる松があります。

 

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鳥居を出て県道を進み、歩道橋で大きな道を渡ります。国道16号線なんですね。八王子から先はどこを通っているのか知らなかった。歩道橋を下りたら、新富士見橋で入間川を渡ります。当時は橋が架かっていなかったので、川の浅瀬を探しながらの徒歩渡りでした。真ん中辺りに富士山が見えたのだけど、写真だとわからない・・。橋を渡ったら、広瀬東の交差点を右に曲がり、次の信号を左に進みます。

 

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影隠地蔵

旧道らしい曲線のある道を歩いていくと奥州道交差点。道が合流したすぐ先の右手にあります。木曽義仲が討たれた後、人質となっていた義仲の子、義高が追っ手から身を隠した地蔵尊とされています。が、義高を哀れんだ土地の人が供養のために建てたもののようです。義高はある程度覚悟して鎌倉に来ていたとはいえ、まだ11歳。無邪気な大姫と一緒に過ごす時間は何物にも代えがたい心穏やかな時間だったのでしょう。そんな時代だったとはいえ何とも哀れなことです。

 

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信濃

影隠地蔵の前の長い上り坂は信濃に向かうから「信濃坂」。交差点から下は「奥州道」。鎌倉時代より前は、東山道から奥州へ向かったわけだから、奥州に行く道はすべて奥州道なんだろうね。この坂を時行も駆け抜けたのかな。坂を上り大きな工場が立ち並ぶ道を進んでいきます。

 

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智光山公園

大きな公園で一休み。動物園、BBQ広場、釣り堀や自然生態観察園など見どころ沢山で一日中遊べそうです。公園を過ぎると歩道が片側になって、圏央道をくぐると歩道もなくなって何だか淋しい道になります。

 

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ゴルフ場の脇を過ぎが先の鎌倉街道交差点を過ぎると、掘割状の遺構が残っています。道が開けた先には、鎌倉街道上道の碑がありました。道なりに進み住宅街の細い道を抜けていくと霞野神社が見えてきます。

 

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霞野神社 女影ヶ原古戦場跡

女影村社の諏訪神社でしたが、明治43年(1910)に女影村や中沢村の白髭神社など12社を合祀して霞野神社と改まりました。祭神は猿田彦命建御名方命など14柱を祀っています。またこの場所は、中先代の乱の初戦で、北条時行の軍が足利直義が派遣した軍勢を破った場所です。

 

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女影の交差点には、かわいらしい時計塔がありました。のどかな住宅街を進み、川越線の女影踏。切を渡ります。しばらく歩くと碁盤の目に整備された広々とした農地になります。空が広くて、これぞ関東平野。途中で卵屋さんのパン屋さんを発見。美味しいクリームパンがお土産。まっすぐな道も東京電力発電所にぶつかったところで終了。右に曲がり、変電所沿いに進んでその先を斜め右へと進んでいきます。青蓮寺を過ぎたところで左に進みます。

 

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鎌倉街道上道の案内板

用水路脇の細道を進み突き当たった公園脇に案内板がありました。次の角を左に曲がり、庚申塔の角を左に進むと西大家駅が見えてきます。

 

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西大家駅東武越生線

駅の脇にはお地蔵さま。でもこちら側からは乗れません。踏切を渡り反対側にまわります。

 

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国渭地祇神社

踏切の先にある神社は、坂上田村麻呂が東征の際に社殿を造立したとも、奥州藤原秀衡が創建したとも伝わります。秋には豊年を祝う獅子舞「ささら舞」が市内各地で行われているそうです。

 

 西大家駅で本日は終了。何の変哲もない道にもたくさんの歴史があるんですね。で、気になったのが、入間も国道16号線ということ。そういえば16号は郊外を走る環状線って聞いたことがあったけ。横須賀から八王子までのイメージしかなかったから、どこを通っているんだろうと調べてみたら、面白い本に出合いました。柳瀬博一著「国道16号線」。旧石器時代から飛鳥、奈良、鎌倉、江戸、現在、そしてポケモンにまで繋がっていたとは。人が移動するから道ができる。道って本当に面白いです。